戦場の狗

 どう、と衝撃が先に来た。炸裂する手榴弾が積み上げた土嚢を吹き飛ばす。巻きあがる砂塵、飛び散る泥と石塊、ぶちまけられる内臓、悲鳴。衛生兵、と誰かが言う。メディック、メディックどこだ、頼むから来てくれ、死んじまう。もう手遅れだ。よく見てみろ、腹に大穴を開けられて今さらただのケアルが何の役に立つ? そいつは死んだ、死んだんだ、いやまだ息がある、助かるかもしれない、助けてくれ、頼む、だめだよく見ろ、ほらもう死んでいる。目を開けたまま死んでいる。
 狂乱してさっきまで戦友だったものに縋りつく男の首根っこを掴む。いいか逃げるんだ、この塹壕はもう使えない、次が来るぞ、そうしたら俺もお前も死ぬんだ、そいつと同じようにだ。走れ、後ろの壕に退け、泣くのも悼むのもそれからだ。いやだ、あいつを置いてはいけない、頼むメディック、お願いだから。引きずった男の脚が縺れて泥濘にふたりして頭を突っ込む。ひどく冷たい。後生だメディック、あいつを、どうか。まだ助かる、助かるんだ。いや助からない、鉄片と有刺鉄線の切れ端を正面から受けて生きていられる人間なんかいない。血と排泄物の混ざった泥沼を這いずって次の塹壕にたどり着く。抱えた泥人形は口をぽかりと開いて、衛生兵、と呼ぶ。
 衛生兵、俺のことか。たったひとりの衛生兵、ドローした魔法も尽きかけている。使えるのはいくらかのケアル、とっておきのケアルラがほんの数回分、ケアルガははじめから持たされなかった。エスナはタチの悪い風土病にかかった連中に使い切ってもうカンバン、レイズは残すところあとふたり分。五人いた衛生班は全滅だ。ふたりは風土病をうつされて先週死んだ、ひとりは数日前に負傷者を回収に行って地雷を踏んで死んだ、班長は昨日、小便の最中に流れ弾に当たって死んだ。彼らの遺体はたっぷりの治癒魔法と共にこの辺りのどこかに埋まっている。頭の中でセイレーンが手をこまねいているのが分かる、けれど彼女に魔法を精製させるためのアイテムは、魔石のかけらひとつ見当たらない。
 何が衛生兵だ、何が治療だ、泥と血と灰と石塊と爆発物に死人の骨と皮と内臓を添えた地獄のフルコースに、いったい今さらどんな手を加えようというのか。完璧な負け戦、救援は来ない。通信兵は一昨日、鉄砲水にやられて壊れた通信機器の前で喉を突いて死んでいた。SeeDになったばかりの、まだ頰の丸い乳臭いガキだった。彼の名前は何と言っただろうか、クニヤシュ、ケナシュ、そんな感じの発音しづらい名前だった。死ねば呼称に用はないから思い出すことに意味などないが、これ以外のことを考えなくて済むのならそれだけでよかった。自分の名前ももう思い出したくなかった。
 敵方からの攻撃が中断したが、発砲音や爆発音がマスキングしてくれていた悲惨な有様が露わになってしまった。右手にぶら下げていた泥人形を放り出す。蹲って動かないそいつは、外傷がなくてももう長くは保たないだろう。塹壕に背を預けて辺りを見回す。弾切れのライフルで地面に穴を開けている奴。折れた槍を握りしめてびくとも動かない奴。何もないところから何かをドローしようと手を伸ばす奴。剣の刀身に泥を塗りつけながら何かをぶつぶつ呟く奴。手榴弾のピンを指で弄ぶ奴——本体はどこにやったのだろう? 彼に正気が残っていて、爆弾は敵陣に向かって投げられた後だと信じるより他なかった。
 いっそ殺してくれ、と誰かが言う。クソッタレ、いっそ殺してくれ。ひと思いに頼む。まだ動ける奴はいないのか、俺はもうたくさんだ。別の誰かがくだらねえことを言うなこのタマなし野郎、と声を荒げると、うるせえまた狙われたらどうする、と半狂乱の悲鳴が上がった。クソッタレ、クソッタレ、どいつもこいつもクソッタレだ。そんなに死にたきゃ両手を挙げて向こうに走っていけばいい、親切なゲリラどもが蜂の巣にしてくれるだろうよ。
 生き残ってしまった衛生兵は、ジャケットの内ポケットを探った。肌身離さず持っていたはずの手榴弾は、どこかへ行ってしまったようだった。

