スコール・レオンハートは髪を切りに行ったようです

 かろん、とドアベルが鳴り、男は帳簿から顔を上げる。仏頂面でするりと入店したのは、額に傷のある美青年だった。
「いらっしゃいませ」
「……急にすまないが、頼めるだろうか」
「ええと、はい、大丈夫です。カットだけなら」
 予約表をめくって頷くと、青年は険しい表情をわずかに緩ませた。恐縮から安堵へ。その程度の察しはつくくらいの期間、彼はこのヘアサロンに通ってくれている。カットのみ、カラーもパーマもしない青年は決して上客というわけではないが、他のサロンに行くことがあるわけでもなく、美容師にとっては安定した馴染み客だった。
「こちらへどうぞ、スコールさん」
 夏以外には必ず着ているレザージャケットを受け取って、このサロンにひとつだけの椅子に案内する。嫉妬の余地もないほど高い位置にある腰から伸びた脚を動かして、青年――スコールは席についた。
「今日はどうしましょうか?」
「いつも通り、伸びたところを」
「かしこまりました」
 美容師はスコールの背後に立ち、櫛を手に彼の頭をぐるりと眺める。前回の来店は二か月ほど前だったろうか。自分が切ったのがそのまま伸びただけの髪は、少しばかり傷んでいるようだ。毛先だけならば切ってしまえばいいが、それよりも上の部分も艶を失っていた。
「お仕事、忙しかったですか」
「……少し、砂漠にいた」
「さばく」
「二週間ほど」
「はー、そんなに」
 なるほど髪も荒れるはずだ。砂漠なら満足に水も使えなかっただろうし、そもそも仕事に普段使いのシャンプーを持っていくとも思えない。スコールがガーデン出身の傭兵であることは、このバラムの人間ならば誰でも知っている。
「ぶっちゃけ、傷んでますよ」
「……そうか」
「かなり。トリートメント追加します? ヘッドスパ付き」
「やってもらったことが……いや、ないな」
「三千ギルです。クチコミ投稿してくれたら五百ギル割引ですけど」
「三千ギルでいい」
「ですよねー」
 というような軽口を叩いても、特に気分を害した雰囲気もない。見た目よりずっと話の分かる人間なのだと、彼が初めて来店してから三回目の施術で見極めてからは美容師も態度をくつろげることにしていた。
 男が長い下積みを経てこのサロンをオープンしたのは二年ほど前のことだ。席はひとつだけ、美容師も自分ひとり。ずば抜けた技術や高度なホスピタリティがあるわけでもなし、サロン唯一の売りはとにかく気楽であることだった。身構えない、かっこつけすぎない、自然体で。整えたその日だけ美しい髪型も心は浮き立つだろうが、数か月に一度の散髪でも不満が出ないような出来上がりの方がやりがいがある。
「じゃ、準備しちゃいますね」
 軽く顎を引くスコールの前に、適当な雑誌を数冊置いた。冬に向けたアクセサリを特集しているメンズファッション誌を一番上に置く。案の定、スコールはその一冊を手に取りぺらぺらとめくり始めた。
「前、失礼します」
 ケープをかけて、シザーバッグを確認する。地味な色のナイロンケープでてるてる坊主状態のスコールは、それでもたいした美形だった。鼻筋の角度など完璧だし、眉頭と目の距離も絶妙、薄く引き結ばれた唇の憂いにと色気を感じないでもない。道を歩いていれば二度見されそうな男ぶりだが、しかしブルネットに覆われた彼の後頭部がやや断崖気味なのを知っているのは、まあおれくらいだろうな、と美容師は奇妙な感慨に浸った。
 ざっくり櫛を通して、コンコルドクリップでブロック分けしながら鋏を動かし始める。スコールは身動きが少ないからありがたい。
「どうすか最近」
「どうとは」
「え、そこ返す?」
 ヘアサロンの客にもいろいろだ。髪と一緒に気分もすっきりしたくてあれこれ話すのが好きなひとがいれば、ケープをかけられた瞬間に目を閉じてうたた寝を始めるひともいる。スコールはその中間で、自分から話し始めることはないが、話しかければ返事はするタイプの客だ。返事のレベルはさておき。
