戦場の狗

 サイファーら救援部隊の最初の仕事は、死人と半死人の仕分けだった。それから、半死人を正気とそうでないものに分ける。もともとの人数は四十五人、半死人は十七人、正気な者は十四人。差分の三人は、救援部隊から数人選んで高速艇で待機している支援部隊に引き渡させる。一時的なショックによるものか、引き返せないほど参ってしまったかはサイファーには分からなかったし、知る気もなかった。
「風土病の感染者は九名です」
 衛生班長が報告する。損耗率は予想通りと言ったところだった。部隊は三割が戦線を離脱した時点で「潰滅」、五割が戦闘不能で「全滅」と呼ばれる。この式に則れば、現地部隊はとうに「全滅」していた。
「動かせるか」
「三名は重篤ですが、それ以外なら」
「移送の手配を取れ」
 二次感染だけは何としても防がなくてはならない。移送までの間、感染者を隔離するよう指示を出す。重篤者が作戦終了まで保つかどうかは衛生班に任せた。幸い、手持ちの抗生物質が効きそうだという話だった。
 諸々を差し引いて残った五人は奇跡的にほぼ無傷だった。彼らを逃げ回っていた卑怯者だとは思わない。激戦地のど真ん中にいても、何故か怪我を負わずにいられる者もいる、そういうものだ。サイファーもその奇跡の恩恵に与り続けてきた一人だと言える。
 五人のうち、最も年かさなのは衛生兵唯一の生き残りだった。年長とはいえサイファーと歳はそう変わらない。列から一歩進み出た彼の目は疲れ切っていた。無感動に状況を報告する。想定よりも敵の人数が多かったのが最初の誤算だったという。加えて、潤沢すぎる物資。
「一週間もすれば向こうの弾薬は尽きるものと思っていました」
 並んで報告を聞いていた副官が素早くサイファーに目配せをした。
「何故そのように想定した?」
「初期の攻勢が極めて激しかったためです、めくら撃ちと言ってもいいくらいでした。練度が低い分、量に任せて短期を凌ぐつもりかと」
 続いて、どのようなスケジュールで攻撃があったかを問う。思い出すのは苦痛だろうが、情勢判断に必要だった。話してもらわねばならない。後ろの四人は瞑目し、顔を逸らし、聞きたくはないと全身で訴えている。しかし、衛生兵は眉ひとつ動かさず淡々と話した。
 昼夜を問わない断続的な攻撃だったようだ。それだけで神経が摩耗するのに加えて、期待に反して一向に尽きない物量が彼らにとって恐ろしいほどのストレスとなったのは想像に難くない。サイファーたちが到着して間もなく一時間、今のところは静かだが、先発隊の生き残りたちはいつ始まるかもしれない銃撃あるいは爆発に怯え、怯えることにくたびれ果てていた。
 衛生兵によると、今いる塹壕が一番後ろで、前方にもうふたつ掘ったという。放棄してしばらく経つ最前のものはもう使い物にならないかもしれない。サイファーは副官に敗残兵たちの振り分けを任せてその場を離れた。基本的には後衛で支援してもらうことになるだろう。
 まだ無傷で小綺麗な恰好の救援部隊が陣を立て直している。清潔な水に、汚れていないレーション。休息のための天幕がちょうど張り終えられた。そちらに向かうサイファーは、背に孔を開けるような空虚な視線を感じてふと振り返る。副官の号令で、生き残りが三々五々散って行くところだった。

 深夜の執務室でスコールは情報端末を起動する。部屋の明かりは消したままだから、モニタから放たれる光が闇に慣れた目に刺さる。いくつかのフォルダを開けて目的のドキュメントに辿り着いた。
 ゲリラは単独勢力と見られる、というのが初期の報告だった。調査を行ったのはサイファーだ。彼の情報収集能力はバラムガーデンでも高い部類に入る。だから信頼していた。しかし、現地に到着したことを報告する入電で、サイファーの副官は背後にガ軍がいる可能性に言及した。アルマシー隊長も同様のお考えです、と言っていた。
