指揮官殿が粉薬飲めないってマジで?

 鬼の霍乱だ、と思うと同時に、隣で雷神がでかい声を出した。
「槍が降るもんよ」
「雷神、五月蠅」
 げしっ。風神の相変わらずキレのいいローキックが脛にクリティカルヒットして、声もなく跳び上がる雷神を呆れた目でカドワキが眺める。
「熱が出て、喉が腫れてる。どこからどう見ても立派な風邪だね」
 やれやれと首を振ったバラム・ガーデンの肝っ玉母さんは、手にした薬袋をひらひらと振ってサイファーを見た。
 ガーデンの廊下を歩くサイファーご一行を呼び止めた彼女は、スコールが風邪をひいたと告げたのだった。サイファーも驚きはしたが、すぐに無理もない、と思い直す。任務だ調整だ会議だお偉方との会食だとあちこちを飛び回る指揮官殿は、誰かが口うるさく言ってやらないと自分の身をまるで顧みない。
 あそこまで無頓着だと一種の自傷行為にすら見えてくるというものだ。メシだと教えてやらなければデスクの引き出しに詰め込まれた簡易栄養食品で空腹を満たし、食堂まで引きずって行ってもロクなものを選ばないので、主菜から主食から副菜まで同行者がピックアップしてやらねばならない。同じ建物にいるくせに、部屋に戻るのが面倒だと執務室のソファを寝床にする。かろうじて風呂には入るが、それもたいていシャワーで済ませる。これで体調を崩さないはずがない。特にここ数日は朝晩冷え込むようになっていたからなおさらだ。
 朝晩の冷え込み。
(……つーことは)
 ひょっとしたら、というかひょっとしなくても、サイファーにも責任の一端があるのではないか。いや、ある気がする。心当たりはあった。が、カドワキにそれを勘付かせるわけにはいかない。
 サイファーの脳内を知ってか知らずか、カドワキが薬袋をサイファーに押し付けた。
「というわけなんで、これ、スコールにちゃんと渡しておいておくれ」
「なんで俺が」
「ついでにいいだろう、隣の部屋なんだから。本当はキスティスあたりに頼むつもりだったんだけど、あんたの方が適任さね」
 あの子、忘れたふりしてしれっと置いてったんだよその薬。じゃあ頼んだよ、と言いたいことだけ言って行ってしまう保健医の背を見送るサイファーの袖を、風神がついついと引いた。
「なんだ?」
「サイファー、売店」
「売店?」
「見舞、買」
 やっと落ち着いたらしい雷神ももっともらしく頷く。
「風神の言う通りだもんよ。スポーツドリンクとか買ってってやった方がいいもんよ」
 風邪の時は水分とビタミンだもんよ!と、とうてい風邪などひきそうもない巨漢に言われると妙な気分だ。それでも、すたすたと歩き出す風神の後を追った。

 実のところ、サイファーはスコールがどうなろうと知ったことではない、と思っている。本心だ。周りにどれだけ案じられようと、いや案じられるほどに自分を酷使したがるスコールには心底から呆れていた。誰が頼んでも宥めすかしても怒ってもこればかりは聞き入れようとしないその強情さは、見ているだけで苛立たしい。
 自傷行為のつもりなら隠れてやれ、と思ったし、実際にそう言ってやったこともある。見事に黙殺されたが。
 仲間たちに何をどう言われたところで、彼は自分を蔑ろにするのをやめない。であれば勝手にしろ、俺も勝手にする、というのがサイファーの結論だった。

