戦場の狗

 通信兵が一時間ほど前に作戦終了の報告を受けた。後詰の連中が乗って行ったトラックが列をなして戻ってくるのを眺めながら、男は左腕の腕章をむしり取った。血と泥と汚物にまみれた赤い十字。ドブネズミのような灰色に染まるそれを、先刻まで座り込んでいた地面に投げ捨てる。
 実行部隊の連中がぱらぱらと荷台から降りてきた。衛生班が担架を横付けし、負傷したゲリラの残党を運び出す。かつての敵兵といえど、捕虜には人道的な待遇を受ける権利があると国際法規で決まっていた。人道的な扱いとはいったい何を指すのだろう。ライフル弾で頭蓋骨を破裂させられたり、榴弾で腹に大穴を開けられたり、バズーカ砲の爆発で四肢をばらばらにされることだろうか。それならば戦争というのは自分が思っていた以上に優しいものだ。
 誰もが忙しなく働く中で、気配もなくぼんやりと立ち尽くす彼を咎める者はない。腫れ物に触るような、という表現すら正しくない、彼は幽霊で、誰の目にも映らない希薄な存在だった。
 生者と死者の狭間でぐらつく男の目の前に、汚れた掌が差し出される。
「おい、煙草持ってねえか」
 のろのろと顔を上げる。金の髪から白いコートの裾に至るまで、全身をヘドロで汚した偉丈夫が意志の強い碧眼でこちらを見下ろしている。
「聞こえてんのか?」
「……持っていません」
 訝しげな声が煩わしくて仕方がない。サイファー・アルマシー。その頰や胸元に散った血痕に嘔気を覚えて屈み込む。おい大丈夫か、と問う声には答えず、彼は言葉が口を突くまま吐き出した。
「……あんたが、もっと早く来ていれば」
 肩に伸ばされた手がぴくりと止まった。何を言っているんだ、と乖離した自分が戸惑うのも振り切って、言葉は溢れ出す。
「あんたが最初からいてくれれば、こんなことにはならなかった」
「……」
「なあ、なんで後から来たんだ、どうしてみんな死んでから来たんだ、俺たちが死んで壊れるのを待ってたのか」
 応えはない。それでももう止まらなかった。
「なあ、どうして助けてくれなかったんだ、あんたは遅すぎたんだ、なあ、遅れてやって来たヒーロー気取りか、クソ、クソッタレ、あんたのせいだ、あんたのせいでみんな死んだ、死んじまった」
 抱えた膝に鼻水が垂れて、自分が泣き喚いているのだと気づいた。誰かが寄ってきて肩を抱き、よせ、お前は休んでろ、と言う。ガタガタと震えて合わない歯の根、痙攣する気管、それでも目の前の男は微動だにしない。
「こんなのまっぴらだ、死んだ方がマシだ、こんなの」
「……それを覚悟してなかったのはお前だろうが」
 地を這うような声が投げつけられた。過呼吸でひきつけを起こしながら、見開いた眼を見上げる。
「俺たちはな」
 サイファーの顔は逆光で見えない。太陽は中天にあり、落ちる影は濃かった。
「金で雇われて闘うんだ、それが殺すことだろうが殺されることだろうが」
 それが分かってなかったのはお前の責任だ、といっそ静謐な響きすら孕む声が断罪した。くるりと背を向けて一歩踏み出し、
「……帰ったら除隊手続きを取れ、俺の権限で承認する」
 歩き去る背中の飾り十字が滲んでいた。手の甲にちくりと痛みが走る。眠っていろ、もう帰れるからな、心配しなくていい、誰かの慰めを聞きながら、投与された鎮静剤に導かれるまま意識を手放した。

 どうにか手に入れた煙草を唇に挟んで、サイファーはスコールを探していた。事後処理の指示は出してある。結果としてかすり傷のみで済んだ部下たちは手際よく動いていた。高速艇で待機していた支援部隊と国際医療機関が入れ替わりに村に入り、民衆のケアに当たっている。
 捕らえたゲリラたちの今後の処遇を決めなくてはならない。もともとはガルバディア政府に引き渡すことになっていたが、軍の関与が認められた以上、全てをガルバディアに委ねるべきではなかった。鹵獲した武器や装備品は証拠品として厳重に保管されていた。
 スコールはトラックのフロント部分に腰を預けて電話の最中だった。相変わらずのしかめ面にくぐもった声で相槌を打っている。その隣に寄りかかり、煙草に火を点けた。
「……了解しました、では撤収します」
 その後、二言三言交わして通話を切る。ふう、と溜息を吐いたスコールは、流れる紫煙をさも迷惑そうに手で払った。
「……場所を変われ」
「ああ?」
「そっちが風上だ、ニコチン中毒」
