戦場の狗

 待ち伏せを警戒したものの、森の中のは静寂に包まれていた。今サイファーたちが立っている道が、村へと繋がる唯一のものらしい。地雷探査機には何もかからない。
「罠でしょうか」
 遊軍を率いていた中堅兵士が囁く。銃弾の雨に突っ込んだ時よりも緊張している背後の部下たちを慮ってサイファーも小声で返した。
「余裕がなかったんだろうな」
 ゲリラからすれば、ある程度の反撃は想定していたものの、突出した兵士たちが白兵戦を挑んでくるとは思わなかっただろう。ガ軍の武器を放り出して逃げたくらいだから、マトモな地雷を持っていたとしても埋めていく余裕があろうはずもない。
「仮に罠だとしても、俺たちの取る行動はひとつだ」
 村に誘い込んで一気に押し潰す目算だとしても、ここで引き返す選択肢はサイファーたちにはない。作戦の目標はあくまでもゲリラの無力化と排除、占拠された村の解放だ。そうだな、と念を押すサイファーに、中堅兵士が黙って頷いた。
 早足歩き程度のスピードで進む。相変わらず何も探知しない機械に焦れたように、兵士が溜息を吐いたその時だった。
 ぱらぱらぱら、と軽く続く音に被さるように、甲高い悲鳴が響く。ぱら、ぱらぱらぱら、と軽機関銃の発砲が続いた。始まってしまった。虐殺だ。サイファーは唇を噛んだ。目を凝らすと木々の向こうが拓けている。突っ切るしかない。
「おい、俺は先に行く」
「隊長、しかし!」
「お前らは地雷に警戒して来い」
「待ってください、隊長!」
 部下たちが引き留めるのも構わず、サイファーは離れろと合図を出した。前方に指向性を持たせてアレンジしたエアロを足元に叩き込む。爆発する真空の塊に吹き飛ばされるようにしてサイファーは飛んだ。枝葉が全身を鞭のように打つ。さきほど掛け直したプロテスに任せてこのまま転がり込むつもりだったが、自分の発想の愚かさに場違いな笑いが漏れた。

 ベタ踏みしていたアクセルを離し、急ブレーキをかける。勢いを殺せず砂利の上を滑る車が止まるのを待たず、スコールは助手席に置いたケースからガンブレードを取り出した。乱暴にエンジンを切って、キーを差したまま車を飛び降りる。目の前に広がる平地にあるのは崩れかけた塹壕だけだ。遠くに十数人ばかりの人影が蠢いている。
 衛生テントの横に座り込んでいる男が顔を上げて、ぽかんとスコールを見つめた。げっそりとやつれた頰、生気のない瞳、乾いて皮の剥けた半開きの唇。先発隊の人間だろうか。
「本隊はどこに行った」
 スコールの問いに返事はない。ひょっとしたら精神をやられてしまったのだろうか。左上腕に赤十字の腕章を巻いている、衛生兵か。茫洋としたまなざしを遮るように、男の前に膝をついた。
「おい、俺の言っていることが分かるか」
「……あんたは、」
「スコール・レオンハートだ」
 まさかバラムガーデンの人間に名前を聞かれるとは思っていなかった。やはり正常な思考ではないと見える。こいつから情報を聞き出すのは諦めるべきかと立ち上がりかけた時だった。
「……サイファー・アルマシーは森にいます」
 蚊の鳴くような声がサイファーの名前を告げた。SeiferではなくCipherの発音だ。口唇破裂音を耳聡く聞き分けたスコールは思わず苦笑した。
「森に? 前進したのか」
 こくりと頷いた男は、かろうじてスコールに焦点を合わせて続けた。
「ゲリラは森に逃げ込みました。ほんの十数分前です。後衛は敵方の塹壕を奪取して待機しているはずです」
 それだけ分かれば十分だった。スコールは礼を言って立ち上がる。森の中には目標の村がある。ゲリラが村に戻ったにせよ、森の中に散ったにせよ、ろくなことにはならないだろう。十分前ならまだ追いつける。スコールは泥濘を蹴って走り出した。

