V.V.V. – 第二章 獣の咆哮

     1

 ヒーリンロッジに行かなくてはならない、と伝えると、ヴィンセントがその長い前髪の向こうから、ぎりりと音さえしそうなほどにリーブを睨みつけた。
「局長殿はお忙しくあらせられるようだな」
「いやあ、外せない義理と言いますか……」
 そんな目で見られても困る。何しろ相手はルーファウスだ、用事があるならこっちへ来いと呼びつけるのは気が引けた。
「義理に埋もれて窒息するぞ」
 そう嘆息するヴィンセントだが、すぐに、時間は、と尋ねてくる。今回も護衛兼運転手を引き受けてくれるようだ。

 ジュノンでの爆弾騒ぎ――結果的に未遂に終わったそれは、市長と警備責任者とも諮り、公には明かさないこととなった――から一週間と少々。表向きはいつもと変わらぬ毎日を送るリーブは、今日も書類とメールと電話と会議に圧殺されかけていた。
 有能な秘書は二日前に復帰した。朝、それはそれは元気のいい挨拶と共にリーブの執務室の扉を開けた彼女は、室内の惨状を見るなり絶叫した。局員たちに、ケット・シーに、ヴィンセントまで駆り出して山積する書類やら何やらを整理し続けていたのだが、結果は無惨なもので、今や郵便物は部屋の隅の段ボール箱から溢れ出すありさまだ。女史が正気を失うのも無理はない。
 新生児抱えた家だってここまでめちゃくちゃにはなりませんよ、と大変説得力のあるお小言を謹んで承りつつ、リーブは決裁待ちの書類とメールを捌くのに集中した。秘書は朝のコーヒーを省略しててきぱきと働き、ケット・シーとヴィンセントを手足のように使って場の収拾に努め、日が暮れる頃には少なくとも床の上は綺麗になっていた。ボーナスものの働きだ。
 恐縮しきりの局長に、女史はいくつかの封筒を差し出した。どれもリーブが目を通すべき通信だ。これはエッジの再建事務局から、こっちはカームの元商工会長から、と次々差し出される手紙の最後の一通が、見覚えのある透かし入りであることにいち早く気づいたヴィンセントは表情を固くした。
「それじゃあわたしはここで失礼しますよ。ケットちゃん、明日はそこの机の上やりますからね。朝九時集合よ」
「へいへーい、お疲れさんでしたあ」
「ご苦労様でした、ありがとうございます」
 嵐のように去っていく救世主の背中を見送る。扉が音を立てて閉じる前に、ヴィンセントが例の封筒から記録媒体を取り出していた。
「……同じものですね」
「ああ。ケット・シー」
「ちょお休憩しましょうよ、ボクへとへと」
「リーブ、こいつは一人前に乳酸が溜まるような構造をしているのか」
「あっ、ヴィンセントはんそれは失礼やで! ケット・シー差別や!」
「やかましい、今何号機だ」
 ええと、八やったかな、九やったかも、と芝居がかった目つきで指を折り始めるケット・シーの額に、ありふれた見た目の媒体が投げつけられる。どこにでも売っているような安価な記録媒体、そのチップに刻まれた一と〇の羅列は何を告げようとしているのだろうか。
 渋々といった風情を隠そうともせずに、ケット・シーが前回も使ったラップトップを引っ張り出す。立ち上げて、媒体を接続するまでが彼の仕事であとはリーブの出番だ。前回と同じ面子に同じ流れ、違うのは暗号化された文面だけだろう。
「……はい、できました」
 造作なく解読を完了し、画面を差し出す。リーブの執務机に行儀悪く尻を預けていたヴィンセントが、その暗褐色の瞳を素早く走らせた。脅迫状、曰く。