 というわけで、今日もサイファーは勝手にすることにした。つまり、風神雷神のアドバイス通り売店に行って飲み物や消化によい食べ物を買い込み、こうして昼日中から自室に戻ろうとしているわけだ。
 手に提げたビニール袋がガサガサと音を立てる。カドワキの話だと、スコールは昼過ぎに保健室を訪れ(というかセルフィに引きずられてやって来て)彼女の診断を受けた後は自室に戻っているはずだ。一緒にいたのが目端の利くキスティスであれば薬を置いていくこともなかっただろう、幸か不幸か。
 わざと音を立ててドアを開ける。スコールの寝室に続くドアはわずかに隙間を開けていたが、カーテンを引いているようで様子は伺えなかった。そのまま無遠慮に踏み入る。
 スコールは寝ているようだった。ぽっこりと盛り上がった布団から、ブルネットの髪が覗いている。どかりとベッドの端に腰を下ろし、布団をめくる。
「生きてるな」
「……この程度で死ぬか」
 ないと思った返事があった。起きてたのか、と聞けば、あんたのせいで起きた、と返ってくる。半開きの瞼からこちらを睨む視線が恨みがましい。常より血色がよく見えるのは発熱のせいだろう。体調を崩してマシに見えるとは因果なものだ。
「薬、カドワキが怒ってたぞ」
「……いらない。ただの風邪だ、寝てれば治る」
 子供じみた弁解をへいへいと聞き流しながら、薬袋を手にとって中を改めた。錠剤かと思ったら粉薬も入っていた。抗生物質が錠剤で、解熱鎮痛剤が粉だ。
「熱どれくらいだ」
「測ってない」
「嘘つけ。カドワキが測ったっつってたぞ」
「……覚えてない」
 いよいよ駄々っ子じみてきたスコールの額に掌を押し当てる。やや汗ばんだそこはそれなりの温度を伝えてきた。
「解熱剤あるぞ、飲め」
「いらない」
「流し込むぞ」
「吐くぞ」
「そしたらテメェで片付けろ」
「飲まない」
 強情なのは予想していたので、無理やり引きずり起こして薬とスポーツドリンクをその手に押し付ける。一回分ずつ切り離して渡してやったのだから大サービスもいいところだ。しかしスコールはそれを一瞥し、錠剤だけを手にして粉薬の袋をサイドボードに押しやった。
「こっちだけでいい」
「テメェな、」
 我儘も大概にしろ、と言いかけて、ふと気づく。もしかして、だ。
「……まさかおまえ、粉薬飲めねえのか」
 返事はない。顔を顰めながら錠剤を吞み下すスコールに、もう一度聞く。
「飲めないんだな?」
「……喉が痛いんだ」
 返事になっているようでなっていない。誤魔化したいのだろうが残念ながら失敗している。いよいよ呆れ果てたサイファーは、先程売店で買い求めたものの中からプラスチックのカップを取り出した。桃の半割が大胆に埋め込まれたゼリーは、雷神おすすめの一品だった。
「ガキの頃、薬飲むのにゼリー使ったもんよ」
 そう言う雷神を風神と二人で笑ったが、まさかそれが必要な奴がここにいるとは思わなかった。ここまでくると情けないの一言だ。
 ヘッドボードに背を預けてむっすりとしているスコールを尻目に、ゼリーの蓋を剥がし、ひと匙掬い取った上に粉薬を乗せた。
「ほれ」
「いらない、あんたが食え」
「俺が食ってどうすんだよ」
 ぐい、と顎を掴んで口を開かせる。予想以上に抵抗がなく、ああこいつ一応参ってるんだな、と思いながら、匙をその口に突っ込んだ。続いて空いた手で鼻を塞いでしまえば、スコールに出来るのは口の中のものを呑み込むことだけだ。
 えづきながらも何とか呑み下したスコールの目に涙が浮かんでいる。薬の残りを同じように用意してやると、今度は渋々ながら自分で口に運んだ。
 スコールの息が荒く熱い。熱が上がってきたのだろう。汗を滲ませ、赤く染まった目元でこちらを見やるスコールはそれなりに煽情的だったが、あいにく病人に欲情するほど鬼畜ではない、というか、今のスコールを押し倒しても楽しくないだろう。
「……あんたのせいだ」
 ずるずるとベッドに沈みながらスコールが呟く。
「俺だけのせいかよ」
 カドワキに会ったときに脳裏を過ぎったもの。それは二日前、出張から戻ったスコールを有無をいわさずベッドに引きずり込んで、勢いで抱き潰して、後始末もそこそこに二人して全裸で眠り込んでしまった記憶だった。薄い上掛け一枚を奪い合うようにして眠った。明け方、ずいぶん冷え込んだ。体力を持て余していたサイファーはともかく、日頃の不摂生に加えて出張で疲れていたスコールには効いたらしい。
「あんたのせいだ」
 繰り返すスコールは、とろとろと眠りに引きずり込まれつつある。その首元まできっちり布団をかけてやって、サイファーは少し湿った褐色の髪をかきあげた。
「俺のせいでいいから、とっとと治せ」

 サイファーは、スコールがどうなろうと知ったことではない、と思っている。それは本心だ。だから自分がしたいようにする。スコールはまた無理をして自分を痛めつけるだろう。それでいい、というのがサイファーの結論だった。今のところは。