 圧縮された空気の唸りと共にサイファーは再び飛んだ。銃声はいよいよ近く、音から数瞬遅れて人影が頽れるのが視認できる。がちりと鳴る奥歯を噛んで、ファイアを起動する。これも手を加えて、小さな火球が同時に弾けるようにした。魔法の扱いはさほど得意ではないが、この程度のアレンジは利くくらいの場数は踏んできたつもりだ。出番を待つハイペリオンが刀身を鳴らした。
 森を抜ける瞬間、ヒステリックな殺戮に酔い始めたゲリラどもが気づく前に火球を投げた。人の群れの上空で一斉に炸裂するそれが巻き上げた土埃に頭から突っ込む。目を閉じるのは一瞬だけだ。勢いのまま前方に転がり、二回転して立ち上がる。蹲っていた村人を蹴り飛ばしたが、構ってはいられない。
 なんだ、なにしやがる、襲撃か、と口々に動揺する声を頼りにガンブレードを振るう。幸いなことにゲリラと村人の見分けは付いた。やはりガ軍支給のものと見える防弾ベストを纏い、手に銃火器を持っているのがゲリラだ。風のないことがサイファーには幸運で、敵には不運だった。砂塵で黄色く霞む視界。散々に汚れて破れた白いコートが翻るのが奴らにに見えるかどうか。
 殺しはしない。与えられた指令は「無力化」だ。敵の抵抗能力を奪うのなら、手足と目を潰せば事足りる。闇雲に突き出されるマシンガンごと、手首を落とした。刃が生きた肉に喰い込む感触に、関節を断つ手応えに、悪寒と同時に懐かしさを覚える。サイファーはこの感覚を知っていた。白銀に輝くハイペリオンが教えてくれた、もうずいぶん前に。嫌悪感ははじめの二、三太刀だけだ。すぐに麻痺することも分かっていた。
 数発の銃声と悲鳴、撃つな相討ちになる、と叫ぶ野太い声。もとよりの逆上に加えて奇襲を受けたゲリラどもは完全な恐慌状態に陥っていた。集められた村人たちは地に伏せて災厄が過ぎ去るのを祈っている。そのうちの何人かはもう殺されてしまっただろう。サイファーはまたブレードを振り抜いた。聞き苦しい絶叫と共に血が噴き上がった。
 サイファー自身の動きがつむじ風となって砂埃を払い飛ばす。次第に明瞭になる視界の中、数人の男が蹲る村人を引きずり起こした。
「動くな、こいつらを殺すぞ」
 ひぃ、と引き攣った声が重なる。返り血を受けた頰をそのままに、サイファーはガンブレードを下ろして振り返った。ゲリラが三人、それぞれ子供と老婆、それからSeeDの装備を身につけた少年に銃口を突きつけている。やはり捕虜がいたのだ。少年は頰を腫らし後ろ手に縛られた腕を踏みつけられてはいたが、唇を引き結び、目にはまだ力があった。サイファーをじっと見上げている。
「貴様、サイファー・アルマシーか?」
 サイファーの後ろと横に別の銃口が押し当てられる。正面で老婆を抱えているのがリーダー格だろうか、男は目出し帽で覆った顔を歪めた。
「おい、サイファー・アルマシーだな?」
「ああ」
 cipherと発音されるのを不快に思いながら頷く。右の肩甲骨に鉄の塊がめり込んだ。
「サイコーだな、俺たちをめちゃくちゃにしてくれたてめえが英雄ヅラして単騎かよ」
「……」
「悪趣味な白いコートがいるって言うからまさかと思ったが、やってくれたな、このクソッタレ」
「ガルバディア軍か?」
「喋って良いなんて言ってねえだろうが!」
 左のこめかみを銃床で強かに殴られる。皮膚が裂けて血が流れるのがくすぐったかった。プロテスの効果が消えるまでそれほど時間がなさそうだ。
「ちょうどよかったぜ、てめえは殺す、見せしめにその首晒してやるよ」
 デリングシティの凱旋門に飾ってやる、嬉しいだろ? と下卑た声を出すのを、サイファーはろくに聞いていなかった。立っているゲリラは全部で二十人弱、村人と捕虜を合わせてその三倍くらいがこの広場にいるはずだ。被害を考慮しなければ二十人程度を伸すことは可能だが、保護対象がいる以上はそうもいかない。置き去りにした部下たちがじきに到着するだろうから、それまで適当に場を引き延ばすしかなかった。
「どこかで会ったか」
「うるせえ、誰が答えるか」
「会ってるはずだな、ガルバディア軍にいたなら。俺の命令でバラムに総攻撃かけた連中か?」
「黙れ」
「卑怯なモンは外してそのツラ見せてみろよ、思い出してやれるかもしれねえぜ? まあ、ゲリラになんざなるような腰抜けを覚えてられるほど暇じゃねえがな」
「黙れ!」
 敢えて挑発するサイファーを、踏みつけられたままの少年兵がキチガイを見る目で見上げている。リーダーの男が手にしていた拳銃をサイファーに向け直した。がちりと撃鉄が上がる。森からやってくる気配を隠すように、サイファーは両腕を広げて声を高めた。
「撃てんのか、インポ野郎? 魔女の背中に隠れて粋がってただけの根性なしが大それたことを始めたもんだな?」
「黙らんと撃つぞ!」
「テメエじゃ何も成し遂げられねえクズどもが調子こいてんじゃねえよ!」
「うるせえ!」
 吐き出した煽り文句は全て、かつてのサイファー自身に向けたものだった。そのことに気づくものはこの場にはいない。銃口はサイファーの額を狙っていた。口角を吊り上げて笑う。この腑抜け野郎、外すんじゃねえぞ。ちゃんと狙え、肘を締めて固定しろ、間違っても俺の後ろにいるテメエの仲間に当てるんじゃねえぞ。撃て、撃ってみろよ、さあ早く。

