mindless

【mindless】愚かな、思慮のない。自分の行いがどのような意味を持つか理解しないさま。

 あ、と思った時にはもう遅かった。フリオニールの瞳孔が一瞬開いて、すぐに鋭くなる。口もとがぐっと震えて、いつもよりずっと低い声が出た。
「ティーダ、おまえ何言ったか分かってるのか?」
 固まって言葉も出ないおれを待たずに、もういい、と吐き捨てて背を向ける。翻ったマントの裾がおれの脛を掠めて、思ったより近くに立っていたんだと気づいた。
 いろんな武器を担いだ背中がどんどん遠ざかる。ひとつしか歳は違わないのに、おれよりもがっしりした背中。長い脚を大股に開いてあっという間に森の中に入ってしまった。
 まずい。飛び出してしまった言葉を押さえ込むように口を手で覆ったけど、いまさら遅すぎる。少し遠巻きに様子を見ていたふたりのうち、セシルがフリオニールを追って行った。クラウドがゆっくり近づいてくる。
「ティーダ」
 落ち着いた声で名前を呼ばれて、おれは頭をクラウドの方に向けた。でも視線は下を向いたままだ、今は誰の顔も見られなかった。黙ったままのクラウドが怖くて歯の根が合わない。
 そうじゃない、おれが怖いのはクラウドじゃない。フリオニールにひどいことを言って、嫌われて、みんなに見放されるのが怖いんだ。そう思って、自分のことしか考えてないと気づく。心臓が鉛の塊になってしまったみたいだった。フリオニールの気持ちをないがしろにしたくせに、自分だけを心配している。自分の身勝手さに心底嫌気がさして、その場にうずくまった。目の前にクラウドの脚が見える。
「ごめ、ん」
「……相手が違うだろう」
「う、ん」
 絞り出した自分の声がぐらぐらに震えていて、それで自分が半泣きだと分かった。泣いちゃダメだ、と奥歯を噛みしめるけど、それが逆に涙を煽る。クラウドはじっとそこに立っている。見つめる視線を頭のてっぺんに感じて、責められているような気がして、自己中の次は被害妄想かよってもうひとつ自分の駄目で嫌なところを見つけてしまった。ぼろ、とひとしずく流れたらもうダメだった。ぼたぼた落ちる涙が地面に落ちて、ぱたぱた音を立てた。

 始まりは大した話じゃなかった。今日はこの辺で休もうか、という話になって、キャンプの準備をしようとしたところだった。あのなティーダ、とおれを呼んだフリオニールの声はまだ落ち着いてたし、怒っている風ではなかった。
 さっきみたいなことはもうしないでくれよ、と言われた。さっきみたいなことっていうのは、夕方のイミテーションとの戦闘だ。敵の数が多くて、かなりラフな乱戦だった。そこそこ強いやつとそうでもないやつが混じっていて、その時おれが相手にしてたのはそうでもない方だった。もう一発、と思ったところで相手が壊れて、だから変な勢いがついてたんだ。ばっと目を向けた先に、デカい鎧のやつとつばぜり合いになったフリオニールと、その後ろから飛びかかろうとしている別のイミテーションが見えた。
 エースは仲間の危機に颯爽と現れる、なんて冗談を言うつもりはなくて、フリオニールがやばいと思ったらあとは勝手に身体が動いてた。最高速度でカッ飛んで、敵とフリオニールの間に入ろうとした瞬間だった。目測を誤ったおれは敵の間合いに突っ込んで、フリオニールの背中に刺さるはずだった槍を肩に喰らった。
 幸い、近くにいたセシルが援護してくれたこともあってその場は片付いたし、おれの怪我も深くはなかった。ケアルをかけてもらって一件落着だ。その場ではフリオニールは礼を言ってほっとした顔をしていた。だから済んだ話だと思っていた。
 それを蒸し返されて、疲れてもいたせいか、おれはまるで説教されているような気がした。思い返してみれば、フリオニールの口調は叱るというより心配するような頼むような感じだったから、こっちだって、心配させてごめんな、次は気をつける、でよかったはずなんだ。でも、おれの口から出たのは全然違う言葉だった。

 ──なにソレ、おれが入んなかったらどうなったと思ってんだよ。
 ──そのことは本当に感謝してる、でも無闇に危ないことはするなと言ってるんだ。
 ──じゃあどうすりゃよかったってんだよ?
 ──それは……

 口ごもったフリオニールの困惑顔が浮かんでくる。他にもやりようはあったんだ、ボールを飛ばすとか。でもあの瞬間は思いつかなかったし、侮られたと思ったおれは止まれなかった。

