内祝い

 やあこんにちは、僕はモブ・モブルソン。WRO戦略部の新人さ。昨年夏にインターンとして採用されて、この春から正式に局員として働いている。
 WROのことは知ってるよね? そう、三年前のあの災厄で痛めつけられた世界を立て直すために、局長リーブ・トウェスティ氏のもと日夜奮闘している組織だ。もちろん簡単なことばかりじゃない。でも、だからこそやりがいのある仕事だよ。僕がWROに正式採用された時、田舎のおばあちゃんだって喜んでくれたんだ。がんばらなくちゃね。
 仕事は忙しいけど、同僚はみんないい人たちばかりだ。災厄の影響で大学を中退せざるを得なかった僕にはまだまだ出来ることが少ないけれど、失敗しても責めるより励ましてくれる仲間たちと一緒だからすぐに立ち直れる。特に戦略部は頼れるメンバーばかりだ。これもみんな、局長の人柄のおかげかな。
 今日も僕らは忙しかった。半年前、旧ミッドガルで発生した大規模な戦闘行為――残念だけど、詳細は不明だ。部長に聞いてもはぐらかされるので――の影響で、エッジの発展計画を見直さなくちゃならなくなった。避難所生活を送る人もまだ少なくないから、衣食住の配分にはいつも頭を悩まされてる。
「モブルソンくん、ちょっといい?」
「はい、部長」
 僕は作業の手を止めて立ち上がった。おっと、その前にデータを保存しておかないとね。少し厄介なクエリを組み終わるところだから、これが吹っ飛んだら二時間がパアだ。
「お待たせしました、何でしょうか」
「ありがとう。あのね、昨日用意してくれた資料、早速局長に提案に行きたいの。悪いけど、スケジュール押さえてくれる?」
 部長の言葉に、僕の胸は跳ね上がった。入局して初めて、自分がリードして作り上げた提案資料だ。入り組んだエッジの物流システムの効率化。あれを完成させるために先週は徹夜までしたんだ(別に誰かに急かされたわけじゃなくて、僕がのめり込んでしまっただけだけど)。部長レビューの感触は悪くなかったから期待してたけど、まさかこんなに早く局長に提案できるなんて。
「モブルソンくん?」
「わっ、すみません! 分かりました、ええと、局長と部長のスケジュールですね」
「それと、あなたもね。いい? 私は最小限のフォローに留めるから、あなたが説明するのよ」
「えっ、でも……」
「だってあなたの提案だもの。大丈夫、いい内容よ。胸を張って。じゃあ、お願いね」
 資料にいくつか細かいミスがあったから修正しておくように、と赤入りのプリントアウトを貰って、僕はなんだかふわふわする足どりで席に戻った。すっかり座り慣れた椅子に尻を落とすと、隣の先輩が握った拳を差し出してくれる。
「やったな、モブ」
「はあ……き、緊張します」
「今からか? 安心しろよ、局長、めちゃくちゃいい人だぜ」
「それは聞いたことありますけど」
 取り急ぎ、局長のスケジュールを確かめるために秘書さんに連絡しなくては。内線番号を調べながら、だんだん胃が痛くなってきた。
 局長と直接話をする機会はあまりない。面接の時と、正式採用が決まった時くらいだ。あとはオフィスでたまにすれ違う程度。それだけでも、局長がとんでもない人格者だってことがわかる。例えば、向かいの席の先輩。お母さんが体調を崩されたそうで、一時期は退職も考えていたけれど、局長の一声で在宅勤務が認められた。それに、この間お子さんが生まれた経理の人のところには、豪華な生花つきでお祝いが贈られたそうだ。
 いつも穏やかで、笑顔で、心配りを忘れない。あの人が昔、神羅の幹部だったということで口さがないことを言う人もいるけれど、間違いなく僕の尊敬できる人だ。だからこそ、僕は不安だった。
「……がっかりされたらどうしよう」