 ゲリラらしい練度の低さは、ゲリラ特有のファナティックさと出どころの分からない底知らずの物量に補われた。ズブの素人が投げる爆弾も、十発あれば一発くらいはどこかに当たるものだ。たかが新興ゲリラと侮ったな、と歯噛みする。これは司令側の初動ミスに他ならなかった。
 そこにサイファーを出したことが吉と出るか凶と出るか。スコールはこれまで、サイファーとガルバディアを出来るだけ接触させないようにしていた。魔女の騎士だった男は顔と名前を知られすぎている。しかし今回は彼を出さざるを得なかった。かつての仲間たちを含め、目ぼしいところはだいたい出払っている。残るは自分とサイファーとキスティスだけだ。キスティスに崩壊した部隊を立て直すことはできないと判断した。彼女はあまりに出来がよすぎるために、窮地に弱いところがある。彼女が悪いわけではない、遣いどころはここではないというだけだ。
 負け犬を御せるのは、負け犬だった者だけだ。そういう意味では、サイファーほどの適任者もいなかった。何しろ彼もまた歴戦の負け犬だ。他ならぬスコールの手によって、サイファーは何度となく屈辱の床を舐めてきた。彼は勝者であり、のちに敗者となって、彼を敗北に叩き落とした男の手によって引きずり上げられて今ここにいる。F.H.の釣り人になれていれば、今ごろこうして死地に赴く必要などなかった。日がな一日、釣れない釣り糸を垂らして水平線がどんな色に変わるかを見ていられただろう。
 可哀想に、ああなんて可哀想なサイファー。おれに出会ってしまったがばっかりに。何も知らないこどもだったのに。おれがいなければあんたは負け犬になんかならずに済んだ。魔女の騎士になって飼われることも使い捨てられることもなかった。こうして死ぬような目に何度も遭わされることもなかった。でもあんたも悪いんだ、おればかりをしつこく執念深く追ってくるから。あの時、アルティミシアの懐に逃げ込んだから。あの時、F.H.の埠頭で頷いたから。あの夜、言われるがままにおれを抱いたから。そうでなければ、サイファー、おれだってあんたをただの思い出にしてやれたのに。
 可哀想なサイファー。おれに愛されてしまったがばかりに、あんたはこうやって何度も擬似的に死ぬんだ。戦場で。ベッドで。可哀想に。なんて可哀想なサイファー。スコールは目を閉じて、椅子の背もたれに寄りかかった。笑いが止まらなかったが、自分が誰を笑っているのか、もうスコールには分からなかった。

 夜明けまでの間は互いにくすぐり合い程度の威嚇射撃を繰り返す程度だった。奇襲に打って出ても良かったが、当座は崩壊したキャンプの立て直しが最優先だ。サイファーの部隊はよく働いてくれた。朝の光が戦場を照らし出す前に、やるべきことは終わっていた。
 朝の挨拶代わりのつもりか、ゲリラが発砲する。塹壕に身を隠して朝の一服を決め込んでいた連中のひとりが、手にした自動小銃をおどけて掲げながらサイファーを見た。煙草を咥えながら、笑って頷いてやる。ぱん、ぱん、ぱん、と景気良く三発分の銃声が、晴れの空に響いた。
 ゲリラどもは救援が来たことに気づいているだろう。気づいてもらわなければ困る。これから反転攻勢を打とうというのに、半死人の破れかぶれの特攻と思われては迷惑だ。
 サイファーと副官は、敗残兵を含む兵士を四つのグループに分けていた。サイファーの率いる前衛、副官の率いる後衛、その間を繋ぎながらフレキシブルに動く遊軍、それと通信兵・衛生兵らを主体とした後方支援チームだ。昨晩、生き残りの連中から、一人の兵がゲリラの捕虜にされているはずだと聞いていた。確証はないが——何しろ、「ここにはいないが死体も見ていない」が根拠なので——そいつも助けてやらなければならない。どのみち敵の本陣まで突っ込むのだからやることはそう変わらない。捕虜が生きていれば御の字だ。
 サイファーは目の前に固まり指示を待つ男たちを見た。少しの高揚を隠した落ち着いた顔をしている、上出来だ。わざとらしく唇の端を引き上げて、サイファーは言う。
