四月十日 日曜日 おおむね晴れ
今日からスーパーでバイト開始。求人広告には品出しがメインって書いてあったのに、なんかレジ打ちもやらされそう。カネ触るのやだな、ミスったら超怒られそうだし。
四月十一日 月曜日 くもり
朝起きたらめっちゃケツ痛くてビビったけど、たぶん昨日バイトで立ったりしゃがんだりしまくったせいだと思う。ケツ筋鍛えられそう。
四月十三日 水曜日 くもり
スーパーのバックヤードで滑ってケツ打った。うんこしようとしていきむと泣きたくなるくらい痛い。鮮魚コーナーのおっさんがおすすめの作業靴教えてくれたけど、これおれが自腹切って買うんかな。なんか解せない。
四月十六日 土曜日 晴れ
例の作業靴、ぜんぜん滑らん。すごい。自腹切って正解。
休憩室でパートのおばさんがテンションブチ上がってた。何かと思ったら、なんか有名人が来てたらしい。たぶんWROの偉いひと。名前なんだっけ、ど忘れした。
四月十八日 月曜日 雨
荷台に洗剤の箱載せて歩いてたらすげーフローラルな香りして、よく見たら洗剤漏れてた。床にこぼれた洗剤の掃除、けっこうしんどかった。
惣菜を社販価格で買えるって今日知った。二割引きはデカい。
四月二十二日 金曜日 小雨のち霧
霧が出るようになると春だなーって感じ。
来月の住民投票に向けて、スーパーのプライベートブランドのビールの限定ラベルが出た。普通のやつはイエス、ノンアルのやつはノーってでっかく書いてある。
おれは今回のはノーって入れるつもり。でも普通にビール飲みたいからイエスの方を買ってきた。味はまあ普通。
やっぱ瓶ビールの品出しすると二の腕に来る。
四月二十四日 日曜日 晴れ
休憩室のカレンダーにぽつぽつ青いマルがついてる日があって、ずっとコレなんだろうなって思ってたんだけど、どうやら例のWROのお偉いさんが来た日に印をつけてるらしい。
プライバシーもクソもねえな、と思いつつも、だいたい三日に一回くらいのペースで来てんだなとか考えちゃうおれ。
有名人って大変だな。
四月二十五日 月曜日 大雨
雨の日にビールの品出しつらい。めっちゃ冷える。
社員のひとが言ってたけど、あのイエスノービール、ノンアル(ノーの方)が売れてるらしい。ノンアルが売れるのは珍しいって言ってた。やっぱみんなも今度の住民投票はノー派が多いんかな。
四月二十八日 木曜日 くもり
なかなか晴れない。太陽が恋しいけど、夏は夏で暑いからやだな。
WROの偉いひとがレジに並んでるのを見た。あんなに偉いひとでもちゃんと並ぶんだなーと思って、そのレジを担当してたひとに聞いたら何しろ礼儀正しいらしい。後ろに年寄りが並んだら譲ったりするとか。
よく考えたら偉いひとってこうやっていろんな人間に見られてるんだよな。そりゃ礼儀正しくもなるよな。
五月一日 日曜日 晴れ
久しぶりに晴れたけど、っていうか晴れたからか、すげー混んでた。忙しかった。眠い。
五月三日 火曜日 晴れ
いいかげんイエスノービール見飽きたなーとか思いながら品出ししてたら、WROの偉いひとがトコトコ来て、イエスとノーを一本ずつ買ってった。
あ、これ個人情報か? まあいいか、おれの日記だし。
五月七日 土曜日 小雨
社員のひとから聞いたんだけど、イエスノービールが定番化するかもという話になっているらしい。とにかく売上が好調なんだとか。おれも見飽きるくらい陳列してるもんな。
住民投票がどうとかじゃなくて、なんかネタに使うひとが多いらしい。「今夜どう?」っていうフリに答えるのに使うのか? そんな気なくても普通にビール飲みたい場合はどうしたらいいんだろう。ていうかその辺の意思確認をビールのラベルで済ますなよ。知らんけど。
五月十日 火曜日 晴れ
閉店間際にレジに入ってたら、WROの偉いひとがイエスのビールだけ六本買ってった。気に入ったのかな。
ちゃんとマイバッグ持ってた。いろんな柄の猫が踊ってる絵が描いてあって、おれもあれ欲しいんだけどどこに売ってんだろ。
あと、確かに礼儀正しかった。レシート渡して「ご丁寧にどうもありがとうございます」って言われたの初めてなんだけど。
五月十二日 木曜日 晴れ
休憩中に、おとといWROのあのひと来てましたよって言ったら、社員のおばちゃんになんでカレンダーにマル付けとかないんだって怒られた。いや怒るほどのことか?