 どうやら隣合わせに一服すること自体は構わないらしい。従順にずれたサイファーは、タールとニコチンのもたらす酩酊感を心地よく感じながら尋ねた。
「捕虜をどうするって?」
「国際司法裁判所に引き渡す」
「そりゃずいぶんと大それた話だな」
「ガルバディアが投げた」
「はん、兵隊が兵隊ならお偉方もだな」
「潰れてしまえばいいんだ、こんな国」
 バラムガーデンには監獄施設がないが、司法裁判所が早急に引き取りに来る手筈がついているという。ご苦労なことだ。ガルバディア政府がどう言い逃れるか見ものだな、と内心で独りごちながら、また煙を吐く。どうせトカゲの尻尾を切ってなあなあで済ませるのがオチだろう。エスタの開国とともに発足してからまだ数年も経っていない国際司法裁判所が、仮にも大国の一隅を担うガルバディアを強硬に攻められるとは思えなかった。
「……あんたは馬鹿だな」
 唐突なスコールの言葉にサイファーの片眉が上がる。ほんとうに馬鹿だ、救いようがない、と続けるスコールの声は歌のように聞こえた。
「ずいぶんな言いようじゃねえか、作戦を成功させた立役者に向かって」
「それが馬鹿だと言ってるんだ」
 吹き抜ける風に長い前髪を遊ばせながら、スコールは静まり返った戦場跡を見はるかした。すっと通った鼻筋、薄く開いた唇。その瞳は数時間前の激情をどこかに捨て去って、サンタマリアの青に落ち着いていた。そういえばあの時、スコールは何と言ったのだったか。
 記憶を辿るサイファーを置き去りにしてスコールが歩き出す。おい待ておまえ、と言うのを無視して、撤収作業中の兵たちを労いに行ってしまった。
「あの野郎……」
 指に挟んだ煙草はいつの間にかフィルター近くまで燃えていた。フェンダーパネルで揉み消した瞬間、あの声が脳裏に蘇った。
——おれはあんたに死ぬ許可を出していない、サイファー・アルマシー
(死ぬ許可を出していない、だと?)
 それらしい顔つきで少年兵の肩を叩くスコールの後ろ姿を見る。サイファーは笑い出しそうになるのを堪えて口許を手で覆った。
 一級戦犯として処刑されるはずだったサイファーは、どうした取引によるものかバラムガーデンに帰還した。流されるままにSeeD試験を受けさせられ、合格し、キスティスから副指揮官任命の辞令を受け取った。ガーデン指揮官スコール・レオンハート名義の辞令を受けた日の晩、書類の山が崩れそうな執務室の机に突っ伏すスコールを取っ捕まえてどういうつもりだと問い詰めた。どういうもこういうもない、不服があるならそれなりのルートで申し立てろというスコールの目は乾き、濃い隈に縁取られて唇はカサついていた。うっすらと髭すら生やしたままのその顔を掴むと、あんたはここにいればいいんだ、とだけ言った。話がそこで終わってしまったのは、極限まで酷使された(あるいは自らを酷使した)指揮官殿が寝落ちしてしまったからだ。仕方なく部屋まで担いで行き、ベッドに放り投げるとサイファーの腕を握りしめて「あんたはおれが抱けるか」と訳のわからないことを言ってまた寝た。その数日後、夜中に目を覚ましたサイファーは自分の上に馬乗りになっているスコールを発見し、諦めて犯されるように犯した。それから三年以上が経ち、未だに甘い言葉のひとつはもちろん、好きだ何だと想いを確かめ合ったことさえない。サイファーはとっくに、思い返せば戦争で袂を別つその前から彼に惚れていたが、それを教えてやる気はまるでなかった。昼間は上官と部下として距離を保ち、スコールの気が向いた夜には言葉もなく貪り合う。そのスコールが。
(……とんでもない愛の告白じゃねえか、スコール)
 彼がサイファーに対して、欲情だけでない後ろ暗い感情を抱いていることには薄々勘付いていた。追及するつもりは毛頭ない。スコールが何を考えているか、いちいち気にしていたら彼の相手はできないからだ。お互いに死んでも明かさない秘密を抱えて並んで歩く、それも悪くないと思っていた。
 笑いを殺しきれないサイファーを見つけて駆け寄ってきた副官が、気持ちの悪いものを見る目で「何かいいことでもありましたか」と尋ねた。
「……まあな」
「どうでもいいですが、本件の報告書はサイファーさんが書くように、との指揮官の仰せです」
 よろしくお願いしますね、と言い残してそそくさと去っていく副官の言葉に我に帰る。彼の首根っこに伸ばそうとした手は届かなかった。サイファーは天を仰ぎ肩を落とす。知ったことではないという顔の鳥が飛んで行った。