 僕の提案に穴があって、そこを指摘されたら。あまり魅力的な提案に聞こえなかったら。残念だけど、これでは動かせないね、と眉を下げる局長の顔を思い浮かべたら、途端に恐ろしくなった。
「おーいモブ、余計なこと考えんな」
「……」
「いいか、おまえの提案は部長がオッケー出したんだぞ。おまえ、部長が無能だって言いてえのか?」
「そっ、そんなわけじゃ」
 僕は慌てて先輩を振り返った。ペンを回しながらデータをチェックしている先輩は、ちらりとこっちを見て笑う。
「しょぼくれた顔してねえで、当たって砕けてこい」
「……やっぱり、失敗するみたいな言い方じゃないですか」
「ばーか。少しの穴なんてな、局長とディスカッションすりゃ何でもなくなっちまうっての。あの人の肩借りてけ。楽しいぞお、局長との打ち合わせ」

 ものすごく早口の秘書さんいわく、局長は明日の金曜と来週の月曜はお休みだそうだ。火曜のお昼前なら一時間空いてますけど、と言われて、じゃあそこでお願いします、と電話を切る。助かった、これで週末も使ってたっぷり予行練習ができる。
 急ぎの案件だけ片付けて、僕は提案の準備に集中した。月曜には部長と先輩に付き合って貰ってリハーサルもして、ドキドキしながら火曜を迎えた。
「モブルソンくん、リラックスしてね」
「はいっ」
 局長室に向かいながら、右手と右足を同時に前に出しそうになる僕を見て部長がくすくす笑ってる。参ったなあ、僕、本番には弱いんだ。もう少し心の準備をしたかったけれど、あっという間に目的地に着いてしまった。
「局長、戦略部です。失礼します」
 こっちの気持ちなんか知らん顔で、部長が部屋に入ってしまう。深呼吸の時間くらいくれてもいいのに!
「ああ、ご苦労様です。どうぞおかけください」
 中に入った僕の目にまず飛び込んできたのは、局長の背後にどっかり座り込んでいるデブモーグリの大きな姿だった。なんだろう、子供向けの催し物にでも使いそうだ。
「何か飲みますか? コーヒーくらいしか用意出来ませんが」
「お構いなく、局長。今日は秘書の方はお休みなんですよね」
「ええ、ですがケット・シーがいますから。ああモブルソンくん、お元気そうで何よりです」
「は、あ、はいっ!」
 どうしよう、こういう時って僕が動いた方がいいんだろうか。でも局長の部屋で勝手に動くわけにも、と躊躇していると、キチネットから何かが顔を覗かせた。
「あっ、部長さんやん。お久しぶりやなあ、そのスーツよう似合うとるね」
「ありがとうケット・シー、お気に入りなの。せっかくの部下の初舞台だからね」
「ははあ、なるほど〜」
 わ、なんだあれ。見た目はぬいぐるみの猫なのに、動いてる、喋ってる。ていうか部長、知り合いなのか?
「そっちのお兄さんが期待の新人くん?」
「あら、モブルソンくん、彼に会うのは初めて?」
「ええと……はい……」
 なんなんだ、これ。頭のてっぺんに王冠を乗せて、マントを着て、まるでお伽話みたいだ。そいつは思考回路がフリーズして立ち竦む僕の前までとことことやって来ると、白手袋に包まれた右手を差し出して確かに笑った。
「はじめまして、ボクはケット・シー。WROのマスコット兼、リーブはんの優秀なアシスタントってとこやろか。よろしくな」
「自分で言いますか? それ」
「ええやん、こういうのは掴みが大事なんやって。なあ、新人くん」
「はあ……」
 条件反射で握手だけは交わしながら、ついそのぬいぐるみをじっと見つめてしまう。つやつやの毛並み、ぴくぴく動く鼻、ゆらゆら揺れる尻尾。まるで生きているみたいだ。そういえば、この間姪っ子にねだられて――僕には歳の離れた兄がいて、姪っ子は今年で五歳になる、今は関係ないけど――読んであげた絵本に、こんなキャラクターがいた気がする。
「モブルソンくん、自己紹介は?」
