真っ赤な林檎に唇寄せて

 いい天気だった。
 甘い匂いがするな、と風を受けたバッツが言うと、林檎かな?とジタンが鼻を動かした。彼らの足元でイミテーションが砕けて消えてゆく。
「あっちかな、そんなに遠くなさそうだ」
「ラッキー。行ってみようぜ」
 スコール、こっち。ジタンが手と尻尾で招くのに、渋々の風情を装って、スコールは後を追った。

 この二人との旅は忙しない。あの川まで競争な! と走り出してみたり、リスが見えた! と木登りを始めたり、今日のメシだ! と獣を追いかけ回したり、実に元気なものだった。目的地までまっすぐ行って、与えられた任務を遂行して、まっすぐ帰ってくるのが当たり前だと思っていたスコールが、寄り道が本筋のような彼らのやり方に馴染むのには時間がかかった。
「だってその方が楽しいだろ?」
「楽しいことは多いに越したことないって」
 そう笑う旅人と盗賊に振り回されている。二人から数歩の距離を置いて歩く傭兵は、周囲を警戒しながらいつも通り声に出さずに独り言をこぼす。
(先を急ぐんだぞ)
 三人はクリスタルを手にしたが、他の面々の状況は分からない。彼らと合流しなくてはならないし、均衡を失ったこの世界があとどれくらい保つのかも不明だ。
(効率も悪い)
 遊びまわって寄り道して、その分体力は削られるし、敵に遭遇するリスクも高くなる。
(……だが、)

「ってな、なあスコール?」
 唐突に名前を呼ばれて、はっと顔を上げる。くるりと半回転して器用に後ろ歩きしながら、ジタンが笑った。
「やーっぱ聞いてねえし」
「……悪い」
「いきなり言われても困るよな、スコール」
 おまえはいつもいきなりなんだよ、とバッツがジタンの頭を小突く。仕返しとばかりにジタンの尻尾がバッツの腿のあたりをぱしぱし叩いて、小気味良い音がした。
「だからさ、こんなことばっかしてたら、俺らスコールに愛想尽かされちゃうんじゃねえかな?ってハナシ」
「は?」
「おれとジタンがあっちこっちフラフラしてるだろ、それでもちゃんと付き合ってくれるからありがてえなあって思ってさ」
「今まさに横道に逸れてる俺らの言えることじゃないけどな」
 違いない、とまた二人で顔を見合わせて笑っている。その向かいでスコールはたいそう居心地悪く視線を彷徨わせた。
「べつに、」

 それも悪くない、と思ってしまったのだ。先を急ぐし、なのに効率が悪い旅をしているのも確かだ。それが本当に気に入らないなら、旅の始まりにそうしたように、自分独りで行くと決めて二人から離れればいい。そうしなかったのはスコールだ。わけのわからないお祭り騒ぎのような毎日にあくまでも渋面を作ったまま、それでもバッツと食事を用意し、ジタンと整えたテントに眠り、順番に夜の見張りをする。
 誰かに、楽しいか、と聞かれたら、疲れる、と間違いなくそう答える。それでも、スコールは今日も二人と目覚め、二人と歩き、二人と飯を食い、二人と眠るのだ。

 べつに、のあと、不明瞭に消える語尾を聞き逃す二人ではない。ふっと笑って動いたのはジタンが先だった。
「ま、つまり、さ」
 役者らしく大仰に手を広げ、棒立ちのスコールの目の前に跪く。左胸に緩く握った拳を当て、もう片手のグローブを脱いで差し出した。
「愚かな我らを哀れに思ってくださるのならば、きみよ、この旅路の果てまでどうか共に」
 ぱちくりと目を瞬かせるスコールの前に、ジタンをそっくり真似たバッツも並んだ。
「果てのその先まで、どうか、きみの情けを我らに」
 さあ、と揃って両手を取られて、スコールは硬直した。にやりと二人が笑う。慌てて振り払って、腕で顔を覆った。顔が熱い。
「あれ、意外と効いた?」
「っばかを言うな、」
「でもほんとのことだもんなー」
「なー」
 すたすた歩き出すジタンの尻尾が機嫌よく揺れている。行こうぜ、と今度は邪気なく笑ったバッツがスコールの肩を叩いた。

 バッツが気づき、ジタンが辿った甘い匂いは、もうスコールにも分かるほど近くなっていた。こりゃ腹一杯食えそうだな、誰が一番多く穫れるか競争な、そりゃおまえが有利だろ、と軽口を叩き合う二人を追いながら、スコールは胸にひっかかるものを探っていた。
 この旅路の果てまで。そうだ、この旅には終わりがあって、どんな形であれ終着を迎えれば、自分たちは一緒にはいられない。それぞれに帰るべき場所があって、その世界は互いに交わらないのだ。どれだけ寝食を共にしても、背中を任せ合って闘っても、別れは必ずやってくる。その果ての先のことなど何も分からない。

 終わりの向こう側で、自分は覚えていられるだろうか。バッツの無邪気な笑顔を、ジタンの少し高い笑い声を。

「……ール、スコール」

 彼らは覚えていてくれるだろうか。無愛想で不器用な自分のことを。

「おーい、スコールってば」
 は、と目を上げると、目の前でバッツがひらひらと手を振っていた。おかえり、と笑う。
「やっぱり林檎だぜ」
 ほら、と指差す先に、大ぶりの赤い実をたわわにつけた木があった。漂う香りはいよいよ鮮烈に鼻腔を刺す。ジタンが軽やかに枝に飛びついた。
「ジタンが取って落としてくれるから、俺らは拾う係な。がんばろーぜ」
「ああ……」
 いっくぞー、さあ来い!と弾む二人の声を聞きながら、スコールも一旦は考えを保留して顎を上げた。

 樹を傷めないように、鳥や虫たちの取り分を奪わない程度に、それでもスコールの両手に余るくらいの林檎が穫れた。
「おっ、甘いなあ」
 早速かぶりついたバッツが感嘆の声を漏らす。どれどれとジタンも白い歯で噛み砕いた。
「スコールも、ほら」
 投げられた実をキャッチして、まだぼんやりしているスコールを、二人が挟むように座った。
「あのなスコール」
「大丈夫だって」
「……何が」
「なーんでも?」
 彼らは気付いただろうか。スコールが内心にひた隠す恐れと寂しさに。聡いふたりだから気づいたかもしれないし、案外そんなことは考えもしないかもしれない。ただ、この先のことに言いようのない不安を覚えているのは三人とも同じで、だからこうしてことさらに距離を縮めて、互いの肩が触れ合う近さで寄り添っている。それだけはスコールにも分かっていた。

 たぶん、三人揃って同じような感覚を持て余している。そのくせ、誰もそれを吐露しない。無邪気な子供じみた笑い顔で、気障で芝居掛かった仕草で、不機嫌に顰めた眉と眇めた目で、抱えた憂虞を何とか覆い隠す。きっとそうだ。どこまで延ばしても決して交わらない平行線のように。

 スコールの色の薄い唇が林檎の赤を映す。しゃく、と歯を立てた実から、胸を締め付けるように甘酸っぱい香りが立った。
 いい天気だった。腹が立つほどに。