   『超新星は事象の地平面に呑まれた。
    大いなる空洞の帰還に祝宴を捧げよう。
    餞は獣の咆哮、僭主の生き血が華を添える』

「……なんや、相変わらず気障ったらしいなあ。ボク、こういうのは好かん」
「おまえのおみくじも大して変わらん気がするが」
「なーんか今日のヴィンセントはん、ボクへの当たりキツくあらへん?」
「被害妄想甚だしいな」
 重苦しい雰囲気を誤魔化すように、ケット・シーがひときわ騒がしくまくし立てる。その気遣いをありがたく思いつつも、リーブは笑うことが出来なかった。
「……ヴィンセント、僕の仮説を聞いて頂けますか」
 猫の手に頰を突かれていたヴィンセントが、リーブの言葉に応えて頷く。それはあの爆弾騒ぎの時から、思考の隅にへばりついて離れない予感だった。
「犯人の狙いは、あなたなのかもしれない」
「……根拠は」
「あの爆弾はあなたでなくては解除できなかった」
「とも限らん。タークス経験者ならば誰でも可能だ。モールス信号が必修だった世代に限られはするが」
「理屈はそうでしょう、でもあの会場にそんな経歴の持ち主があなた以外に存在する可能性はとても低い」
「私がいたのだって偶然だ」
「いいえ、偶然ではありません。僕をああして脅せば、あなたが何らかの形で関与してくることは、僕の現在を少し探れば想像できることですから」
 どこの誰とも分からない人間にプライベートな生活を探られていたのだと思うとぞっとしない。しかし、リーブに危害を加えようとするのなら当然そのくらいやるだろう。ましてや、あれほど精巧な時限爆弾を用意した人間だ。こうしていちいちメッセージを寄越すことといい、その執念は決して軽視できなかった。
「しかし、私があのタイミングで戻ってきたのは偶然だぞ」
「そうですが……」
「せやかて、なんかあったらリーブはんもヴィンセントはんに連絡取るやろ?」
「私が通信可能な場所にいればな。今回はコスモキャニオンにいたから、数日遅ければ連絡の取りようがなかった」
「ヴィンセント、胸を張ることではありません」
 彼がコスモキャニオンにいたとは知らなかった。まったく、これを機にこのひとの節操のない放浪癖も少しは落ち着いてくれるといいのだが。
 話が脱線しかけたところで、不意に卓上カレンダーが視界に入ってきた。赤く丸をつけた日付、小さく書かれたイニシャルに、リーブははっと息を呑む。
「……いいえ、ヴィンセント。あなたはちゃんとあの日帰ってきた。間違いなく」
 その言葉に、彼も一拍置いて、そうか、と呟いた。さらに数秒後、ケット・シーも思い至って声を上げる。
「せや、ユフィはんの誕生日や!」
 あのメテオ戦役を乗り越えた仲間たちは、互いの誕生日を再会のいい理由にしていた。春にはティファの、夏の盛りにはクラウドの、そんな風に順繰りに回ってくる誰かの生まれた日には、何か事情がない限りはエッジのセブンス・ヘブンを貸し切りにして集まるのだ。ティファが腕を振るった料理を囲み、近況を報告し合いながら酒を酌み交わす。当のヴィンセントの誕生日だって、一月半前に盛大に祝ったばかりだった。
 十月から十二月は毎月誕生日が続く。十月はヴィンセント、十一月はユフィで十二月はバレットだ。いっそまとめてしまっては、と誰もが思うだろうが、誰も言い出さない。結局は仲間たちと顔を合わせて騒ぐ口実が欲しいだけなのだ。その愛おしい会合のひとつとなるはずだった今年のユフィの誕生日会は、直前でキャンセルされていた。
『成人の節目だからって、親父がうるさくてさあ! 今年こそは、ぜえったいにウチにいろって言うの! だからゴメンね、アタシの誕生日、今年はバレットのやつと一緒にしてくれる?』