「手はずは分かってるな」
「アイ、サー」
「遅れるなよ」
 敬礼と共に了解のいらえ。兵の一人が、しかし隊長が最前線に突っ込むなんざ正気じゃないね、と呆れた声を出す。
「知ってんだろ、俺がイカれてることなんか」
 ゲリラどもは散発的な発砲を続けている。その一発が塹壕のてっぺんをかすめていった。うるせえなあ静かにしろや、と誰かが毒づき、うるせえに決まってんだろ戦場だぞ、とみな笑う。サイファーも笑った。
 煙草のフィルターを指で弾いて、サイファーは呼吸を整えた。兵士たちがそれぞれ得物を構えて、ゴーサインを待っている。
「——行くぜ、まずは戦線を押し戻す」

 昨晩までこの地獄で唯一の衛生兵だった男は、天幕を出たところに座り込んでいた。セイレーンは取り上げられてしまった。今のところは休んでいるといい、よくやった、と新しい班長が言っていたのをぼんやりと思い出す。よくやった、よくやっただって? 俺は何もしていない、何もできなかった、なのに生き残った、あるいは何もしなかったから生き残ってしまった。そうだ、俺はあまりに無力でどうしようもないほど臆病だったから、だから生きているんだ。治癒魔法を半端に残して、誰かを助け損なって、死に損なって、塹壕の隅でガタガタ震えていただけだ。くだらない。まったくもってくだらない。G.F.ごとジャンクションを外されてしまったから、今の自分はちょっとだけ身体の頑丈な一般人に過ぎない。
 背後のテントでは、ちゃんと機能する衛生部隊が傷病者の手当てに当たっている。感染防止装備を身につけた彼らは、瀕死の重篤患者に荒々しい声を掛けながら走り回っている。おい俺の言葉が分かるか、分かったら返事をしろ。お前の名前は、故郷はどこだ、家族はいるのか、そうか妹は何て名前だ、ナターシャか、いくつだ、ずいぶん歳が離れてるんだな、可愛いだろうな、おいしっかりしろ、お前が死んだら俺らでナターシャを喰っちまうぞ、ははは、冗談だ、よーし水を飲めるな、今注射も打ってやる、腕か、ケツの穴か、どっちがいいか選ばせてやるぞ。兵士らしい下品な激励。きっと彼らは助かるだろう。治療にあたるのが自分でさえなければ、みんな助かるはずだった。
 まもなく行動を開始するはずだった。衛生兵から見て右手の一陣に白いコートがいる。サイファー・アルマシー。そういえばどうして彼はガーデンに帰還したのだろう。戦争直後は彼はガルバディア政府に処刑されるという噂が流れていたし、誰もがさもありなんと首肯したものだった。きっと何かの取引があったのだろう、そんな政治的な話は知ったことではなかった。彼は強いと聞いている。バラムの指揮官、スコール・レオンハートの長年のライバルだったのだという。自分が知る限り、たった二人のガンブレード使いたち。彼らは互いをどう思っているのだろうか。
 泥が染みるのも構わず、両脚を投げ出した。尻が冷たいがそれだけだ。焦点の合わない視界で、翻る白が塹壕の上に踊り出る。飛ぶ銃弾は彼には当たらない。ガンブレードが振り下ろされた。

 サイファーは駆け出した。匍匐前進で敵の一斉射撃を掻い潜る兵士たちに代わって囮になる。白いコートは最上の目印だ。撃ってこい、俺を狙え。展開したプロテスが飛び交う弾の勢いを殺ぐが、そもそもどの弾もまともには届かない。ヘタクソどもが、何もない方向に飛んでいく弾道を横目にしながら舌打ちをした。
 ひとつ前方の塹壕に飛び込む。サイファーのチームは今のところ無傷なようだ。げえ泥食っちまった、俺はシャツの中に入った、と口々に言い合いながら身を寄せる。塹壕は貧相な作りだったが、銃弾避けとしては及第点だ。
 メンバーの数人がしゃがみこみ祈る。見ると、そこに誰かの右肩から下が落ちていた。あっち、と誰かが言うのに従うと、そちらには脚らしきものがあった。同一人物のものだろう。サイファーも目は閉じぬまま、彼が苦痛を感ずる間もなく逝ったことを願った。