 パニック寸前の僕を面白そうに眺めていた部長に肩を叩かれて、慌てて背筋を伸ばした。握ったままだった手に思わず力が入る。
「あっ! もっ、モブ・モブルソン、戦略部所属です! この春に入局したばかりでご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします!」
「おおっ、元気ええなあ。でも手ぇ痛いから、ちょっと緩めてくれる?」
「わあっ、すみませんっ」
 局長はくすくす笑いながら一部始終を見ていたけど、挨拶も済んだところで、そのぬいぐるみ――ケット・シーにコーヒーを三人分頼むと、打ち合わせスペースに僕らを手招いた。
「まあ、細かいことは気にせずに、ああいうものなのだと思っておいてください」
「はあ」
「はいはい、コーヒーお待たせしましたぁ」
「どうもありがとう、ケット・シー」
 なめらかな動きでコーヒーカップを並べてくれたケット・シーは、打ち合わせの間はパトロールだと言って部屋を出て行った。例のデブモーグリの肩に跨って、ぴょんぴょん跳ねながら去ってゆく。
 WROに入ってもうすぐ一年、僕にはまだまだ知らないことだらけだ。
「さて、モブルソンくん。早速だけど提案をお伺いしましょうか」
「はいっ、よろしくお願いします!」
 机の上で指を組んだ局長が微笑む。僕は深呼吸をひとつして、意識を集中させた。

「……では、先程検討をお願いしたバックアッププランも併せて、来週またお話ししましょう」
「はい、ありがとうございます」
 局長からのフィードバックを漏らさずノートに書きつけながら、僕は感動さえしていた。
 すごい、やっぱり局長ってすごい人だ。僕の拙いプレゼンをじっくり聴いてくれて、途中で話の腰を折るようなことはしなくて、質疑応答は視点が鋭い。でも不備や甘さを責め立てるんじゃなくて、どうしたらもっと良いプランに出来るか一緒に考えてくれる。いや、一緒に考えてるんじゃない。局長には答えが見えてて、そこに僕が辿り着けるようにディスカッションしながら導いてくれてるんだ。
「いやはや、入局してすぐにここまでの提案が出来るとは。戦略部は安泰ですね、部長」
「ええ、おかげさまで。こんなに良い人材をうちに頂けて感謝してます」
「素材もですが、育成が実りましたね。僕も安心です」
 自分が褒められていると思うとむず痒い。部長は得意げな顔を隠そうともせずに笑っている。資料をまとめていると、局長と目が合った。にっこり、と擬音がつきそうなくらいの笑顔を向けられて、また僕は固まってしまう。
「へいへ〜い、みなさん、お昼の時間やで〜」
「おや、もうそんな時間ですか」
 扉が開いて、ケット・シーが戻ってきた。時計を見ると十二時を僅かに回ったところだ。いつもだったら腹が減って仕方ない頃合だけど、今日ばかりはそんな気分にならなかった。胸の方がいっぱいだ。
「そうだ、お裾分けがあるんですよ」
「お裾分け?」
「ええ。お二人とも、お赤飯好きですか?」
 いきなりな質問に目を瞬かせる。さすがに部長も戸惑ってる。
「大好きですが……どうしたんですか? どこかから頂き物ですか?」
「ああいや、ちょっとした内祝いみたいなものだと思ってください。作りすぎてしまったので、もらって頂けると助かるのですが」
 その一言に、こっちがのけぞるほどの勢いで部長が身を乗り出した。
「いくらでも! 嬉しい、局長のごはん美味しいんですもの」
「はは、あまり期待しないでください。モブルソンくんはいかがですか? あ、遠慮なく断ってくださいね。お赤飯が好きじゃないとか、人の手作りが苦手とか、そういうこともありますから」
「えと、あの、」
「モブルソンくんが頂かないなら私が二人分頂戴しますから、ご心配なく」
 では持ってきますね、と立ち上がってキチネットに向かう局長を見送る。どうしたんだろう、なんで赤飯?
