ラミア2×人魚10

 ひどく腹が減っていた。最後に「食事」にありついたのがいつだったのかも思い出せない。フリオニールは溜息をひとつ、ずるずると引きずる尾を覆う鱗はすっかり艶をなくしてしまった。
 上半身はヒトのかたち、下半身は極彩色に偏光する爬虫類の尾。俗にラミアと呼ばれる種族のフリオニールは、一族の変異体だった。なにしろ、ラミアにオスが生まれることなど百年に一度も起こらない。卵の殻を破って外界の空気を吸った瞬間、フリオニールを取り巻く蛇女たちは一斉に落胆の吐息を漏らし、速やかに引き合わされた長老のオババに即刻追放を宣告されてしまった。そんなに珍しいなら少しくらい丁重に扱ってくれても罰は当たらないと思うのだが、何にせよ、生後十五分でフリオニールは放り出されてしまったのだ。なんでこんな目に、と嘆く間もなかった。
 成長すれば爬虫類の眷属を率いる王として君臨すべきラミアも、生まれたてでは他のモンスターたちの恰好の餌だ。ラミアを喰らえば魔力が高まるとか寿命が伸びるとかいう噂は人間界にまで広まっていて、当時まだ全長数十センチのフリオニールは命からがら生き延びた。これはひとえに、気まぐれを起こした森の狼と精霊のおかげだ。
 光の加減で金色にも銀色にも見える体毛と、揺らぐ泉の水面のような碧い瞳の狼は名前をクラウドといって、その鋭い爪で摘みあげられたフリオニールが最早ここまでと覚悟を決めた瞬間、おまえオスか、と気づいたクラウドは何が可笑しいのかたっぷり十分はその場に蹲って巨躯を震わせていた。
 その間に逃げればよかったのだが、うっかり呆気に取られてしまったフリオニールを改めて摘まみ上げると、狼は長く響く遠吠えを放った。その余韻が消える前に空間を裂いて現れたのはゆるく波打つ銀髪の精霊で、こちらは差し出されたフリオニールを見るなりクラウドと違って遠慮なく転げ回って爆笑した。
 オスじゃんこのラミア、ああオスだ、ほんとにいるんだねオスのラミア、ああ笑いすぎておなか痛いや。セシルと名乗る精霊はこの小さな異端のラミアをいたく気に入り、食べちゃうなんてもったいないよペットにしようよねえすごく可愛いじゃないねえねえいいでしょうクラウド、とひとしきり駄々を捏ねて、ペットという表現はともかくとしてフリオニールは何とか彼らの庇護を得たのである。

 ラミアに限った話ではないが、モンスターの成長は人間の尺度で言うと大層早い。精霊に転がされたり狼に甘噛みされたりしているうちに、フリオニールは褐色の肌も精悍な美丈夫に成長していた。ちっちゃいときはもっと可愛かったのになあ、とあからさまにがっかりするセシルには申し訳ない気もしたが、クラウドの体当たりを受け止められるようになったのはいいことだ。
 図体が大きくなると問題になるのはエサだった。それまではクラウドの狩ってくる鳥や獣のおこぼれに預かったり、セシルの集めてくる花木の精を吸ったりして凌いでいたのだが、最後の脱皮を終えたフリオニールの食欲はいよいよそんなものでは満たされなくなってしまった。今までの食べ物でも命を繋ぐことはできるが、満足には程遠い。ぐったりと尾を長く寝そべるフリオニールを見下ろして、セシルが懇々と諭す。
「いいかいフリオニール、ラミアの食べ物は動物の精力なんだよ」
 前も教えてあげたでしょう、と言うセシルの言葉にしょんぼりと眉を下げる。精力というのはつまるところ生命力だ。生命力を取り込むためには、クラウドのするように殺してしまってはいけない。セシルが草木を相手にやるようなことを、動物に対してしなくてはならないのだ。生きたまま精力を吸い取る。言うは易し、だ。森の獣たちはフリオニールの這う音を聞きつけて一目散に逃げてしまうし、のろまな人間はこんな森の奥深くにまで足を踏み入れない。