 父親への文句が八割、用件が二割のユフィの話をまとめるとそういうことになるらしい。定例会を断るのがよほど気に食わなかったのか、それとも誕生日を親と過ごす気恥ずかしさをごまかすためか、いつも以上の早口でまくし立てていたと苦笑するティファが会合のキャンセルを伝えてきたのはユフィの誕生日の五日前、ちょうどその日ヴィンセントは戻ってきた。ジュノンのパーティはその二日後。
 全てが偶然なのだとは、もう思えなかった。口許に手を当てて考え込むヴィンセントも、リーブの仮説を捨て置けないようだ。ケット・シーも神妙な顔で押し黙っている。
「それに、今回の文章は私をターゲットにしている感じがしません。そう思いませんか」
 モニターに表示された脅迫文を、三対の瞳がなぞり直す。「僭主」がリーブを指すことは、前回の文言――「世界の簒奪者に報いを」――と併せてみれば明らかだろう。問題はその前の一文だ。
   『大いなる空洞の帰還に祝宴を捧げよう』
「これはあなたのことです、ヴィンセント。恐らくは、タークスだったあなたの」
「……妥当な推理だな」
 神羅という巨大に過ぎたシステム、その影を暗躍するのがタークスだ。
 彼らの存在は公には隠匿され、構成員たちがどのような任務を負って動いているかを知るものはごく一部に限られた。当時、幹部の一翼を担っていたリーブでさえタークスへのアクセス権限はなかったのだ。特命によって動き、時には汚れ仕事さえ請け負う特殊工作部隊。それは確かに空洞と呼ぶにふさわしい、底知れぬ不気味さを孕んだ組織だった。
 そのタークスにおいて、数十年の時を経てなお伝説と称される唯一の男、ヴィンセント・ヴァレンタイン。彼の手にかかって処理されなかったのはニブルヘイムの神羅屋敷で起きたあの事件だけ、それを境にタークス・オブ・タークスはふっつりと消息を絶った。
 しかし、消失したはずの空洞は、今ここにいる。空洞であることをやめ、身に宿した混沌と決別し、見失った時の流れを取り戻したひとりの人間として。
「つまり、リーブはんはヴィンセントはんを狙うダシに使われとるってこと?」
「人を出涸らしみたいに言うのはやめてください」
「そこまで言うてへんやん、被害妄想甚だしいで」
 先刻のヴィンセントの言葉を流用して場を和ませようとするケット・シーの気遣いに、ふたりは曖昧に笑った。ややあって、ヴィンセントが口を開く。
「しかし、おまえを傷つけるのも同じく目的なのだろうな」
「そうですね、生き血とまで言われてしまいましたから」
「ずいぶん欲張りな犯人やね」
「まったくだ、この対価は高くつくぞ」
 犯人は何らかの理由でヴィンセントに執着しており、同時にリーブに恨みを抱いている。それはどうやら確からしい推測だった。
 分からないのは誰が、何故、の部分だが、この脅迫状の送り主が元タークスだというヴィンセントの読みに従えば、彼に執心するのも分からないではない。ツォンたちより数世代前の人間であれば骨の髄から神羅に心酔していたことも想像に難くはなく、リーブを憎むことにも説明がつく。
「とっとと本人にお出まし願いたいものだな」
「そうですねえ」
 であれば話は早いだろうが、そう単純な相手でもないだろう。ケット・シーの揶揄する通り、いささか詩情に酔い過ぎた感のある文面は、犯人の蛇のように狡猾で陰湿な雰囲気を漂わせていた。
 長期戦にならねばいいが、とリーブは嘆息した。世界再生機構の局長が、その物腰ほどは気が長くないと知るものは少ない。