 身体の前面を泥まみれにした兵士たちに、一旦休めと指示を出す。振り返ると、遊軍の一人がハンドサインで後続の準備が整ったことを伝えてきた。順調だ、今のところは。
 コートの裾を払う。跳ね返った泥で汚れた白は、それでもまだ標的に相応しく陽光を反射した。
「……全員プロテス掛かってるな」
「隊長、聞くのが遅えっすよ」
「忘れてたんだ」
 へへへ、と笑う兵士の、手近な奴に向かって拳を繰り出す。きちんと発動していたプロテスが衝撃を緩和したのに、そいつはわざとらしくイテェ、と声を上げた。
 次の目標は最前の塹壕だ。さきほど走りながら見たそれは、土嚢のほとんどを吹き飛ばされていた。くたびれたそこに榴弾でも投げ込まれたらさすがに無傷ではいられないだろう。長く留まるべきではない。目算では、白兵戦に持ち込める距離まで五百メートル少々というところだった。
「行けるな?」
 簡潔な問いに、全員が迷いなく頷く。火薬のにおいに、襲いくる弾丸に、向けられる殺意に、アドレナリンが分泌される。昂ぶっているのはサイファーも同じだった。ひとたび走り出せば味わえるだろう死線の真上を綱渡りする興奮を待ち兼ねて、胃の腑が跳ねた。
 ここにいるのは人間ではない。死に損なうことに快感を覚えて上の口と股間からだらしなく涎を垂れ流す、気の違った犬たちだった。
 後方に向けて突撃の合図を出す。副官は呆れて苦笑しているだろうか、それとも自分たちを羨んでいるだろうか、馬鹿なことをと怒っているだろうか。どれでも構わなかった。狂犬の筆頭にはもう敵しか見えていない。二度と戻らない熱狂に恋い焦がれる哀れな腐れゲリラども。終わらせてやる。魔女の舞う幻想は永久に失われたのだ。
 研ぎ澄まされた神経が、五感を超人の域に引き上げる。銃口から飛び出た鉛の弾道すら視認できる錯覚に、サイファーは笑った。行くぞ、と言葉に出来たかどうかは自信がなかった。何となれば、今の己は一匹の犬に過ぎないのだから。

 小型の高速艇は波に揉まれて跳ねっぱなしだ。出せる限りの最高速度で飛ばせと言ったのは自分だから文句は言えない。逸る気を押し殺して虚空を見つめる。
 揺れる船室にはスコールの他は誰もいない。隣の席に立て掛けたケースに輝く獅子のエンブレムを手遊びに撫でた。
 指揮官権限はガーデンに残したキスティスに預けてきた。今のスコールは一介の兵士に過ぎない。後は頼む、とだけ言い残すスコールに、キスティスは弓のような眉をわずかにひそめるだけで何も言わなかった。
 サイファー、と胸中でその名前を呼ぶ。いつだったか、Cipherとミススペルされて怒っていた。cipherとは暗号、それを解読する鍵、ゼロの記号、あるいは、無価値なもの。誰が付けた名かは知らないが、随分と危うい意味をも持つ音を名乗らせたものだ。皮肉が効いている。
 サイファー。あんたは暗号ほど難解ではなく、鍵として対応するものは存在しない。ゼロほど深遠でもない。誰もがあんたを無価値呼ばわり出来るだろう。魔女の騎士として傅いて使い捨てられた犬、何も成し遂げられなかった哀れな少年の成れの果て。あんたをcipherと呼びたい奴にはそう呼ばせておけばいい。
 高速艇が船首を上げ、次いでがくりと沈み込んだ。内臓に手を突っ込んで引っ掻き回すような揺れの中、スコールは瞼を閉じて彼を呼ぶ。サイファー。あんたを手離しはしない。可哀想なサイファー。あんたの打った楔がおれをかろうじて人の形に保っているのだと打ち明けたら、あんたはどんな顔をするだろうか。与えられた務めに耐えきれず、極限まで膨張して今にも崩壊しそうな自我を繋ぎ止めるのに、あんたの声と瞳と熱がなければどうしようもないと、そう知ったら。
 死ぬまで明かすことのない事実を仕舞い込んで、スコールは目を開けた。ノックの音と共に、着岸を告げる部下の声が届いた。