 ──おれだって闘えるんだ、怪我のひとつやふたつ、なんてことねえよ。バカにすんなよな。
 ──馬鹿になんかしてない。ティーダ、落ち着けよ。
 ──落ち着け? そうやっておれのことガキ扱いして見下すのかよ、ふざけんなっつーの。
 ──ティーダ、
 ──こんぐらい怪我のうちにも入んねーよ、おれが死ぬくらいの傷もらってから言えよなそういうことは。

 死ぬ、という単語が滑り落ちて、フリオニールが表情をなくして、あとはさっきの通りだ。

 じゃり、と音がして、クラウドが地面に膝をついた。相変わらずおれを見つめる視線が、呆れるんじゃなくて思いやるような、案ずるようなものだとやっと分かった。見放されたら、なんて思ってた自分が本当にバカみたいだ。
 なんとか深呼吸をして、鼻をすすって、涙をこらえる。ぐちゃぐちゃの顔を見せたくなかった。しゃくりあげるのが収まってやっと、クラウドが口を開いた。
「ティーダ、俺たちはおまえを信頼してる、それは分かるな」
 頷く。まだろくな声が出せそうにない。
「おまえはもう素人なんかじゃない、充分強くなった。俺たちでも敵わないことがあるくらい」
 クラウドの声は誠実だった。だから謙遜しないでそのまま受け取る。
「俺たちはおまえを失うわけにはいかないんだ」
 それは誰だってそうだ。今一緒にはいない六人も合わせて、誰一人だって欠けるわけにはいかない。
「フリオニールはなおさらだ、おまえもそうだろう」
 その言葉に、食い止めたはずの涙がまたこぼれてきた。
 フリオニールは大切な仲間で、一番距離の近い親友で、恋人だ。いつ終わるか分からないこの世界で出会って、もうすぐ来る別れに怯えながら、それでも押し殺せなかった想いが通じてしまった。代わりになるものなんかない、無二の存在。それが例え話でも死ぬだなんて、しかも自分を庇ってだなんて、考えたくもなかった。
 おれはバカだ。ちょっとでも想像すればこんなに簡単に分かることなのに。フリオニールは元いた世界でたくさんの大切な人たちを喪ったんだって知ってたのに。
「……おれ、」
 泣いたせいで喉が渇いて、粘膜が張り付くみたいだった。結局めちゃくちゃな顔を上げて、クラウドの目を見た。不思議な色で揺らぐ碧が水面のようで、心がすっと落ち着くのを感じた。
「おれ、フリオニールに謝ってくる」
「そうしろ」
「クラウドも、ごめんな。あと、ありがとう」
 別にいいさ、と表情を緩ませたクラウドが頭を撫でてくれる。やっぱりおれはまだまだガキんちょだ。
 よし、と立ち上がりかけたところで、森の方から金属の擦れ合う音が近づいてきた。イミテーションの出す、ガラスをひっかくみたいな音とは違う。目を合わせたクラウドが、行ってこい、と頷いた。
 おれは思いっきり地面を蹴って駆け出した。向こうも足音のペースが速くなる。ティーダ、と呼ぶ声めがけて跳んだおれの身体を、大好きな腕がちゃんと受け止めてくれた。
「ティーダ、ご」
「ごめんな、フリオニール!」
 思ったよりでかい声が出たけど、フリオニールを遮っちゃったけど、どうしても先に言いたかった。抱きついた腕に力を込めて、もう一度ごめん、と繰り返す。
「おれ、無神経なこと言った。心配してくれてたのに、なんも考えてなかった。勝手なことしてごめん。ひどいこと言ってごめん。次はもっとちゃんと周り見るから。もうおまえにつらい思いさせないから、だから」
 また勢いで喋ってるぞ、と冷静な自分が遠くから指摘する。フリオニールの後ろでセシルが可笑しそうに笑ってる、きっとクラウドも同じ顔をしてるだろう。でももう止まらなくていいや、と思った。フリオニールがおれを見て、聴いていてくれるから。
「だから、一緒にいよう」
 それはフリオニールがくれた言葉だった。思い出してわざと言ったわけじゃない、自然に出てきた言葉。おれの嘘偽りのない気持ちだったから。
 ちょっと目を丸くしたフリオニールが優しく笑う。ツリ目の目尻が柔らかく溶けて、皮膚の硬い掌がおれの頰を包んだ。
「……ああ、一緒にいよう、ティーダ」

 ……一部始終を見守っていたクラウドとセシルに散々からかわれて、二人揃って耳から首まで真っ赤にしたのは、その少しあとの話だ。