 飛び出す弾頭が見えた気がした。プロテスの盾が消失するのと、同時だった。

 朗々と歌うような声が聞こえる。重なる癇性な怒号。広場の中央に、泥と返り血で汚れた白いコートが立っている。武装した男たちに囲まれて、その周りには悶絶する負傷者が転がっていた。
 ヘイストを掛けてすら遅い、常人では有り得ぬ速度で回転する脚にそれでも苛立ちを覚えながら疾る。背後の兵士たちは先行する指揮官を見失わないようにするので精一杯だが、スコールの頭からは後続のことが抜け落ちていた。
 あの馬鹿が。馬鹿サイファー。こんなところであんたは何をしてるんだ。こんなくだらないことで、こんなくだらない相手に、あんたは何をしてるんだ。あんたはいつもそうだ、勝手なことばかり、おれのことなんか忘れて。
 可哀想なサイファー、愚かなサイファー、あんたの死に場所はここじゃない。あんたには生きる義務がある、おれを生かすために生きなければならない。
 サイファーの正面に立つ男が銃を構える。森と村とを隔てる木の柵を蹴りつけて、スコールは跳んだ。

 腕を抑えつけるゲリラごと後ろに倒れたサイファーの目に、天から降り立つ黒い稲妻が映る。ぎゃん、と神経に障る音が響き、リーダーの隣に立っていた男が跳弾を受け、もんどり打って倒れた。それには目もくれず、長い脚がサイファーの肩もろともゲリラを蹴り飛ばす。
「……おれは許可していないぞ、サイファー」
 見下ろす怜悧な横顔、瞳は燃える銅の放つ青。同じ色に輝くガンブレードを手に、汚れの一片もない黒革を纏う。バラムの指揮官か、と誰かが言うのを一瞥すらせず、唾でも吐き捨てるような口調で繰り返した。
「おれはあんたに死ぬ許可を出していない、サイファー・アルマシー」
「……ハッ、」
 疑いようのない殺意を惜しげもなく放ち、圧倒されるゲリラどもを睥睨する。その眼はもうサイファーを見ていなかった。
 弾き飛ばされたハイペリオンを拾い上げてサイファーは立ち上がる。互い違いの傷と色彩の戦士が並び立つ様に、這いつくばるSeeDさえ震え上がった。
 声も合図もなく、たったひとつの呼吸でタイミングを合わせて二匹の獣は牙を剥いた。求めるものは、卑劣で臆病な獲物の吐き出す血と悲鳴だけだった。