 分捕った相手方の塹壕にしゃがみこむ。ダメージレポートの前に、爆弾が残されていないか点検しなければ。指示に従った犬どもは鼻を利かせて、全身を泥と砂でコーティングしながら地べたを這いずった。「無力化」した敵兵を塹壕の外に放り投げる。銃撃はいったん収まった。残党どもは森の奥、村に続く道に逃げ込んだらしい。
「通信機は生きてるか」
 サイファーの言葉に泥人形のひとつが頷いて、腰のバッグから機械を取り出した。受け取ってスイッチを入れると、ノイズが走る。
『……こちら第二部隊、第一部隊からの入信を確認。第一部隊、どうぞ』
「第一部隊サイファーだ。敵陣に食い込んだ。ゲリラどもは村に逃げた。第三部隊と共に進軍しろ」
『進軍了解。被害はありませんか』
「手持ちのケアルで済む。念のため地雷探査機を持って来い。オーバー」
『地雷探査機、了解。合流します。オーバー』
 通信機を投げ返してメンバーを見回す。流れ弾を手足に受けたものが数名、互いにケアルを掛け合っている。サイファーのコートも今や汚泥にまみれ、穴が空き、裾が裂け、なんとも見苦しいことになっていた。手にしたハイペリオンは連射の末にオーバーヒート寸前だ。熱を持った銃身部分に触れた太腿がちりりと焦げた。
「隊長、これを」
 ひとりが差し出したのは、ゲリラが壕に置き去ったマシンガンだ。なんの変哲もないものだが、重要なのはそのグリップに刻まれた紋章だった。
「……ガルバディア軍支給品かと」
「ああ、間違いねえな」
 嫌というほど見覚えのあるそれにサイファーが頷くと、近くの連中がひゅうと口笛を吹いた。ビンゴだ。少なくとも、ガ軍の装備品を横流しできる人間が裏にいるのは間違いない。他にも同じ刻印のある武器をいくつか鹵獲する。
「そこのふたり、物証を後方部隊に引き渡せ。なくすなよ」
「アイ、サー」
「お前ら、もう動けるな? 連中を追うぞ」
 反撃を受けて追い詰められたゲリラが占拠している村に何をするかなど、歴史を紐解くまでもなく明らかだ。掠奪、暴行、強姦、殺戮。腹いせに何の罪も関係もない人々を痛めつけるのだ。森の中で火など放たれてはたまったものではない。
 後続部隊が飛び込んでくる。隊長、と呼びかける副官に、彼の部隊はここでしんがりを守れと命ずる。合流した遊軍に地雷探査機を持たせて、サイファーは壕から這い上がった。

 背後のテントから出てきたのは、新しい衛生班の班長だった。使い捨ての白衣とマスク、手袋を脱ぎ捨ててふうと息を吐く。戦闘員たちが一斉に前進するのを見送った元衛生兵は、鈍重な動きでそれを見上げた。
「きみ、火を持っているかい」
「……すみません、ありません」
 煙草を咥えた班長の問いに、やはりのっそりと首を振る。彼は煙草を吸わなかったし、ジャンクションを外された今、ファイアを差し出してやることもできない。諦めきれない様子の班長は白い巻を弄びながら、戦線を探した。
「……前進したようです」
「そうか、隊長がやったか」
 あの人は本当に無茶ばかりするな、と小さく笑うのに何の返事もできなかった。脳みその代わりに湿った綿でも詰まっているようで、頭がまるで働かなかった。
 班長がある名前を告げた。感染者の中でも症状が重く、あるだけのエスナを注ぎ込んで何とか保たせていた患者だった。
「今、亡くなったよ」
「……そうですか」
 死んだ男は同期だった。親友というほどではなかったが、仲間うちの飲み会では必ず顔を合わせていたし、廊下ですれ違えば立ち話を交わすような仲だった。一度だけ、校庭かどこかで長く話し込んだことがある。何の話をしたんだったか、思い出せない。
「きみの対応が悪かったわけではない、分かっていると思うが」
 立てた膝に頭を埋める元衛生兵に、班長が遠慮がちに言う。ありがとうございます、とでも返すべきだったのだろうか。遠くの森からは銃声のひとつもなく、静かだった。