tasty

【tasty】(自分の好みに合う味で)美味しい。

 クラウドには最近、ハマっていることがある。
「ティーダ」
「何すか?」
 ちょいちょいと手招けば、仔犬のように駆け寄ってくる少年。自分のそれより彩度の高い金髪がぴょんと跳ねる。正面から臆すことなく見つめてくる視線にはもう慣れた。
 こちらの言葉を待つ彼に向かって、黙って口を開く。すると、ことを察してその海色の瞳がきらりと輝くのだ。期待を孕んだまなざしもまた、構ってもらえると悟っていい子にしている犬のようだ。
 クラウドを真似てぱかりと開いた口に、指先で摘んでいたものを放り込んでやる。もぐもぐと咀嚼するのを見ながら、自分も同じものを口に入れた。何を食わされるのかも分からずに口を開くものだから彼のセキュリティレベルが心配にはなるが、それだけ信頼されているのだと思えばこちらの気分もいい。
「クッキーっすね!」
「ああ」
 さくりとした食感に、バターの甘みとほろ苦いカカオの香りが広がる。先刻、モーグリが漂っているのを見つけて買い求めたものだ。どこから仕入れてくるのか未だに分からないが、銃を売るくらいだからクッキーくらいあってもおかしくはない。
「んまいっす」
「そうか」
 また無防備に口が開く。洒落のつもりで高く投げてやれば、放物線を描く焦げ茶色を器用に口で受け止めて笑った。何のためにわざわざ菓子など買うのかといえば、この顔を堪能するためだ。

 セシルには最近、密かに楽しみにしていることがある。
「ティーダ」
「何すか?」
 にっこり微笑んでやれば、つられてへらりと相好を崩した少年が寄ってくる。その頰に一筋の切り傷が、健康的に焼けた肌を赤く横切っている。昼間の戦闘でついたものだが、この程度ほっとけば治るっす、と彼は治療を拒否した。
 くつくつ煮込まれる鍋から多めにひとさじ掬い上げて、味見どうぞ、と差し出してやる。ふんわりと湯気を立ち昇らせるそれは、今夜のメインディッシュだ。食欲をそそる香りにぱあっと顔を明るくして、匙に喰らいつく。
 あつっ、と声が漏れた。一瞬上を向いてふっと白い息を吐き出す。戻ってきた頰が食べ物で膨らんでいて、こんな小動物がいたな、と微笑ましく思った。
「んっ、なんだろこれ、スパイス?」
「ああ、今日昼過ぎに入った歪みで見つけたんだ。僕の知っているものだったから」
 空いた手を伸ばして、唇の端についたソースを拭ってやった。照れくさそうにありがと、と笑って、口の中のものをごくりと飲み下す。鳥肉とたっぷりの野菜の煮込みは、素朴だが香辛料を効かせてあるから、今日のように冷え込む夜にも身体を温めるだろう。彼は薄着だから。
「おれ、この味好きっす」
「そう、よかった」
 もうひとくち、とねだるのに、鍋に蓋をして押し留める。待ちきれないと言わんばかりに青石の瞳を細めるのを見ると、食事当番が待ち遠しくなるのも無理はない。

「なあなあフリオニール」
「んー?」
 眠る支度を整えたテントの中。胡座をかいて魔導書をめくるフリオニールの膝に、ティーダが頭を預けて寝そべった。
「おれってそんなにいっつも腹減ってそうに見える?」
「どうした、急に」
 ぱさりと落ちる金髪を梳いてやりながら、目は文字を追う。もう少しできりのいいところまで行くので、そこまで読んでしまいたい。
「最近さあ、やたら餌付けされる気がすんだよな」
「えづけ」
 鸚鵡返しに言うフリオニールの気がこちらに向かないことが気に入らないらしい。伸び上がったティーダの首がページの上に乗る。
「おれ話しかけてるんですけどー」
「すまん、あと少し」
 むー、と唇を尖らせる顔がずるずると引っ込んだ。なんだかんだ言ってフリオニールはこの顔に弱い。残り数行をざっと読み飛ばして、重い本を閉じた。
「で、何だって? 餌付けされてるのか」
「そうそう」
 今日もクラウドがクッキーくれたし、セシルは夕飯の味見させてくれたし。前者は知らなかったが、後者の現場はフリオニールも遠目に見ていた。
「嫌なのか?」
「ぜんっぜん。むしろ嬉しい、んだけどさ」
 どうせクラウドもセシルも、何かを食べて美味いありがとうと笑うティーダが見たいだけだろう。その気持ちはフリオニールにもよく分かるから、釈然としない表情の彼を覗き込んで言ってやる。
「くれるならもらっておけばいいだろ」
「タダだし?」
「そう、タダだし」
 目を見合わせて笑う。俯いた拍子にするりと落ちたフリオニールの銀髪を、ティーダが手繰るように指に絡めた。
「フリオニールはおれが餌付けされちゃってもいいのかよ」
 問われて思わず苦笑した。あのふたりがティーダを可愛がるのを見るのは、仲間としては嬉しいが、恋人としては複雑な心境だ。もちろん、彼らには自分が抱いているような感情がないとは分かっているけれど、それでもたまにひょこりと顔を覗かせる悋気に、我ながら呆れてしまう。それを見抜かれたようで、気恥ずかしい。
「餌付けされたらどうなるんだ?」
「そりゃもう、お手もお座りもするし、三回まわってワンくらい言っちゃうな」
 フリオニールの知らない言い回しだが、要は従順に懐いてやるぞ、くらいの意味だろう。いいのかよ、と言いたげに髪を引っ張られる。そこは尻尾でも呼び鈴でもないのだが、楽しそうなのでいいとする。
「それは困るな」
 言いながら、彼の目に入りそうな髪を掻き上げてやる。ランプの灯りを受けて、昼間よりも暖かい色味を含む金の髪を除ければ、つるりと滑らかな額が露わになった。こうしているといつもよりも少し幼く見える、そう言えば彼は拗ねた顔をするだろうが。
「じゃあおまえが餌付けしてよ、おれのこと」
 透き通った海の深いところを硝子玉に閉じ込めたような瞳が、悪戯な色を溶かしてフリオニールを見た。挑発されている。薄いテントの外では、クラウドとセシルが見張りをしてくれているというのに。
「寝る前にまだ食べる気か?」
「歯、磨いちゃったからな。別のがいい」
 クラウドのくれる菓子とも、セシルが味見させてくれる夕食とも、違うものがいい。言外にそう匂わせる欲しがりな声にくすぐられて、フリオニールは呆気なく陥落した。手を伸ばしてランプの火を落とす。天幕に浮かぶ影が重なることに、外のふたりが気づかぬように――いまさらと言えばいまさら過ぎるが。
「キスだけな」
 ふっと落ちる夜の闇の中で、ティーダが囁く。当たり前だろ、と返しながら、これではどちらが餌付けされているのか分かったものではないと思う。触れ合わせた唇がひどく甘い気がして、貪りそうになるのを堪えるのが難しかった。