beautiful beast

 酷い乱戦だ。
 焔を纏って突っ込んでくる拳を受け流し、イミテーションの体勢が崩れたところを掬い上げようとしたガンブレードの勢いを咄嗟に殺して横転する。一瞬前まで自分が立っていた位置を寸分違わず切り裂く斧の重さと鋭さに、スコールのうなじの産毛がぞくりと逆立った。
 飛んでくる光球を跳ね返して跳躍し、蠢くイミテーションを数える。視界の悪い森の中だ、見えていないだけで気配はある。耳障りな雄叫びと共に再び飛び込んできた幻想——ティーダの父だという男を模した結晶体を切っ先で捉えて、連撃を叩き込む。締めくくりに、背後から忍び寄る何かとまとめて吹っ飛ばした。
(これで二体……)
 数以上に厄介なのが練度の高さだった。旅の始まった時とは比べ物にならないくらい模倣の精度が上がっている。
(キリがないな)
 追尾する火球を弾き飛ばしながら義士のイミテーションに向かってガンブレードを振り上げる。獰猛に吊り上がった眦までコピーされたそれの隙を突いて踵を振り下ろす。その瞬間に辺りを見回して仲間を探した。
(バッツが見えないが)
 スコールは最早お馴染みとなった二人、バッツとジタンと共に探索に出ていた。不穏な空気を漂わせるひずみに真っ先に飛び込んだ少し年上の男の姿が、スコールの視界にない。
(ジタンはどこだ?)
 スコールを引き寄せようとするナイフを跳躍して避け、耳を澄ませる。遅いよ、と人を小馬鹿にしたような声が聞こえて、盗賊はそう遠くないところにいるのだと分かった。
 着地したスコールと入れ替わるように、相対するイミテーションが跳ぶ。その原型である彼は地上にあってこそ手強いというのに、そこが模造品のあさはかさだ。氷塊を叩き落とし、降下で無防備になる一瞬を狙ってブレードを叩きつけた。
 がしゃりと音をひとつ立てて壊れるそれを腹いせに蹴り飛ばして、さきほどジタンの声が聞こえてきた方角を目指す。彼は空中を駆けるスピードと手数の多さでは秩序の戦士たちの中でもトップクラスだが、攻撃力はさほど高くない。長期戦になれば不利だ。グリップを握りしめて走る。
 遠目に見えるジタンは、さきほどまでのスコールと同様に複数のイミテーションに取り囲まれていた。形勢は良くない。眉宇を寄せたスコールは、少しでも引きつけるために雷撃を纏わせた弾丸を発射しかけるが——まだ遠い。届かない。
 歯噛みしたその瞬間、イミテーションの群れの中心で闘気が膨れ上がった。ぶわ、と空気を震わせるそれがスコールの髪さえ巻き上げて、ジタンがトランス状態に入ったことを知らせる。衝撃で吹き飛んだ模造品の向こうに、咆哮する獣の姿があった。

「——あのさ、スコール」
 それはアルティミシアと対峙した時だった。スコールが魔女を斬り伏せるのと同時に、紅色の旋風がガーランドを叩きのめす。ジタンのトランスをスコールが見たのはそれが初めてだった。
 スコールのクリスタルとバッツの相棒の羽が導く光を辿りながら、珍しく言い淀むジタンに目を向ける。
「さっきの俺、見たろ?」
「……ああ」
 彼の矜持を表すような伊達な装束を脱ぎ捨て、荒ぶる本能を剥き出しに敵に突進する獣。お調子者で芝居掛かった言動と裏腹に理性的なジタンの変貌に、驚きを禁じ得なかったのは確かだ。
 スコールの半歩前を歩くジタンは、癖なのだろう、腕を頭の後ろで組んだ。尻尾も何気ない風情で揺れている、がそれが躊躇うように、逡巡するように震えているのがスコールには分かってしまった。
「あんま好きじゃねえんだよな、アレ」
「……」
「粋じゃないだろ。スコール、引いたか?」
「いいや」
 普段は一拍置いて返事をするスコールが直ちに応えたのに、ジタンがわずかに目を丸くする。足を止めた彼を見やって、スコールは重ねた。
「うつくしい、と思った。恐ろしくもあったが」
「え、」
「あれがあんたの力なんだ、それを恥じることはない」
「……」
「おれはあんたに助けられた。感謝してる」
「……スコール、おまえさぁ、」
 グローブに包まれた手で口許を覆ったきり言葉を失うジタンに、何か変なことを言ってしまったかとスコールも口を噤む。まだ残る勝利の余韻と、バッツを助けなければという焦りがないまぜになって、気分が常になく昂ぶっている自覚はあった。
 小首を傾げて探るように見つめるスコールを尻目に、頰を紅潮させたジタンがまた歩き出す。ゆっくりと隣に並ぶスコールの、今は空いている右手に尻尾が触れる。反射的に距離を開けようとした瞬間、柔らかなそれがするりと巻きついた。
「サンキュな、スコール」
「……礼を言われる覚えはないな」
「いんだよ、受け取っとけ、ジタン様のありがとうは貴重だぜ?」
 さあて囚われのお姫様を早く助けてやんなきゃな、アイツがお姫様というガラか、そんな軽口を叩きながら、繋いだ手と尻尾は離れなかった。