 夕陽の差す執務室は静かだった。サイファーは指揮官のデスクの前に立っていた。反転した傷を額に持つ二人の男は、一通の書類を挟んで向き合う。
 魔女の復権と再支配を望むキチガイどもがガルバディア南部地域で蜂起した。声明文が出されたのは三週間前のこと、あまりに唐突かつ時代錯誤な彼らのメッセージに各国が半笑いで首を傾げている間に、ゲリラは村をひとつ占拠した。勝ち誇った顔をマスクや布で隠した連中は、数年前に復活した国際電波をジャックして、後ろ手に縛られた村人たちに銃を突きつける様子を放送した。対応を迫られたガルバディア政府は、餅は餅屋とでも言いたいのか、ガーデンに出動を依頼した。何らかのやり取りののち、出張るのはガルバディアガーデンではなく、バラムガーデンに決まった。
 ぎらつく西日が目に痛い。エメラルドの双眸を眇めるサイファーに、光を背にしたスコールが相も変わらずの仏頂面で指令を下す。
「サイファー・アルマシー」
 サイファーは彼にフルネームを呼ばれるのが嫌いだった。こういう時はろくな用事ではないからだ。ガルバディア南部の騒動は全て耳に入っている。何となれば、副指揮官として一通りの情報を集めたのはサイファー自身だからだ。
 ガ政府からの派遣依頼を受任してすぐ、一個小隊にあたる数のSeeDが送り込まれた。所詮は過去の熱狂に縋りつくだけの素人ゲリラ程度、大した労もなく片付くだろう、とたかを括っていたことは否定できない。背後に何らかの勢力がついている様子もなく、制圧まで一週間もあれば十分だろうと思っていた。スコールも同意見だった。慎重派のキスティスは、念のためバックアップの部隊を用意してもいいのではないか、と進言したが、一応言っておいた、くらいのものであったと彼女自身が認めている。要するに、見込みが甘かったのは誰か一人ではなかったということだ。
 部隊投入からは十日を超えて、まもなく二週間が経とうとしている。三日目に予想以上の反撃に手こずっていること、ゲリラどもの装備が充実していることが伝えられた。六日目に現地の風土病に罹患したものがいると報告があり、十日目には三名の患者が亡くなり感染が拡大していると救援要請が入った。この段になって追加部隊の編成が決定されたが、遅きに失したと認めざるを得ないだろう。衛生班が一人を残して全滅したという今日未明の報告を最後に、現地からの通信は途絶えていた。
 状況は絶望的だ。占拠された村を解放するどころか、一人の兵士も帰っては来られないかもしれない。サイファーは奥歯を食いしばってスコールを見た。スコールもサイファーを見た。
「サイファー・アルマシー。貴官にガルバディア南部紛争の解決を命ずる。編成された部隊を率い、現地部隊に合流しろ」
「了解」
「達成目標はゲリラの無力化と排除、占拠された村の解放だ。恐らく通信機器の故障で、現地とは連絡がつかない。残存兵力には期待するな」
「了解」
「質問はあるか」
「おまえは動くのか」
「追って行く、持ちこたえろ」
 常であれば、おまえの出番はないと軽口のひとつも叩くところだ。俺が行けばあっという間に片付くぜ、そう言う気には今回はならなかった。サイファーは黙って頷いた。
「では出発しろ」
 簡潔な命令。激励も憂慮もない。抱き合うことも、手を握ることすらない。それでよかった。サイファーは兵士で、スコールはその指揮官なのだから。

 メディック、と呼ぶ声も最早なかった。日が落ちてあたりは闇に包まれる。塹壕に身を寄せる戦友たちは、どいつもこいつも死人にそっくりだ。端から順番に数えて行って、五人目が本当に死んでいることに気づいた。彼からドローを試みるが、ファイアとブリザドが少量残っているだけだった。
 屍肉あさりとどちらがマトモだろう。死んだ肉を食らうのと、死人の懐をまさぐって盗みを働くのと。その上、自分は小銭しか入っていないことに腹を立てて毒づいている。ほんの数時間前までは、仲間と呼び合っていたはずの人間の残骸に向かって。
 夜が来ても、ゲリラ連中は散発的な発砲を止めなかった。撃たれたら撃ち返さないわけにはいかないが、弾もろくに残っていないので魔法を撃つ。誰かが放ったサンダーがぱりぱりと情けない音を立ててよろめいて行った。ひどく腹が減っていたし、喉も渇いていた。飲用水がどこにあるか思い出せなかった。
 ここで死ぬのか、とは思わなかった。自分が半分よりも少し多めに死んでいることを理解していた。生きている部分より死んでいる部分の方が多い。人間は血を流さなくても死ぬことができる。死んでいる半分はどこだろう? もしかしたらそれは思い出とか、記憶とか、心とか呼ばれる部分なのかもしれない。どうでもよかった。撃たれて死んだ連中のことを羨ましいと思っていた気がするが、それもどうでもよかった。
 遠くに光が見えた。一瞬真っ直ぐに照らして、すぐに暗闇に戻る。気のせいだろう。モンスターの眼でないといいが、と考えてすぐさま自嘲した。ゲリラに撃たれるのと、このまま自発的に息を止めるのと、モンスターに食い殺されるのの間に大差はない。嬲られる心配がないだけ、二番目がほんの少しマトモだろうか。
「……救援だ」
 死人にそっくりな誰かが言う。馬鹿を言うな、とやはり死人にそっくりな誰かが返す。後者に同感だった。助けだって? そんなものがどうして来る? 救援要請に応えて来るには遅すぎる。改めて救援信号を打つべき機械も通信兵もとっくに壊れてしまった。もうほとんど死んでいるくせに、今さら何の望みを繋ごうというのか?
「冗談じゃない」
 死人にそっくりな声が言う。それが自分の声帯から出てきたと気づくまで、少し時間が必要だった。