「……局長って、お料理好きなんですか」
「そうよ、しかもとっても美味しいって評判なんだから」
 毎年のサマーパーティーは郊外でバーベキューで、そこで局長が振る舞ってくれる料理に局員一同が群がるのがお決まりなんだそうだ。そう語る部長の目がきらきら輝いている。そんなの見たら、こっちだって俄然興味が湧いてくるというものだ。
「ねえモブルソンくん、お赤飯苦手? 苦手よね?」
「いや、すみません。大好きです」
「ええーっ。駄目よ、あなたまだ若いんだから、こう肉とか食べた方がいいわよ」
「僕、焼肉と一緒に赤飯食べられるタイプなので」
 僕の分まで掠め取ろうとする部長。いつもお世話になってるけど、こればかりは譲れない。そうこうしている間に、局長が包みをふたつ持って戻ってきた。
「すみません、箸があると思ったんですが見当たらなくて」
「大丈夫です!」
「ありがとうございます!」
 ずっしり重い赤飯を受け取る。ようし、昼は食堂で済ませて、今夜はこの赤飯だ。憧れの局長のお手製なんだから、じっくりありがたく頂かなくては。
「それでは来週の打ち合わせもよろしくお願いしますね。楽しみにしてます」
「はいっ! がんばります!」
 僕と部長は連れ立って部屋を退出した。出がけにケット・シーが「ぼなぺちー」と手を振ってくれていた。
(……あれ、内祝い?)
 確か部長がそう言っていた気がする。何かめでたいことでもあったのだろうか。聞きそびれてしまったけれど、それは次回のお楽しみにしておこう。
(やっぱり局長、かっこよかったなあ)
 きりっとしたまなざしを思い出す。自分もいつかあんな人になりたい、そのためにもっともっとがんばろう。僕は資料と一緒にお赤飯を抱き締めて、少し大股で廊下を進んだ。

「しっかし、五合は炊きすぎやで」
「ははは、そうですねえ。ついうっかり」
「何がうっかりや、二合分のもち米も売っとったやろ」
「そうでしたっけ? 気付きませんでした」
「そもそもや、ホンマに赤飯炊くアホがどこにおんねん」
「まあちょっとしたノリというか……おめでたいことに変わりはないわけですから、いいじゃないですか」
「浮かれすぎやでオッサン」
「手厳しい」
 へらへら笑うリーブの顔といったら、「やにさがる」のお手本みたいで見ていられない。ケット・シーはデブモーグリの肩から飛び上がり、リーブの背中を思いっきり蹴り付けてやった。
「痛い!」
「せやろなあ!」
 ひっかき傷になっているだろうところを狙ったのだ、痛いに違いない。ざまあみろ、と荒い鼻息を吐いたケット・シーは、しかしその痛みにさえへにょりと相好を崩す主の顔を見てがっくりうなだれた。部下を前にした時の顔はどこに置いてきたのだ。
「……そんなに嬉しかったんか、初えっちが」
「そりゃあもう」
 艶やかな黒髪と赤瑪瑙の瞳、雪花石膏の肌が美しいリーブの情人は、その本人さえも驚くほど頑なな身体をしていた。想いを通わせてから数えること七回の試行はあえなく失敗に終わり、その度にひねくれた罪悪感を抱えて縮こまるのを宥めすかし、今度こそはと迎えた八回目。土日では足りないかもと休みを二日も追加して、その三日目、日曜から月曜に変わろうとする深夜、遂に彼らは本懐を遂げたのであった。
 というわけで、WRO内ではリーブとケット・シー以外に理由を知るもののない「内祝い」製作の運びとなったのである。想い人は腰やら何やらの痛みに耐えかねベッドの住人と化していたが、リーブが大量の赤飯を炊き上げたのを見て出て行こうとしたので、今日はケット・シー六号機(もしかしたらあっちが五号機かもしれないが忘れた)を見張りにつけてある。
「今日は早く帰らないといけませんね」
「せやな」
 きっとそうした方がいいだろう。リーブは気づいていないようだが、六号機を通じてモニタリングしているケット・シーは知っている。リーブの愛しい人が、まさに今、「赤飯 アレンジレシピ」というワードで検索をかけていることを。
(焼きおにぎり……まあええか。チャーハン……ギリセーフやな。チーズとホワイトソースでドリア……これは危険な香りがするで。コンソメで煮てリゾット? あかんあかん)
「……リーブはん」
「なんですか、ケット・シー」
「夜に向けておなか空かしといたほうがええで」
「? どうしてですか?」
「どうしてでもや」
 それとボク、今日は帰らんからな。それだけ言い残して、デブモーグリを置いて部屋を出る。そろそろ近所の猫集会の時間だ。
(すまん、六号機……)
 巻き添えを喰らう同胞の未来に涙を禁じ得ない。まあ、腹を壊すことはないだろう。たぶん。