五月十三日 金曜日 晴れ
最近は閉店前一時間くらいレジってことが多い。
金曜はやっぱり酒の売れがいい。酒だけまとめて買ってくひとも多い。
そういう客が何人もいたんだけど、ひとりノービールだけ六本買ってったひとがいてさすがに笑いそうになった。ノンアルだけ六本かよって。黒い長髪の男性だったけど、酒呑めないのかな。いかにも呑みそうなんだけど。
このひとのマイバッグなんか見覚えあるな、と思ったらWROの偉いひとが持ってたのと同じ柄だった。流行ってるのか? 探してるけど見たことない。
「ヴィンセント、珍しいですね」
「何がだ」
「あなたがノンアルコールだなんて。ひょっとして体調が悪いのでは?」
ことさらに眉を顰めて問うリーブの目の前で、黒髪の麗人は瓶にくちづけたままにやりと笑った。
「なに、この味が気に入っただけのことだ。ご心配にはあたらん」
そう言った言葉尻ごと飲み込むように、おとがいを持ち上げて瓶を呷る。ビールはグラスで飲まなければ美味くないなどと講釈を垂れたのは二週間前の彼自身であるはずだが、そんな彼のためにせっかく冷凍庫で冷やしておいたグラスは空のまま、目下のところテーブルの隅で汗をかく一方だ。その隣に所在なさげな一本のビールも。
ヴィンセントは瓶の中身を呑み下し、ふう、と小さく息を吐いた。その手の中でくるりと回るラベルには大きく「ノー」と書かれている。
今度の住民投票に向けて、という趣旨で地場のスーパーマーケットがやはり地元のブルワリーと共同開発したビールだ。アルコール分ありとなしの二種類、それぞれラベルにイエスあるいはノーの文字がデザインされている、なかなか洒落た意匠のものだった。機構のオフィスからリーブの自宅までの道にある店舗では、そこそこの売場スペースを割いて陳列されている。
気の利いた商品だ、と思ってとりあえずひと揃い買ったのが先週の火曜のこと。この週末にヴィンセントが帰ってくることになっていたから、話の種にするつもりだった。晩酌に試してみたら、さらりと呑みやすく、存外悪くない。
そこで少し、すけべ心が出たのだ。イエスの方、つまり普通のアルコールありビールの方を出してやったら、ヴィンセントはどんな顔をするだろうかと。
いや、詳細の前にひとつ弁解させてほしい。すけべ心というのは必ずしも「そういう」方面のすけべ心ではない。
季節は夏に移りゆき、日中は汗ばむほどの気温になる日も珍しくない。こうなればワインよりもビールが呑みたくなるのはリーブだけでなく、ヴィンセントも食事に合わせるのはもっぱら口当たりの軽いビールを選ぶことが多かった。だからこのビールも彼の好みに合うだろう。ヴィンセントは銘柄をうんぬんする方ではないが、ラベルいっぱいにイエスと書かれた瓶を見れば、少なくとも笑ってはくれるだろう。
惚れた相手の他愛もないことで笑う顔を見たいというのは、立派なすけべ心である。リーブは決して、イエスビールを美味しくいただいたはずのヴィンセントを丸め込んで――「だってあなた、あんなに何本もイエスの瓶空けてたじゃないですか」とかなんとか――彼を美味しく頂かせてもらおうなどと、そんな愚にもつかぬことは考えていなかった。決して。
そういうわけで、今週の火曜、またいつものスーパーに寄ってイエスばかり六本ほど買い込んで来たという次第である。ノーの方を買わなかったのは、単にヴィンセントはノンアルコールビールなんか呑まないとほとんど確信していたためだ。誰も呑まないものを買っても仕方がない。
リーブは冷蔵庫にスペースを作って六本の瓶を冷やし、ついでにビール用のグラスも磨いて冷凍庫にしまった。すべては三か月半ぶりに逢う恋人に美味しいビールを楽しんでもらい、その笑顔を享受するためである。
――という計画はどうやら破綻したらしい。つまり、リーブが今週の仕事を片付けるべくオフィスで奮闘している間、一足先に帰ってきたヴィンセントによって、ノービールが補充されていたというわけだ。彼にしてみればリーブのささやかな期待など底の底までお見通しで、ずらりと並んだイエスのラベルはかえってヴィンセントに、リーブの鼻を明かすために昼下がりのスーパーまで足を運ばせる動機にしかならなかったのである。
ヴィンセントはぺたぺたとスリッパを鳴らしてキッチンに引っ込む。がちゃんばたんと音がして、戻ってきたその手に握られているのはやはりノーの瓶だった。
「ヴィンセント、ご存じだとは思いますがね」
ピスタチオの殻を実ごと砕かんばかりの力で割るリーブの、その胸中もどうせヴィンセントには手に取るように知れているのだろう。ぽん、と軽快な音と共に栓が抜け、ヴィンセントは本日二本目のノンアルコールビールに口をつける。
「普通のビールも冷えてますよ」
「ああ、それはおまえが呑むといい。私は今日はこれで充分だ」
意地っ張りなのはお互いさまで、揃って意地を張れば最後に根負けするのはどちらかといえばリーブの方だ。少なくとも今夜、ヴィンセントにイエスの瓶を握らせることはほとんど不可能だろう。
「どうしたリーブ、ピスタチオに部下でも殺されたような顔をしている」
「ピスタチオに罪はありません」
そう、ピスタチオは悪くない。ノンアルコールビールも悪くない。つまらないすけべ心を出したリーブは少し悪いかもしれないが、罪にはあたらない。悪いのは罪のない中年の悪戯心を弄び、さっきからたちの悪いにやにや笑いを隠そうともしない、この美人に違いない。
「今夜は覚悟してくださいよ」
殻から外したピスタチオを口に放り込み、ヴィンセントを睨みつける。ソファの背に片肘を置きもう片手でノーのボトルを掴んだ性悪美人は、さも愉快そうに両目を細めて瓶の飲み口を舌先で舐めてみせたのだった。
「こんなまどろっこしいことをするおまえが悪いぞ、リーブ」