 ——だからスコールは知っている。ジタンがあの姿になるのを、その姿で闘うのを好まないことを。
 あの時言ったことはスコールの本心だ。鎧の重戦士を叩き潰す彼は、スコールの知る貌ではなかったけれど、闇を裂く弾丸のように強くうつくしかった。
(……ジタン、あんたは、)
 けれどそのうつくしさは、ジタンのものであってジタンのものではない。トランスした彼をうつくしいと感じるのは、それが破壊のために用意された力だからだ。迷いも躊躇いも入り込む余地のない、ひたすらに純粋な終焉の衝動。
(苦しいんじゃないのか?)
 最早スコールの目でさえ追いきれないほどのスピードで一陣の嵐が疾る。表情のないイミテーションたちが、畏怖に支配され砕けてゆく。
 最後の一体が倒れ伏すと、そこに立っているのはスコールとジタンだけだった。スコールは辺りの気配を探り、イミテーションが殲滅されたことを確認する。ともあれ片付いてよかった、と安堵しかけて、立ち尽くすジタンを見た。
「……おい、ジタン」
 彼はまだ獣のままだった。尻尾の毛を逆立て、盗賊刀を握った腕をだらりと垂らしている。やはり無傷ではいられなかったのだろうか。肩で息を吐く彼に歩み寄ろうとした瞬間だった。
「——あああァああッ!」
 耳をつんざく絶叫と共にジタンが高く跳ぶ。吹き飛ばされたスコールは大木に背を強かに打ち付けて呻いた。本能的にかざしたブレードを、スピードを重さに変換した斬撃が襲う。ぎゃりっ、と神経に障る音がして、刀身を支える掌に刃が食い込んだ。
「ジタン!」
 瞳孔の開いた目が血に飢えて輝く。反動をつけて飛び退った紅がすかさず突進した。横転して避けられた幸運に感謝する間もなく、舞う凶器が軌跡をなぞる。
「——ッ!」
 色を失って煌めく刃がスコールの頸動脈を正確に狙う。逃げられない。
 スコールは手を伸ばした。ジタン、もう一度その名を呼んだ。

 ざぐ、と濡れた音と共に、ジタンが動きを止めた。ガンブレードが地面に落ちる。
 脳天を殴りつけられたように目が眩む。激しく打つ鼓動と同じ速度で奔る痛みに肺を押し潰されそうになりながら、スコールはそれでも両腕に力を込めた。
「……スコー、ル……?」
 ずるり、と肩に突き立った刃が抜けた。どうっと溢れ出す血の勢いに気が遠くなる、頰の内側の柔らかい肉を噛んでそれを堪えた。
 ぐらつく頭を預けた細い肩が、いつの間にか滑らかな感触に変わっていた。獣は帰るべき場所に帰ったようだ。冬の空のような瞳が、凭れかかるスコールに焦点を合わせた。
「スコール、」
「馬鹿、だな、あんた……」
「スコール!」
「でかい、声を、……出すな」
 ジタンの声が耳元でわんわんと反響する。笑った膝の力が抜けて、スコールは崩折れた。
「俺、なんで、スコール」
 静かにしてくれ、と言ったのは声にならなかったらしい。天地が回転する。決殺の一撃をかろうじて受けた肩が痛い、痛いを通り越して熱い、なのに指先が冷たい。頰に小石の角が刺さるのが妙にリアルな感触だった。
「なあ、スコール、スコール」
「……死んで、ない」
 繰り返しスコールを呼ぶジタンの声があまりに悲痛に震えていて、場違いにもつい笑ってしまった。その笑みを何と勘違いしたのか、息を呑んだジタンがスコールの身体をひっくり返してがばりと覆いかぶさる。ぼやけて歪む視界が金色に染まって、ああちゃんと元通りのジタンだ、と安心した。
「なあ、スコール、寝るなよ、寝ちゃ駄目だ」
(……だから、死ぬほどの傷では)
「俺、おまえに言わなきゃいけないことがあるのに」
(……あとでいくらでも聞いてやるから、バッツを探してきてくれ)
 残念だが三人の中でまともな回復魔法が使えるのはバッツだけだ。痛いことは痛いとはいえ、ケアルラでもかけてくれればどうということのない傷なのだが。
「なあスコール、頼む、俺おまえのこと、」
 ——そこでスコールの意識は暗転した。