     2

 脅迫されていようが、近いうちに事件が起こると分かっていようが、家に引きこもって震えているわけにはいかなかった。怯えて見せるのは犯人をつけ上がらせるようで気に食わないし、そもそも、自宅やオフィスに閉じこもっているのはリーブの性に合わないのだ。だからヒーリンロッジのルーファウスから呼び出しがかかった時、内心浮き立ってしまったのも無理はない。
「何の用件なんだ」
「さあ、相談があるとしか伺ってません」
 ヒーリンに向かう道は未舗装の部分も多く、今日の車は四駆だった。転がる小石をごとごとと踏みながら、前回同様ヴィンセントの運転で車は走る。すれ違う車はほとんどなく、静かだった。
「それでわざわざ出向くのか、人が良すぎるぞおまえは」
「ははは、いやあ」
 気晴らしに利用させてもらったとは言いづらい。せっかくヴィンセントが同行してくれることだし、一泊してのんびりしたっていいくらいだ。
 とはいえ、リーブが出向くことに決めた理由はもうひとつあった。ツォンたちに話を聞いてみたかったのだ。都市開発部門が閑職に追いやられていた都合上、リーブはタークスとの関係が深くない。通り一遍のことを知ってはいても、内情などは分からないのだ。ヴィンセントの推理によれば犯人はツォンとも関わりのない人物だというが、彼らとて諜報のプロなのだから、元とはいえ身内の所在くらいは把握していると期待したかった。
 ルーファウスと約束した時間まで、あと三十分ほど。車は聳え立つ崖の下、緩いカーブを描く道を走っている。ヒーリンロッジまでは残すところ二十キロ弱の道のりで、このペースならば余裕を持って到着できそうだと運転手は言う。
「何事もなければな」
「そういうこと言うと、本当になりますよ」
 そう混ぜ返すリーブに、信心深いことだとヴィンセントが苦笑しかけた、その時だった。
「……ッ!」
 ばらばら、と音を立てて石礫がフロントガラスを叩いた。ボンネットに降り注ぐ石ころが跳ねて視界を遮り、同時に、重い何かが崖を滑り落ちてくる荒々しい音。
「掴まれ!」
 急ハンドルを切り、ヴィンセントがアクセルを全開に踏み込む。暴れ馬のように車体を大きく振り、四駆の鈍重なボディがスピンする。舌を噛まぬようにと奥歯を喰いしばるリーブには、何も見えない。
 タイヤが裂けるような音を立てて、車は四五〇度回転した。ヴィンセントの右手が素早く動き、芸術的な手捌きでギアを操る――感嘆する余裕はなかったが。
「来たな」
 ようやっと静止した視界に、砂埃を巻き上げるピックアップトラックが辛うじて見えた。息を呑むリーブの頭を、ヴィンセントの掌が乱暴に押し下げる。フロントガラスに蜘蛛の巣のようなヒビが入ったのは、ほとんど同時だった。
「頭を上げるなよ、リーブ」
 ヒビの中心目掛けて、ヴィンセントが銃のグリップを叩きつけた。ばしゃん、とバケツの水をぶちまけたような音が響き、フロントガラスが大破する。一斉に流れ込んできた冷たい空気に、首筋が逆立つような寒気を覚えた。
 いくつもの発砲音が重なる。だんだんだん、と重く腹に響くのはヴィンセントのケルベロス、ぱらぱらと軽く散らばるのは襲撃者のマシンガンだろうか。リーブは身を伏せたままシートベルトを外し、護身用のリボルバーを握り締めた。戦闘の役には立たなかったとしても、自分の身くらいは守らなくては。
「――ブリザラ」
 短い詠唱と共に、白く輝く氷塊がピックアップトラックを包み込んだ。真冬の嵐が一帯を覆い尽くす。凍てつく空気が弾ける瞬間に、ヴィンセントの手がリーブを車から引きずり下ろした。身体のあちこちをギアやハンドルにぶつけたが、痛みを感じる余裕はない。
 ピックアップトラックに対して直角に停止した四駆の陰に蹲る。氷漬けにされたくせに元気な連中は、再び鉛玉を撒き散らし始めていた。飛来する弾が車体に当たり、耳障りな金属音を響かせる。ヴィンセントが強く舌を打った。
「ガ系を持ってくるべきだったな」
 その言葉にリーブが応じる間もなく、ヴィンセントが再装填を終えたハンドガンの引き金を引く。
 数発撃っては頭を引っ込めるヒット・アンド・アウェイ方式は、多勢に無勢のこの場合は決して悪い手ではない。彼の狙撃スキルをもってすればなおさらのこと、ヴィンセントが出て戻る度に向こうからは悲鳴や罵倒が聞こえてきた。しかし、決定打というにはまだ弱い。
「埒が明かんな」
 呟いたヴィンセントが、ハンドガンで応戦する手は止めぬまま後部座席の方に移動する。流れ弾に当たらぬようタイヤの陰で縮こまるリーブが見守る中、彼は素早くドアを開けて何かを引っ張り出した。
「リーブ、銃はあるな」
「ありますが、」
「空に向かって撃て。時間を稼ぎたい」
 何故、と問う間などなかった。懐で握ったままだったリボルバーを抜き、車体のフレームに隠れるよう腕を伸ばす。でたらめな発砲は音だけは立派だった。賑やかしには一役買っている。
 その間、ヴィンセントは何かを組み立てているようだった。がちん、がしゃん、と小気味いい音に、何となく嫌な予感がする。具体的には、にんまりと笑う猫の顔が脳裏を過ぎっていた。
(まさか……)
 一週間前の記憶が甦る。例のパーティにヴィンセントが参加すると言い出した時の会話だ。
 ――小型のバズーカくらいまでやったら用意できますよって、いつでも言うてください。
 装填数いっぱいを撃ち尽くしたリーブが目を向けると、ちょうどヴィンセントは作業を終えたところだった。つまり、携帯式対戦車ロケット弾発射器、俗に言うロケットランチャーの組み立てを。
「ヴィンセント、」
 リーブの呼びかけは、霰のように降ってくる敵方の発砲音に掻き消される。質より量と言わんばかりにめくらめっぽう撃ちまくる連中の方を見やったヴィンセントの唇が、美しい弧を描いたのをリーブは見てしまった。
 仮にも「対戦車」と銘打っているものを、生身の人間に向かって撃つのは果たして国際法規上いかがなものなのか、などと思考が明後日の方角に飛んでゆく。滑らかな手つきで弾を装填したヴィンセントが、すでに放心状態に近いリーブの上着の裾を踏みつけた。
「そこを動くなよ」
 ――ああ、ヴィンセント、そんなに楽しそうなあなたの顔を見るのは、そうですね、あなたの誕生日パーティ以来かもしれませんね。そんな顔出来るんだったら、僕にももうちょっと頻繁に笑いかけてくれてもいいんじゃないですか。仮にも彼氏なんだし。一昨日のレストランだって、けっこう苦労して見つけたお店だったんですよ。ワインだってちょっといいやつ頼んだのに、その時よりも今の方が唇のカーブが急だっていうのはどういうことなんですか、ヴィンセント、あなたというひとは本当に――
 ボンネットに乗り上げた砲身が、文字通り火を噴いた。目も眩む閃光に数瞬遅れて、世界が炸裂する、大地が揺れる、悲鳴が響く。リーブが強く目を瞑ったのは、飛び散る砂に目を潰されないためだったか、あるいは目の前の現実から目を背けるためだったのかは、本人でも判然としなかった。