「ほら、元気でしたとか、風邪ひいてましたとかあるでしょ」
「健康だった」
「めでてえ。おれ、この間腹壊しちゃって。牡蠣に大当たり」
「かわいそうに」
 その口ぶりが妙に真摯だったので、美容師は鋏を止めて笑ってしまった。スコールは片眉を上げて、鏡越しにこちらを見ている。
「……変なことを言ったか」
「いや、お気遣いありがとうございます。二日間地獄でしたけど、もう元気なんで」
 引きずる笑いを奥歯で噛み殺しつつ、クリップを差し替えて施術を再開する。かわいそうに、か。そんなこと言われたの、ガキの時以来だ。
「てか、砂漠ってしんどそう。どうやって寝てたんすか」
「キャンプが拠点で、テントを張って」
「サバイバルって感じ」
「ジャングルよりマシだ」
「熱帯雨林? 虫ヤバそう」
「思い出させないでくれ」
 美容師はスコールのことをよく知らない。傭兵の仕事がどんなものなのかも想像でしかない。砂漠に行ったのがモンスター駆除のためなのか、あるいは何らかの紛争に駆り出されたのか、はたまた訓練なのか、興味が湧かないわけではなかったがスコールが喋らないのなら掘り下げることもできない。
 だからどうでもいい話をする。スコールがここに通ってくれる理由は、たぶんそこにあるからだ。
「ツーブロックとかどうです?」
「ツーブロック?」
「そのモデルみたいな髪型」
 スコールが開いているページを指す。派手なピアスを見せつける横顔のモデルは側頭部を刈り上げられ、頭頂部にマンバンを作っていた。まあ、後頭部が絶壁のスコールにはここまで派手なツーブロックはおすすめできないが。
「これ、横の髪が伸びてきたらどうなるんだ」
「さすが鋭い。大変なんすよこれ、維持するの」
 こーんなんなっちゃうから、と自分の頭の両側で指をひらひらさせる。伸びた髪が重力に従って垂れるまで、実はけっこうな長さが必要なのだ。鏡越しに美容師を見たスコールは、眉をぎゅっと引き寄せた。
「来てくれれば綺麗にしてあげるよお、毎週来てもらうけど」
「……面倒だ」
「すなおだなあ」
 などと笑っていると、鏡の前に置きっぱなしだったスコールの携帯が振動した。メッセージではなく電話であることを告げるバイブレーションは三十秒ほど続いたが、スコールは気にも留めず雑誌に目を落とす。
「出ます?」
「大した用件じゃない」
 ほどなくして、今度は一度だけ短く震える。液晶画面にはメッセンジャーアプリのアイコンがポップした。そちらは見る気になったのだろう、ケープからもそもそと手を出して端末を取り上げ、短く返信している。
 何しろ真後ろに立っているので、画面を覗こうと思えばいくらでもできた。見てえ、という衝動に襲われたことは否定できない。が、美容師は努めて視線をブルネットに固定し、手を動かした。
 スコールは上客ではない。が、いい固定客であるのは確かだ。彼から任されているのは髪型だけだが、そんなちっぽけな要素でも信頼はされているのだと思う。その信頼を自ら裏切りに行く気はしない。
 大まかなところを切り終えて、細部の調整に入る。多少伸ばしっぱなしになっても恰好がつくようにレイヤーに手を入れ、ヘッドスパ用のトリートメントの種類を検討している間、スコールと誰かのメッセージのやりとりは続いていた。

「まあ、出ねえよな」
 スコールに予告なしに電話をかけて一発で出てくれる確率は、極めて低い。仕事がらみならともかく、何しろ今日のスコールは休日だ。発信者がたとえエルオーネでも出ないかもしれない。
 ということが分かっていたので、サイファーは留守電には何も吹き込まず通話を切り、ただちにメッセンジャーアプリを立ち上げた。
『どこにいる』
 簡潔な問い合わせだ。スコールがどこに行こうと奴の勝手だが、二度寝して起きたら書き置きもなしに家から姿を消していたのだから、この程度の質問は常識の範囲内だろう。