 ふとスコールが気がつくと、そこはテントの中だった。
「目、覚めたか?」
 見上げる視界にひょい、と顔を出したのはバッツだった。あの後、無事に合流できたらしい。こくりと頷くスコールに満足したように笑って、水を差し出す。
「傷は治しといたけど、ちゃんと動くよな?」
 言われたのを確かめるように、傷を負った方の手で水を受け取る。皮膚が引き攣れる感覚はあるが、それだけだ。
「問題ない」
「んじゃーよかったぜ」
 さすがのおれもあれはちょっと焦ったわ、とバッツが肩の力を抜いた。
「どんな修羅場かと思ったもんな」
「……ジタンは何か言っていたか」
「いやもう、半狂乱ってやつだったな。おまえから引き剥がすのに苦労した」
 上体を起こすと目眩がした。相当量の血を失ったらしい。戦闘、全力疾走の直後に動脈を斬られたのだ、無理もない。
「あとで貧血に効く薬、煎じてやるからな」
 立ち上がったバッツがにこりと笑った。前にも飲まされたそのえぐみを思い出して顔をしかめるスコールを尻目に、テントを出て行く。
「おーいジタン、スコール起きたぞ。交替しろ」
 ほどなくして、見るからに落ち込んだ顔のジタンが入ってきた。口をぐっと引き結んで立ち尽くしている。
「……座ったらどうだ」
 仕方なく促すと、スコールの隣に腰を下ろした。いつかと同じように何かを言いあぐねている。ふう、とスコールが溜息を吐くと、びくりと震えた。
「あんたが気にすることじゃない」
 誰かを慰めたり、場を取り繕ったりするのは苦手だ。だからこう言うのがスコールの精一杯だった。乾いた唇を水で湿らせる。
「……でも、」
「おれは生きてるし、あんたを止められた。バッツも無事でイミテーションは片付いた。何か問題があるか」
「でも!」
 声を荒げたジタンの手がスコールの肩に伸びる。もう癒えた傷を恐れるように空を泳ぐ指。
「……おまえを傷つけた」
 俺が、この手で。再び項垂れるジタンの髪が、珍しく乱れている。彼の焦燥と自責が手に取るように分かった。きっと彼は今、唇を噛んでいるだろう。バッツを拉致されたあの時と同じ顔で。
「もう治った。傷くらいいくらでもつくだろう」
 本当のことだ。現にスコールの身体のあちこちにはいくつもの傷痕が走っている。いつどうしてついたのか思い出せない古いものから、傷を負った瞬間の空気の味まで思い出せるようなものまで。
 スコールは傭兵だ。そう記憶している。だから、傷を恥じることはなかった。かといって誇ることでもない。傷は傷だ。ピアニストが手首を痛めるように、研究者が目を悪くするように、傷は戦闘員にとって当然の副産物だった。
 たかが傷ひとつにいちいち特別な意味など見出してはいられない。片付いた任務のことは忘れるものだ。けれど。
「この傷も悪くない」
 俯いていたジタンが顔を上げた。アイスブルーの瞳から逃げるように顔を逸らす。
 言うな、と頭の片隅で冷静な自分が吐き捨てる。それを言ってどうなる。ああ分かってるさ、少し前の自分なら決して言わなかったことだ。にぎやかで暑苦しい連中に感化されてしまったのか。たぶんそうだ。言ってどうなる、だって? どうもならなくたって構わない。ただひとつだけ伝えたかった。疲労と貧血でふらつく頭を小さく振って、打ちひしがれるジタンにだけ、かろうじて聞こえる声で。
「……傷があれば、あんたを忘れない」
 いつか来る別れが近いことを知っている。この世界に来た時にほとんどのことを忘れていたように、戻った時にこの記憶を持って帰れる保証はなかった。
 忘れたくない、と思っていた。覚えていたかった。ここで経験した全てのこと、道を共にした仲間たちのこと、——ジタンのことを。洒落者でタフで情が深くて、その裡に潜む飼い慣らしきれない獣を独り恐れる、尻尾を生やしたうつくしい旋風のことを。
 ジタンが息を呑む。スコールは自分がとんでもないことを言っていたと気づいて唇を噛んだ。足りないはずの血が頭に上ったようだ。ぬるくなってしまった水を煽って何と誤魔化そうか考えるスコールの手首に、柔らかなものが触れる。
「スコール、」
 所在なく毛布を握る手を、ジタンが取る。指をそっと握り込まれた。
「そんなん言われたら俺、調子乗るぜ?」
 いつものように軽妙な、しかしどこか張り詰めた声だ。巻きつく尻尾がくい、と腕を引いて、スコールはジタンの腕の中に収まった。
 あの言葉の続きを聞いてくれよ。耳朶をくすぐる熱い吐息に、そういえば後でいくらでも聞いてやることにしたんだったな、とスコールは思う。少し高い体温、心地よく響く鼓動、愛おしげに髪を梳く手。限りなくゼロに近い距離でも、逃げ出す気には不思議とならなかった。