     3

 ヴィンセントの放ったバズーカ砲は敵陣の真ん中、すなわちピックアップトラックに着弾し、砲弾の炸裂に加えてエンジンを誘爆させたことで一連の戦闘を終結させた。死者、ゼロ。重傷者、七名、イコール襲撃者の総員。あれだけの爆発をもろに喰らっておきながら、現時点では誰も死んでいない。奇跡という他なかった。
 満足げな表情でランチャーを転がしたヴィンセントは、リーブに救援要請を出すよう命じると、すぐさま襲撃者たちを捕らえにかかった。時折緑の光が広がる。ケアルをかけてやっているのだろう。電話で最寄りの警察と救急、ついでに自分の部下に連絡を入れていたリーブは、ランチャーの先端に王冠を被って笑う猫の絵が刻まれているのを見てがっくりと脱力した。
 仲がいいのはけっこうだが、物事には限度というものがある。この一発のおかげで事態が早々に解決できたのだから、文句は言えないが。
「誰の命令だ」
「しっ、知らねえ! 俺たちは金を受け取っただけで、指示は全部使い捨てのメールからで、っぐあ!」
「依頼人の名前も知らずに人殺しを受けたのか」
「ひッ、やめてくれ、折れちまう!」
「こっちは死ぬところだったがな」
 そう言いながらリーダー格を縛り上げるヴィンセントは、頭から砂埃を被ってはいるが一筋の傷も負っていない。どの口が言うかと、自分も命を狙われたことは棚に上げて恨みがましく思ってしまうリーブだ。
 結局、ヴィンセントの尋問は成果を上げられなかった。襲撃者たちは神羅軍上がりのごろつきで、戦役以来職もなく、やくざまがいの恐喝などで日銭を稼ぐ小悪党に過ぎなかった。前科はふんだんにあるようだから、地元警察には手柄になるだろう。本件の報酬は前祝いの飲み代にほとんど使ってしまったことまで白状していたが、肝心の依頼主に繋がる情報はさっぱり得られなかった。
「俺らは何も知らねえ、本当だよ……」
「頼む、もうアニキを放してくれ!」
「役に立たん」
 興醒めだ、と言わんばかりの表情でリーブを振り返るヴィンセントに空恐ろしいものを感じているうちに、パトカーと救急車のサイレンが近づいてきた。彼らにごろつきどもを引き渡せば、揉め事は一旦終わりだ。
「ヴィンセント、僕らはどうしましょうか」
「この車はもう使えんな……」
 ふたりの乗ってきた四駆は、爆発こそしていないもののドアのあちこちに銃弾の穴が開き、フロントガラスは綺麗に割れている。エンジンをかけてみる気も起こらなかった。
 ヒーリンロッジまで歩くか、それとも最寄りの村まで戻るか。思案するリーブの耳に、土を噛んで走るタイヤの音が届いた。
「……おや?」
 ぶろろろ、とエンジン音が近づいてくる。目を凝らすと、助手席の窓が空いて誰かが手を振っていた。
「あれは、」
「――お迎えにあがりましたよ、っと」
 危なげなく停止した車から、ふたつの人影が降りてくる。その片方、スーツをだらしなく着崩した方が気安く片手を上げた。
「っはー、こりゃずいぶん派手にやったな」
「……」
「『タークス』のお出ましか」
 並び立つふたりの男、レノとルードは、辺りの惨状を見わたして愉快そうに肩を揺らした。