 サイファーは端末をソファの座面に放り、バルコニーに出た。よく晴れていて、海から吹く風は潮のにおいがする。毛布でも干したい気分だが、そんなことをすればベッドがなまぐさくなってしまうのは港町の哀しさだ。くわえ煙草のままプランターに水をやる。植えた覚えはないがすくすくと育っているバジルから何枚か葉をいただいて、昼はパスタに決めた。
 時刻は午前十一時半を少し過ぎたところ。世間は平日、一昨日派遣先から帰ってきたスコールは休日、サイファーは特に意味もなく休み、悪くないランチタイムを迎えようとしている。
 問題はスコールのぶんも用意するのかどうかだ。室内に戻ると返信が来ていた。
『座り心地のいい椅子がある』
「……なんだそりゃ、」
 どこにいる、と問われたら地名とか、あるいはカフェや書店といった、とにかく現在地が特定できる情報を返すものだろう。椅子の座り心地など聞いていない。
 サイファーは唇をひん曲げて画面を睨みつけていたが、ふんと鼻息を吐いて指を動かした。
『どこだよ』
 送信したメッセージには既読サインが点いて、すぐにリターンが来る。
『親切な人がいる店だ』
「ハァ?」
 スコールに「親切」と言わせるとは大したものだ。サイファーは行儀悪くソファにあぐらをかいて、メッセージを打ち込む。
『誰か一緒にいるのか』
 送ってから、しまったと思ったがもう遅い。スコールが誰と一緒にいようが知ったことではないのに、こんな言い方をしたらまるで束縛のきつい狭量野郎のようではないか。舌打ちと同時に返信。
『ブラッシングの力加減がちょうどいい』
「意味がわからん」
 おちょくられているのか、と考えているうちに、スコールからまたメッセージが届く。
『話のテンポがいい』
『細かいところによく気づいてくれる』
『フランクだが馴れ馴れしくない』
「……いや、だからなんなんだよ」
 おまえ、こんなにポンポン他人を褒めることができたのか。わずかな驚きさえ覚えて、返信を考える頭が止まった。
『頭を撫でられた』
『おれも知らなかったおれのことを教えられた』
『すっきりしてきた』
「風俗じゃねえだろうな」
『傷を癒やしてもらってくる』
「わざとやってんなテメエ」
 そこからメッセージが途絶えた。これは完全におちょくられている。何がなんだか分からないが、おちょくられていることだけは分かる。サイファーは昼のメニューのことなど忘れて、知らずのうちに緊迫しつつあった。
 待つこと二十分弱、再びメッセージ。
『綺麗になったと褒められた』
「オメエよおおお」
『硬いところをほぐしてもらっている。とても気持ちいい』
「何してやがる!」
 勢いのままソファから立ち上がったところで、さらにメッセージが飛んだ。噛み付かんばかりの勢いで端末を睨む。
『コーヒーが美味い』
「は?」
 はたと思い止まった。画面をスクロールし、スコールのメッセージを順番に読み直す。
 座り心地のいい椅子。親切な人。ブラッシング。細かいところに気がつく。頭を撫でる。すっきり。二十分の空白。コーヒー。
「……あの野郎、」
 サイファーは厚手のフーディーを引っ掴み、携帯と鍵だけ持って玄関を飛び出した。目指すは五ブロック先、スコールの通う間口の小さなヘアサロンだ。
「覚悟はできてんだろうなあ!」
 俺様をさんざん弄びやがって、と駆けるサイファーは、自分の端末に「つやつやの髪にすっきりした襟足でピースサインをつくるスコール(真顔)」という、世にも珍しい写真が届いていることには気づかないのだった。

「おいスコール、なんだこの写真」
「親切な人が」
「美容師な」
「トリートメントまでしたから、せっかくだから撮れと」
「……」
「自撮りが上手くいかなかったから撮ってくれた」
「なんで真顔でピース」
「面白いと言うから」
「…………おまえ、アホか?」
「何かを勘違いしてここまでダッシュしてくるアホよりはマシだと思うが」
「テメエ今夜覚えてろよ」
「サイファー、腹が減った。パスタがいい」
「……そーかよ」