「蛇は狩りが上手いはずなんだがな」
「狩りならフリオニールだって上手だろ、問題は生かしておかなきゃいけないってことで」
 頭の上でクラウドとセシルが話すのを聞きながら、フリオニールはますます身体を縮めた。殺さずに捕らえるというのが苦手なのだ。何しろ狩りの師匠が捕獲・即・咀嚼が原則の狼しかいないのだから仕方がない。同じラミアに育てられていれば尾の上手い使い方を学ぶことができただろうが、今となっては望むべくもなかった。
「このままだと飢え死にするしかないよ、フリオニール」
 心底から案じているセシルの言葉に、フリオニールは弱弱しく頷く。何とかするしかないのだ、自分の力で。
「いい獲物さえ見つかれば、あとはむしろ楽なんだろう」
 クラウドの言うことは正しい。噛み砕いて飲み込んでしまえばそれで終わりの狼とは違って、ラミアは捕らえた獲物が生きている限り、次の餌を探す必要がない。気に入った餌が手に入れば、むしろ何くれとなく面倒を見て生きながらえさせる場合も多かった。そういう意味では、一度成功すればあとは左団扇でいられるはずだった。
 ここで伸びていても仕方がない。フリオニールはよろよろと身体を起こすと、飼い主ならぬ兄貴分たちに束の間の暇を告げた。クラウドが餞別代りに、南東の方角に何日か行けば入り江があってたまに人間もやってくるようだと教えてくれた。ふたりから少しずつ精力を吸わせてもらってから、フリオニールは出発した。

 ずるずると尾を引きずりながら、フリオニールは考える。餌といったって、どんな生き物でも構わないというわけではない。この森にいるような鳥や獣では小さすぎる。フリオニールの与り知らぬことではあったが、彼はオスということを差し引いてもラミアにしては身体が大きかった。その辺りを歩いている鹿程度では、この空腹を満たす前に生命力を吸いきってしまう。
 セシルの教えてくれたところによると、ラミアの餌として適当なのはヒト型の生き物だそうだ。人間でもいいし、エルフとか鬼とかでもいい。ヒト型が一番精力が強いのだという。理屈は今ひとつはっきりしないが、とにかくそういうことなのだそうだ。
(……かといって)
 例えばの話、人間の老人とか、筋骨隆々のドワーフから貪る気分にはならなかった。餓死寸前だというのに贅沢な話だが、少なくともその生命力が尽きるまでは共に過ごすのだから、できれば若くて美しいのがいい。今に至るまでセシルとクラウドくらいしか言葉を交わしたことがなかったから、気が合えば言うことはない。しかし、どこの犠牲者が捕食者と友人になるというのだろう。こればかりは諦めたほうがよさそうだ。
 こんなことでちゃんと獲物を捕まえることができるのだろうか。我がことながら先行きがあまりに不安だ。

 そうこうしているうちに、クラウドの教えてくれた入り江にたどり着いた。波風に晒されて奇妙な形にえぐれた岩がそそり立ち、洞窟の入り口に寄せる波は清らかだった。寒くなくてよかった、とフリオニールは安堵する。ラミアは冷気が苦手なのだ。
 草むらが途切れて岩場が続く。喉が渇いていたが、海の水は塩気を含んでいるから飲んではいけないとセシルが言っていたのを思い出した。できればこの入り江で獲物にありつきたい。この際、ひと吸いで終わってしまう魚や小動物でも構わなかった。
 なめらかな鱗をまとう尾を鞭のように波打たせて、岸辺に近寄る。その時、ぱしゃん、と水音が聞こえた。
(魚か?)
