「もうお帰りですか」
「ええ、お疲れ様でした」
「あっリーブさん、この間の件ですが、」
「すみません、週明けに電話していただいても?」
足早にオフィスを抜ける。支局の職員たちが、リーブの返事に目を丸くした。ワーカホリックの代名詞のような男が、仕事を後回しにしたって? どんな風の吹きまわしだろうか、窓の外は日が暮れ始めてはいるものの、いたって穏やかだ。嵐でも来るのか、と誰かが呟く。これは自分たちもとっとと帰って、備えをした方がいいかもしれない。
当のリーブは柔和な表情を崩さぬまま、ほんの少しだけ申し訳なさそうに大股で歩いてゆく。彼は急いでいた、それだけが誰の目にも明らかだった。
エッジの目抜き通りは日没後も賑やかだった。週末の街は灯りをともしはじめ、雑踏のざわめきが心地よく辺りを暖める。喜ぶべきことだったが、行き交う人々の間をすり抜ける今のリーブには、ほんの少しだけ厄介だった。
ゆっくり吟味はしていられない。悩むことならもう何週間も前から悩んできた。あれがいいかこれがいいか、こっちは喜ぶだろうか、そちらは似合うだろうか。結局、これという答えのないまま今日が来てしまった。もたもたしていたら皆に嫌味を言われてしまう――いや、嫌味が怖いわけではなくて、自分ひとりが仲間はずれにされるような感覚が嫌なのだ。子供じみた発想に苦笑が漏れる。
悩んだ挙句当日までもつれ込んだ贈り物選びは、結局のところ直感に任せることに決めた。行き当たりばったりというのも悪くない、と思うようになったのは、風に任せてあちこちほっつき歩くひとを見ているからだろうか。その風が心地よいものなのか、臆病風なのかは、さておいて。
ショウウィンドウできらりと光る瓶は、珍しい磨りガラスが洒落ている。年代物の蒸留酒、値段を見れば上物と分かる。早速飛び込んで、店員の挨拶も待たずにあれを、と示す。ついでに、これがよく合いますよと差し出されたナッツの蜂蜜漬けも。レーズンバターもいいのだが、保冷が効かないので諦めた。それはまた今度だ。
店を出た向かいには落ち着いた雰囲気のアクセサリを並べた露店、覗き込んだらシンプルなシルバーのかんざしがあった。黒い髪によく映えるだろう。店員の若い男は男性でも似合いますよと笑ったから、ほなそれもらおか、と口調を崩す。リーブには必要ないけれど。
包みを受け取って立ち上がると、気の早いことに冬の空気を含んだ風が通り抜けた。これからは寒くなる一方だろう。少し進むと、リーブが贔屓にしているブランドのショップがあった。ドアを開けて目に飛び込んできたのは細身のグローブ、目端の利く店員がこちらですと指し示した手首から先だけのマネキンに嵌められたそれは、暖色の明かりを受けてなめらかにしとやかに佇んでいる。きっとあのすっと伸びる手指に似合うはずだ。即決したリーブに、店員が柔らかく微笑む。
目的地までの道のりはあと半分、目抜き通りの終点を右に曲がればパーティ会場まではすぐそこだ。時計をちらりと見れば、自分で予告していた時間まであと二十分を切ったところ。まだいけるな、と頷いて再び通りに出る。
横合いから出てきた女性にぶつかりかけて、失礼、と足を止める。紙袋を提げた彼女は上機嫌なようで、こちらこそと頭を下げてリーブの来た方に歩いて行った。何の店かと見てみると、店内には暖かそうなニット製品が並んでいる。悪くない、と閉じたばかりの扉を開けて潜り込む。しばらくして出てきたリーブの手には、さきほどの女性が持っていたのと同じ紙袋があった。手袋とマフラーはセットやろ、というわけだ。
マフラーの色選びに少し時間がかかってしまった。そろそろ寄り道を切り上げなくては、と考えるリーブの鼻孔を、優しく爽やかな芳香がくすぐった。見れば小さな間口の花屋だ。世界の復興はまだまだ、ようやっと端緒についたところとはいえ、かつて陽の光もろくに射さなかったミッドガル跡で生花を商う店が建ったことに感慨を覚える。それから、「彼女」の姿が脳裏に浮かんだ。今夜はきっと、彼女も来てくれているだろう。
贈り物ですか、と察しのいい中年の女性店員に声をかけられる。これだけあれこれ抱えていれば当然か。ええそうなんです、何か、そんなに大げさではなくて、でも綺麗なものを。そう言うと、これなんかどうでしょうとひとつのバケツが示された。ほらこういう品種はロゼット咲きと言って、数本でも束にすれば見栄えがしますよ。例えばこんなふうに、と差し出された数輪の薔薇は深い緋で、リーブは一目で気に入ってしまった。秋咲きの豪奢なそれを、絹のリボンでまとめてもらう。
花束を受け取ったところで、ケット・シーからの通信が入った。ユフィはんとバレットはんが、リーブはんの悪口言ってはりますよ。こんな日に主役でもないのに遅刻してくるなんて、図々しいて。あっ、シドはんも乗ってきはった。マリンはんがそんなこと言わないで、やって、ほんま優しくてええ子やなあ。その様子が目にありありと浮かんで、思わず笑みがこぼれる。今行きますね、と返事をしながら、リーブはついに駆け出した。両腕にいっぱいの贈り物を抱えて。