 サイファーは自らハンドルを握っていた。俺が運転する、と言った時、部隊の構成員たちはとんでもない、隊長にそんなことをさせるわけにはと首を振ったが、二回同じことを言うと反論する者はいなかった。高速艇を大陸南東部の海岸に置き、占拠された村に向かってトラックを走らせる。後ろからもう四台着いてきていた。荷台に詰め込まれたSeeDたちは揃いも揃って青白い顔をしたり、深刻そうに眉を寄せたりしている。腰抜けどもが、とは思わなかった。想定しうる範囲での最悪を思い描けばそう言う顔になるだろうし、現地はそれでも足りないくらいの惨状だろう。何人が生き残っているだろうか。
 助手席の副官がサイファーの表情を伺っている。彼は二、三歳年下の、その学年では生え抜きと言われる男だった。派手さはないものの、精神的にタフなのを知っていたサイファーが今回指名したのだ。
「……サイファーさん、」
「何だ」
「今回のゲリラ……本当に後ろ盾がないのでしょうか」
 荒れた道に空いた穴を避けてハンドルを切りながら、サイファーは片眉を上げた。敵にスポンサーはいないはずだった、調べた限りでは。当然、隠匿された事実があるのかもしれないし、何かを見落としている可能性もある。副官は低い声で続けた。
「彼らが村を占拠してからもう二週間近くです。にわか仕込みの狂信者が、仮にも戦闘のプロフェッショナルである我々と交戦しながらそこまで持ち堪えられるものなのか」
「……妥当な疑問だ」
 消えかけた轍を辿る。交戦地点まではあと十数分で到着するはずだった、彼らが移動していなければ。
「誰が裏にいると見る?」
「……」
 副官は返答を躊躇った。それが答えだった。
「ガルバディア、だな?」
「……はい」
「軍か、政府か?」
「自分は軍ではないかと思います」
 サイファーは唇を舐めた。煙草が吸いたかったが、ガタつく悪路でハンドルから手を離すのが億劫だった。
「根拠は? ——いや、いい、言う必要はない」
「はい」
 かつて、魔女の足下に跪いたガルバディアの軍を率いたのは他ならぬサイファー自身だ。魔女は斃れその力はリノアに受け継がれたとはいえ、マインドコントロールによる甘美な幻想に囚われたままの者は少なくない。あの熱狂は温度を多少失ったとしても、そのことが却って郷愁に似たセンチメンタリズムを呼び起こすのだろう。ガルバディア人は総じて規律を重んじる堅苦しい連中だが、それは信念というものが希薄だからだ。である・べき論で動かされる人間は、情緒を少しくすぐられただけで呆気なく転がる。彼らが何かに熱狂するのは、熱狂したいからだ。その対象が何であろうと構いはしない。そして、一度熱狂の味を知った者はそれなしでは生きていけなくなる。覚醒剤の類と作用機序は同じだ。
「……ですから、自分は懸念しています」
 副官の小難しい言い回しに、思考の海から引き揚げられる。何をだ、と聞くと、また少し躊躇った。
「……指揮官は何故、サイファーさんを指名されたのでしょうか」
 SeeDは何故と問うなかれ、と言われなくなってから数年が経っていた。指揮官に就任したスコールが止めさせたのだ。それでも、副官の口を突いて出た何故という言葉は、いやに新鮮にサイファーの鼓膜を刺した。
「さあな、指揮官殿のお考えになることは分からん。人手不足じゃねえか?」
 転がっていた石を避け損ねて、トラックががくんと揺れる。まるで俺が動揺したみたいじゃねえか、と舌打ちした。
 ナビゲーションシステムが、指定地点に接近したことを知らせる。サイファーはヘッドランプを消した。何人が生き残っているだろうか、と再度問う。正確には、何人が正気で生き残っているだろうか、だ。

 惚けた半死人たちが見守る中、一台のトラックが止まった。まず助手席側のドアが、一瞬遅れて後部ハッチが開く。後続のトラックは四台。最初の車の助手席から降りてきた男が辺りを見回す。兵士たちが整列するのを待っていたように、運転席のドアが開いた。夜目にも鮮やかな白いロングコート——戦場であんなものを着るのは、的にしてくれと叫んでいるようなものだ。森の枝葉と夜の闇が遮るとはいえ、ゲリラどもからも見えているのではないか。
 衛生兵だった男は、その白いコートを知っていた。ガーデンで何度も見かけたことがある。同じく塹壕にへばりつく敗残兵たちも同じだろう。少なくともバラムガーデンに在籍していて、彼を——彼と、その対になる男を知らぬ者はない。
「サイファー・アルマシー……」
 誰かが呆然と呟いた。その声が聞こえたはずもないのに、サイファーがひとつ頷いた。