 ぱちゃん、ちゃぷん、と水音は繰り返す。期待に膨らむ胸を抱えて、水面を覗き込んだ瞬間だった。
 ざぶん、ごつっ。
「――うっわ! びっくりした!」
 一際派手な音を立てて水が弾けると同時に、フリオニールは額に衝撃を受けて蹲った。石でもって殴られたような痛みに、頭蓋骨の中身がぐわんと揺れる。ぐらぐらと震える視界に、太陽光線を集めたような金色が広がっていた。

「へー、ラミアってオスいるんだなー」
「まあな」
 まだじんじんと疼く額を押さえながら、フリオニールは頷いた。岸に両肘を乗せて、澄んだ青い瞳をきらきらと輝かせている少年はティーダというらしい。
 ちゃぷん、と軽い音がして、薄い尾びれが翻る。ティーダは人魚だった。
「でもこの辺でラミアって珍しいよな。森から来たんすか?」
「ああ、そうだ。おまえはずっとこの辺りにいるのか?」
「そうっすね、ここあんまり人間来ないし気に入ってるっす」
 なるほどな、と頷く。人間どもが人魚を狩ろうとするその熱意たるや、ラミアに対するそれとは比べ物にならないほどだと聞いたことがある。人魚の肉を食べれば寿命が延びるどころか不老不死になれるとか、鱗が一枚あれば沖で嵐に遭っても助かるのだとか、そんな伝説があるそうだ。もとより少産少死の人魚たちは、それ故に海の深く、沖の方で静かに暮らしているのだと、セシルの持っていた本に書いてあった。
 そんなことより、だ。フリオニールは自分の腰のあたり、ちょうどヒトと蛇が切り替わる部分と同じ高さにあるティーダのつむじを見つめた。ふわりと鼻孔をくすぐるのは潮の香りだけではなく――かぐわしく芳醇な、生命の匂い。
 血の匂いとも、肉の匂いとも違う。春に森の日だまりに咲いていた花のように濃密で、泉から滾々と湧く水のように活き活きと潤う、その香り。
 口腔いっぱいに溜まった唾液をごくりと呑み下す。ああ、もう限界だ。腹が減ってたまらない。それに、とっても美味そうな匂いがする。
(……大丈夫、全部食べるわけじゃない)
 ちょっとだけ、そう、ほんの少し分けてもらうだけだ。セシルとクラウドがそうしてくれたように、この溢れる生命力の、ひとしずくを。
「えーと、フリオニールって言ったっけ? あんたはさ、」
 ティーダの話しかけてくる声も、もう耳には入らなかった。しゅるりと蠢いて人魚の腕を絡め取る尾の動きも無意識のうちに、フリオニールは剥き出しの肩に牙を立てた。

「あーもう信じらんねえ! デリカシーってもんがねえのかよ!」
「す、すまない……」
 薄衣のように繊細な見た目に似合わず、とんでもないバネの爆発力を誇る尾びれの一撃に横っ面を張り倒されて、フリオニールはまたしても頭を抱えて蹲った。獲物となるはずだったティーダは、ぷんぷんとおかんむりでその強靭な尾を水面に叩き付ける。びったんばっちゃんと跳ねる水が、フリオニールの上半身をずぶ濡れにしていた。
「いきなり喰いつくとか、そんなんなくね? マナー悪すぎだろ、狼じゃあるまいしさあ!」
 ぐうの音も出ない。餌の首根っこを押さえつけてがぶりとひと口に喰らいつくのはクラウドの流儀だ。なんとなく逆恨みをしそうになって、慌てて首を振る。脳髄をびっちりと埋め尽くしていた空腹感は、尾びれのビンタですっ飛んで行ってしまった。
「なに、あんた腹減ってんのかよ?」
「ああ……」
「そんでおれのこと喰おうとしたって? 断りもなく?」
「はい、すみません……」
「ったくもー」
 ちょっとだけ分けてもらうつもりだったとか、そんな言い訳もしようがなかった。ティーダは頬を膨らめて、沖の方を睨んでいる。フリオニールはぐらつく頭を押さえながら、静かに上体を起こした。背筋を伸ばして、まるでセシルに説教されるときのような気分だ。
 しばしの沈黙の後、ティーダが再び口を開いた。
「あんた、いつから喰ってねえの?」
「ええと……三日くらい前、だ」
 心配顔のセシルとクラウドに送り出されてから、たぶん三回日が沈んだ。空腹でさえなければこの入り江にたどり着くまで一日もあれば十分だっただろうが、何しろへろへろだったので時間がかかってしまったのだ。その間、口にできたのは木の若芽とか、小さな虫とか、それくらいだ。たった一羽だけ小鳥を捕らえることができたが、腹を満たすことは到底できなかった。