「それ全部持って行く気か、明日運んでやるぞ」
「いや、大丈夫だ。ありがとうクラウド」
「本当に? リーブさん、手伝ってあげてね」
「もちろんです」
夜も更けたセブンスヘブンの戸口で、ヴィンセントは抱えたプレゼントからやっと顔を出している。箱を重ねて、腕からは袋をいくつも提げて、まるでクリスマスの朝の幸せな子供のようだ。今夜は近くのホテルに宿を取るとはいえ、ストライフ・デリバリー・サービスに任せた方が賢明な気がするのだが、ヴィンセントはクラウドの申し出を頑として受け付けない。
誰の誕生日でも最終的にはこうなる、という有様のフロアには、酔い潰れたバレットとシドとユフィが転がっている。あれこれと飲食の世話を焼きながらもそれなりの量を本人も呑んだはずのティファは、呆れ顔で眺めわたして、ユフィだけは上に連れてってあげようかな、と呟いた。
眠そうな顔のナナキが、それでもヴィンセントのマントの裾を引いた。
「ほんとに、誕生日おめでとう、ヴィンセント」
「何度目だナナキ、でもありがとう」
「こういうのはさ、何回でも言っていいんだよ。楽しいこととか素敵なことは、どれだけあっても困らないって、じっちゃも言ってたしね」
ヴィンセントが口許を綻ばせる。その赤い毛並みを撫でてやりたいのだろうが、あいにくと両手は塞がっていた。わかってるよ、とでも言うようにその脚にナナキが頭を擦りつけて、ふわあと小さくあくびをした。
「ではそろそろ行こう」
「ええ、ティファさん、貸切させてくださってありがとうございました」
「他のお客さんなんか入れられないわ。また来てね」
「気をつけて」
「ああ、ありがとう。おやすみ」
「おやすみなさい」
店を出ると、辺りは静まり返っていた。抱えた荷物のせいでいつもよりもそろそろとした足取りに、リーブは苦笑する。
「ヴィンセント、少し持ちますよって」
「いや、いらん」
「取りませんから」
「問題ない」
さっきからずっとこうだ。リーブがどれだけ手を出そうとしても、頑なに跳ね除けられる。友人たちからのプレゼントが嬉しいのは可愛らしいことだが、そのうちぶちまけたりこけたりするのではないかと気が気ではない。
「大切なもの、落として壊したらどうするんですか。ほら、その抱えてるやつ貰いますよ」
言っても聞かないから手を出した。今日はガントレットを外しているから、彼の少し冷えた指に直接触れる。一番下の箱をぎゅっと握るその指を引き剥がして、三つ四つの箱を強引に奪った。
「さ、行きましょう」
歩き出すリーブの後ろで、ヴィンセントが何かを呟いた。え、なんですか、と振り返る。
「おまえはいつもそうだ」
「何の話ですか」
「私はおまえに自分の荷物を持たせたくなどないというのに」
赤瑪瑙の輝きがリーブを見て、それからもっと遠くの方に投げられた。その目が湛えている疚しさや後悔に似た色に、何杯かのアルコールで気安くなったリーブはやれやれと溜息を吐いた。
「また始まった」
「またとは何だ」
「たかだか荷物持ちの手伝いに、何重ねとんねんこのおっさんは」
「おっさんだと」
「おっさんでしょう、あなたも僕も。ええ歳こいて」
さっさと歩き出すと、渋々といった風情の足音がついてくる。リーブは箱を抱え直して、ヴィンセントに言ってやった。
「僕はあなたの荷物を抱えたりなんかしませんよ」
「……」
「ヴィンセント、全部あなたのものです」
背後の男は、殊勝にもリーブの言葉の続きを待っているようだ。しかし残念ながら、もう言いたいことは言ってしまった。ざくざくと未舗装の道を踏む音だけが続く。
どうにも腑に落ちない、という空気を放つヴィンセントは、まだリーブという男を誤解している部分があるようだ。日頃、食事だ家事だと世話を焼いてやっているのは確かだが、それはほとんどリーブの趣味のようなものだ。どうせ放っておいたら何もしないのだから仕方がない。
だからと言って、彼の胸の裡で未だにじゅくじゅくと燻る悔恨までどうこうしてやるつもりは毛頭なかった。ヴィンセントは苦しいだろうが、苦しいというなら誰にだってそういう記憶はある。もちろんリーブにも。その慚愧の念は、深ければ深いほどその人間の根幹に繋がっているものだ。
つまり、あけすけでありていな言い方をすれば、その傷もひっくるめて好きだ、ということになるのだが、そんな青臭い台詞を吐くには、リーブもいささか歳を食い過ぎていた。だから、さっきのが精一杯だ。
「分かってへんやろなあ」
ひとりでに飛び出した言葉に、自分が思いのほか酔っていることを知る。ヴィンセントの怪訝なまなざしが後頭部に刺さった。ホテルはもうすぐそこだ。
「まあ、ええけども」
「さっきから何をぶつぶつ言っている」
「こっちの話ですんでお気遣いなく」
「気遣っているわけではないが」
「真面目か」
「おまえ、酔っているな」
「ええ、酔ってます」
プレゼントを落とすなよ、と先ほどまでの自分を棚に上げてヴィンセントが苦い声を出す。それが無性におかしくて、リーブは吹き出した。