「……キレイやなぁ」
ほう、と息をついたセルフィの瞳は、夜空に釘付けだ。今夜は月がない。セントラの突端、灯りを落とした石の家を背にして、アーヴァインは静かに手を握りしめた。
半月前は無慈悲な夜の女王が君臨していた空は、今は慎ましい星の輝きでいっぱいだ。ちらちらと瞬くそのうちのいくつが、ふたりの目を楽しませる前に滅んでしまったのだろうか。そんなことをふと考えて、縁起でもないなと内心苦笑する。あれから何年経っても、自分の少し後ろ向きなところは治らない。隣に立つセルフィはいつもそれに気づいて、笑うのだ。こんなふうに。
「またヘンなこと考えとったやろ」
「ヘンなことって」
「お見通しやで?」
トラビア訛りでおどける彼女に、自分が勝てたことなどない。勝った負けたにこだわる方ではないけれど、彼女には勝てないと思うことがことさらにアーヴァインの心を浮き立たせるのはどうしたものか。先日だって、他愛のない会話を「きみの仰る通りに」で締めくくったアーヴァインの脇腹を突いたゼルが、「敷かれてんな」とにやにや笑っていたものだ。悪い気どころか、それでなおさら上機嫌になる自分を気味悪がっていたのを覚えている。
「流れ星、見えるやろか」
「きっと見えるさ」
きみに不可能なんてない。セルフィが願えば、きっと流星群だってやってくるだろう。だから、流れ星にお願いなんかする必要はない。きみはその華奢な身体をいっぱいに動かして、自分の足で歩いて、自分の手で全てを掴むんだ。内面から光の溢れ出すような彼女は、いつだってアーヴァインの憧れだった。まだみんな、ここにいてまま先生のドレスの裾にじゃれついていた頃から、ずっと。
にこにこと夜空を見上げるセルフィの横顔を見つめながら、アーヴァインはもう一度拳を——その中のものをぐっと握りしめる。大丈夫、やれるさ。
「セルフィ」
呼ばれたセルフィが顔を向けた。あくまでも穏やかな態度を崩さずに、そっと背筋を伸ばす。タイミングを見誤ってはいけない。チャンスの女神は前髪しかないから、掴みに行くなら慎重かつ大胆に、ということを、狙撃手はよく分かっていた。
「流れ星が来たら、僕が捕まえてあげる」
「ほんま? さっすがアーヴァインやな、頼もしいわ」
でも流れ星は速いで? といたずらな流し目のセルフィに、それなら、とアーヴァインは続けた。
「それならひとつ、このスナイパーが撃ち落としてお見せしましょう」
こてん、と首を傾げる彼女に笑いかけて、夜空に手を突き出す。親指を立てて、人差し指を伸ばして、まるで子供がする真似事のように、何も撃てない銃で狙いを定める。的はどれだってよかった。
ばーん、と呟く声に、照れが出た。なんやのアーヴァイン、と隣の彼女が笑う。それらしく跳ね上げた手をくるりと回して、くすくす目を細めるセルフィの目の前で、握ったままの拳を開いた。
「……あーびん、」
「どうぞ、お嬢様」
アーヴァインの掌の上には、星灯りの下でもきらりと輝くシルバーのリングが載っている。ずっと握りしめていたせいですっかり温もってしまったそれを、こぼれ落ちんばかりに見開いた翡翠の瞳が凝視していた。
こくり、と唾を呑み込んで、それでやっと喉が渇いていることに気づいた。やっぱり緊張するんだな、とどこか他人事のように思って、いまさら震え出しそうな両足を踏み締める。打ち寄せる波の他には何の音もない。沈黙に耐えかねたアーヴァインが、言うべき言葉なしに口を開こうとした時だった。
「……カッコつけすぎやで、」
セルフィの細い指が、リングをそっとつまみ上げた。彼女の両目から、ぽろりとこぼれ落ちるもの。星なんかよりずっと綺麗だ。もう一度、カッコつけすぎ、と呟いたセルフィが、アーヴァインの両腕に飛び込む。その小さなぬくもりを抱き締めると、だいすき、と囁くから、また先を越されたなと苦笑した。