 しょぼくれた声を出すフリオニールをティーダが見上げている。その瞳は晴れの空よりずっと深い青で、もしかしたらこの入り江の向こうに広がる海というやつはこういう色なのではないか、と思った。
「……わかった、ひと肌脱いでやるっすよ」
「えっ、」
「ちょっとだけなら分けてやってもいいって言ってんの」
 しゃーねーな、と呟きながら、ティーダが岸に乗り上げる。水面を割って現れた魚の部分は、淡い水色のところどころに金色の光る大きな鱗に覆われていた。
「いいのか?」
「困ってんだろ? 少しくらいいいって。あ、全部喰うなよ、死んじゃうからな」
「しかし……」
「んーと、どっから喰うのがいいんだ? やっぱ首らへん?」
 ほい、と差し出されたのは今しがた牙を突き立てようとした肩口だった。日に灼けているのだろう、フリオニールのそれとは違う小麦色の滑らかな肌を目の前にして、フリオニールは急に怖気づいた。
「……どうして、」
 どうしてそうも簡単に生命を差し出せるのか。たった今出会ったばかり、名と種族しか知らない相手が、どうしてその命をすべて喰らい尽くさないと信じられるのだろう。その肌に牙が突き立てば、今度はどれだけ抵抗されても離せない。フリオニールとて、今この瞬間は少しだけ、と思ってはいるが、流れ込む生命の甘美な味に酔って我を忘れてしまうかもしれない。それなのに。
「なんだよ、いらねえの?」
「どうして信じられるんだ」
「何を?」
「俺が、おまえを喰い殺さないって」
 絞り出すような問いに、ティーダはきょとんと目を丸くした。何を言っているのかわからない、という顔だ。
「どうしてって言われても。あんただったら大丈夫かな、って思っただけっつーか」
 その答えに、今度はフリオニールが絶句する番だった。理屈も何もない、直観だけでその身を差し出そうというのか、この人魚は。
「つーか、さっきおれにはっ倒されたやつが何言ってんの」
「それはそうだが」
「だーいじょうぶだって、いざとなったら引きずり込んで目、覚ましてやるからさ」
 人魚なめんなよ、と口角を吊り上げるその顔がひどく眩しく感じて、フリオニールは目を細める。途端にどこかへ飛んで行ったはずの空腹感が戻ってきて、また眩暈がした。
「これ以上グダグダ言うならやめるけど」
「だっ駄目だ!」
 咄嗟に伸ばした尾が人魚の腰に巻き付いた。ぐんと力任せに引き寄せてから、もう後に退けないところまで来てしまったことに気づく。
「痛くすんなよ」
「……努力する」
 回した腕で肩を捕まえて、浮き上がった鎖骨の上に唇を寄せる。フリオニールを幻惑したあの香り、満ち溢れる生命の拍動が広がって、脊椎に痺れが走った。
「っん……」
 ラミアの牙は鋭く、分泌腺からは微弱な麻痺毒が染み出している。ひとつには獲物の抵抗を抑えるため、もうひとつには獲物に過剰な痛みを与えぬためだ。だから、フリオニールの牙の先端が皮膚を裂いても、ティーダが感じるのは痛みではない。
「く、ぅあ、は……」
 巻き付いた尾を伝ってティーダの身体を走る震えを感じる。彼の手がそろりと伸びて、フリオニールの二の腕に触れた。違和感に耐えているだろう人魚の顔は見えない。フリオニールは肚の底に力を入れて、欲望のままにすべてをすすり上げようとする本能を必死に抑え込んだ。
「ああ、っ、んんぅ…くぅ、う、ふぅ……」
 鼻にかかった声に甘えられているような錯覚が、フリオニールの意識に靄をかける。突き立てた牙を通して流れ込む生命は、五臓を灼くほど熱かった。
 空腹を満たされるというのは、これほどの快感を伴うものなのだろうか。からからに干からびていた喉が潤い、尾の先の鱗にまで力が巡ってゆくのが分かる。五感は研ぎ澄まされ、辺りを漂う空気の粒子さえこの手に掴めそうだ。二の腕に触れていたティーダの指に力がこもり、腰骨を突き上げるように電流が駆け抜けた。
「フリオ、ニール……っ」