「本当に帰っちゃうんですか? 一泊していけばいいじゃないですか」
「そうしたいのはやまやまですが……」
 食い下がるイリーナに、リーブは眉尻を下げて笑う。ヴィンセントはすでに運転席に乗り込み、ギアの配置を確かめているようだった。
 レノとルードの迎えのおかげで、リーブたちはつつがなくヒーリンロッジに到着した。実のところ、レノたちは別件で出かけるところを通りがかったのだったが、急ぎでもないし、と涼しい顔をする彼らの好意に甘えた形になる。
 ルーファウスの用件――コレルの再建に関するゴールドソーサーとの協議方針のすり合わせ――を済ませている間、ヴィンセントはツォンと今回の事件について話をしていたらしい。首謀者は元タークスではないか、というヴィンセントの推測にも眉ひとつ動かさず、こちらでも調べてみよう、と請け負ってくれたというツォンの存在は心強かった。
 襲撃のせいで来た道は塞がれてしまったから、迂回路を行くしかない。日が暮れ始める前に帰るぞと促すヴィンセントは、ルードから空いている車の鍵を受け取ったところだった。
「今日帰るんですか?」
「ここで事件を起こすわけにもいくまい」
 正直なところ、慣れない銃撃戦のせいでリーブは疲労困憊だった。できれば一泊して身体と気分を休めてから戻りたかったのだが、ヴィンセントの意見はもっともだ。犯人が別の下手人を用意していないとも限らない。
 引き留めてくれるイリーナの気持ちもありがたかったが、そろそろ車に乗らなくては。どうやって話を切り上げようかと考えていると、くわえ煙草のレノが握った拳をイリーナの後頭部にこつんとぶつけた。
「こうも知り合いに囲まれてりゃ、落ち着くもんも落ち着かねえだろ。オマエはそういうとこが足りてねえんだぞ、と」
「なっ、何のことで」
「ああっ、そっか! そうですよね、くっ、うかつ……!」
「リーブ、何をしている。行くぞ」
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべるレノが、ご丁寧に助手席のドアを開けてくれる。頰を赤らめたイリーナに背を押され、リーブは見事車中のひととなった。
「次はゆっくり来てくださいね!」
「帰り何かあったら遠慮しねーで連絡くださいよ」
「ありがとうございます、では」
 ふたりを乗せた車が滑らかに走り出す。いつの間にレノたちにまで知れたのだろうと顔を掌で覆ったリーブを、ヴィンセントが不思議そうな、あるいは不気味なものを見る目で一瞥した。

第三章 風切羽