 名を呼ばれ、腕に爪を立てられて、はっと我に返る。ティーダの身体を突き飛ばすように牙を抜いた。人魚の上体がへたりと倒れこむ。
「ティーダ、大丈夫か、すまない」
「んー……へーき……」
 髪の先まで満たされたフリオニールとは対照的に、地面に肘をついたティーダの顔色は思わしくなかった。やってしまった、と背筋が凍る。殺してこそいないものの、必要以上に貪ってしまった。
 どうしたらいいか分からずおろおろしていると、ティーダが物憂げな顔を上げた。
「てか、喰いすぎ」
「すまない、本当に」
「いや、いいっすけど。ごめん、ちょっと潜ってくるな」
「だ、大丈夫なのか、そんなことをして」
「あのさ、おれ、人魚。だいじょーぶ、海の中いたら回復すっから」
 言うが早いか、金糸の頭がとぷんと沈んだ。どうやらこの岸辺を離れるつもりはないらしく、フリオニールの座っている辺りを旋回したり沈んだりしている。薄暗い入り江で、彼だけが一条の光のように輝いていた。

 フリオニールの説明に、ふうん、と相槌を打ったティーダは、髪から水を滴らせてすっかり回復したようだった。
「ってことはあれか、ラミアはメシ探すのが大変なんだな」
「ああ」
 ひとしきり謝り倒したフリオニールを鷹揚に許したティーダは、食事に関するラミアの生態を学んで感心したような声を出した。
「おれらはきれいな水があればいいからさ」
「海でなくてもいいのか?」
「んー、海がいちばんいいけど、別に泉とかでもへいきっす」
 海藻や魚介類なんかを食べないこともないそうだが、ティーダは魚や貝を口にするのは好まないらしい。いっつも一緒に遊んでる仲間なのに、ちょっとやだよな、と笑う横顔から、どうしたわけか目が離せなかった。
「……なあ、おれ、美味かった?」
「えっ」
 出し抜けな質問に息を呑む。率直に言えば、美味かった。こんなに美味いものがあるのかというくらい、美味かった。クラウドと分け合う獣の肉も、セシルのくれる花木の精も、フリオニールは確かに味わっていたけれど、そんなものとは比べものにならないくらい美味かった。それはもう、我を忘れてしまうくらいに。
「美味かっただろ? あんだけ喰ったんだもんな」
「……ああ……」
 揶揄うように顔を覗き込まれて、呻くしかない。耳まで血が上って火照ってしまったフリオニールを笑って、ティーダが、よし、と拳を握った。
「じゃあ、おれがフリオニールのメシになってやるよ!」
「い、いいのか」
 フリオニールからすれば願ったり叶ったりだ。人魚は寿命が長く、それはつまり生命力に富んでいるということだ。さっきのティーダの言葉を信じるなら、清潔な水場さえ用意すればフリオニールが喰ってもすぐに回復できる。そしてなにより、ティーダは美味い。
 そう、美味いのだ。それがフリオニールを躊躇わせていた。彼の生命はあまりに芳醇で、抑えが利かなくなってしまう。いかな人魚でも、生命力を全て吸い取られてしまえば一巻の終わりだ。そうならない、という保証はどこにもなかった。
 逡巡するフリオニールの蛇の尾を、ティーダの尾びれが叩いた。
「心配すんなって、こういうのは練習でなんとかなるんだぜ」
「練習?」
「そ、おれがヤバい! って思ったら出す合図とか決めといてさ、合図が出たら離れられるように訓練すんだよ」
「……できるだろうか」
「できるできる。こう見えてもおれ、サメとかシャチの更生何回も成功してっから」
 あいつらなかなか凶暴でさ、言うこと聞かせるのに苦労したっすよ、と笑うティーダに、俺は海の猛獣以下かと少しだけ落ち込んでしまう。
「少なくともフリオニールとは言葉通じるし、大丈夫だって!」
「そう、だな」
「その代わり指導は厳しく行くから、よろしくな」
「おっ、おう……」
 そんじゃ、と手を差し出された。意味が分からずぽかんとしていると、
「こういう時は手握るんだぜ、人間の風習だけど」
「そうか」
 見よう見まねで手を握る。覚束ない手つきではあったが、それでも力を入れて握ると、ティーダがひときわ嬉しそうな顔をした。
「これからよろしくな、フリオニール」
「ああティーダ、よろしく頼む」



(特に続きません)