overgrown

【overgrown】[― child]体だけが成長した、子供じみた。
※ハッピー異界設定

「おらクソガキ、準備できたか」
「ああもう急かすなよ、今出るって」
 玄関からオヤジが呼んでる。おれはクローゼットをがしゃがしゃ引っ掻き回して、やっと目当てのパーカーを取り出した。窓の外は陽が輝いて暖かそうだけど、ここ数日で夜はぐっと冷え込むようになったから。
 メッセンジャーバッグを引っ掛けて部屋を出る。仁王立ちのオヤジは薄手のシャツ一枚だ。上裸じゃないだけマシかな。リネン地のちょっとくたっとしたシャツ、洗い晒しの白が精悍な肌の色によく合ってる。ボトムスはヴィンテージのジーンズで、革のウォレットコードはクラシックなダークブラウン。がっしりした体格は何を着てもそれなり以上に見せてくれる。おれも鍛えてるから筋肉なんかはついてきたけど、オヤジの規格外の身体に比べれば全然ひょろっちい。
 格の違い、みたいなものを見せつけられた気がした。むう、と睨みつけるおれの視線をどう解釈したのか、オヤジがニヤリと笑う。
「どうした、惚れたか?」
「るっせ、ばーか」

 秋祭り、というのがあると教えてくれたのはブラスカさんだった。十年も異界でおれたちを待っていたブラスカさんとその奥さんは、こうやっていろんなことを教えてくれる。
「収穫祭みたいなものだね。この年の実りに感謝して、豊穣を祈るんだ」
 屋台なんかも出てとても賑やかになるのよ、と奥さん、ユウナのお母さんが教えてくれた。遊びに行ってきたらいいんじゃないかしら。夜はもしよければうちにいらっしゃいな、伝統的なアルベド料理をたくさんご馳走するわ。その隣でブラスカさんがデレデレ笑って、きみの料理は本当に美味しいからね、だって。アーロンが「万年新婚夫婦」って言ってるのがよく分かる。
 アーロンは何か用事で、夜に合流するって言ってた。そういうわけで、おれはオヤジとふたりで、祭に出かけることにしたんだ。 

 祭のメイン会場である広場までは、うちから少し歩く。ブラスカさんたちが言ってた通り、いつも以上に人通りが多い。すれ違うひとたちが、ジェクトだ、ティーダだ、と囁き合うのが聞こえる。たまに手を振ってくる人には、振り返す。目立っちゃうのはもう仕方ない。きゃあきゃあまとわりつかれるようなことはないから助かる。
 おれは少し早足、だってオヤジの歩幅が大きいから。それに気づいて、少しだけペースを落としてくれるのがなんかくすぐったい。
「おれももうちょっと身長欲しいな」
 呟くと、オヤジは前を見たままふっと笑って、おれの頭をぐしゃぐしゃ撫でた。



 広場は人でいっぱいだった。屋台からいろんな美味そうな匂いが漂ってくる。今日はこれを当てにして昼飯を軽くしたから、おれは湧いてくる唾液を期待と一緒に呑み込んだ。でもあんまり買い食いしすぎちゃダメだ、夜はアルベド料理のフルコースが待ってる。
「おっ、美味そうだなアレ」
 オヤジがさっそく、手近な屋台を覗き込んだ。すぐに戻ってきた手には、肉の串焼きが二本。ほれ、と片方を手渡されて、同時にかぶりつく。うん、美味い。炭の香りに閉じ込められた肉汁がぶわっと溢れ出して、口の中いっぱいに広がる。
「よっし、次何にすっか」
 あっという間に平らげたオヤジは、行儀悪く指先を舐めながら辺りを見渡す。ビールがあるじゃねえか、と目を輝かせて行ってしまう背中を、おれは呆れた目で見た。
「オヤジ、夜の分の腹、残しとけよ」
「ああ? 分かってるっつーの」
 デポジットの陶器のマグになみなみと注がれたビールを啜るオヤジはご機嫌だ。もうちょい肉食いてえな、と言いながらまたフラフラ歩き出すのを追いかけた。
 カリーヴルスト、ファラフェルサンド、焼き鳥にフライドポテト、ケバブ、などなど。アンタ、屋台の端から順番に制覇してくつもりかよ、と言いたくなるくらい、オヤジは次から次へと平らげていく。おれはいいって言ってんのに、どれもこれもふたつずつ。しかも、キングのご来訪だってんで、どの屋台もオマケしてくれて大盛りだ。
「オヤジ、ストップ。おれもう食えない」
「なんでえ、もう打ち止めかよ。そんなんだからいつまで経ってもひょろひょろなんだぜ」
「うるせ。アンタ、そんな暴飲暴食してたらそのうち一気に太るぜ」
「俺様をその辺のオッサンと一緒にすんな」
 って言いながら呷ってるそのビール、何杯目だよ。今日はきっと、夜まで呑みっぱなしだ。あとで面倒見るのおれなんだよな、アーロン手伝ってくれるかな。こめかみを押さえるおれの名前を、誰かが呼んだ。
「ティーダ、ティーダってば!」
「え、」
「こっちこっち」
 おれより先に声の主を見つけたオヤジに、肩をとんとつつかれる。振り向いてみると、出店の軒先に昔の友達が立ってた。こいつはジュニアでブリッツやめちゃったけど、今でもたまに連絡し合う。
「なんだよ、こんなとこで何やってんの」
「親戚の手伝い。ちょうどいいや、遊んでってよ。ジェクトさんも」
「なんだあ?」
 これこれ、と示されたのは、一から九までの数字が並ぶパネルだった。ブリッツボールが転がっている。ははーん、と隣のオヤジが笑った。
「ふたりには簡単すぎるだろうけどさ」
「外そうったって外せねえわな。まあ、おぼっちゃんは? どうだか知らんけど?」
 やっすい挑発だけど、乗らないわけにはいかない。それに、古い友達のために、客寄せしてやるのも悪くない。おれはボールを受け取って、オヤジを見上げた。
「そーゆーオヤジこそ、酔っ払って手元狂うんじゃねえの?」
「言ったなクソガキ」
 オヤジがポケットから小銭を出して、友達に渡した。毎度ありぃ、と笑うのを聞きながら、おれとオヤジは火花を散らした。道行く人たちが、なんだなんだと人だかりを作る。キングとエースのガチンコ対決だよ、見てってよ、と呼び込む友達の横顔を睨みつけた。ガチンコ勝負はプールの中だけだっつーの。
 ボールをくるりと回したオヤジが、ただの勝負じゃつまんねえよなあ、と言った。
「何か賭けっか」
「何かってナニ」
「負けた方は勝った方の言うことを何でも聞く」
 どうよ、と見下ろすニヤニヤ顔。どうせオヤジはろくなこと言いださないって分かってる。分かってるけど。
「勝てばいいんだよな」
「おっ、そう来ねえとな」
「見てろよ、後で謝っても遅えからな」
「その言葉、後悔するぜ」

 で、結局。十回戦して、勝負はつかなかった。利き手と反対を使うとか、後ろ向いて足の間から投げるとか、いろいろやったんだけど。パネルがへろへろになっちゃうからもう勘弁して、って言われて解散。
 日が暮れ始めていた。ビールを売っていた屋台がグリューワインに切り替え始めて、もう夜が来るって教えてくれる。ひんやりした風が吹き抜けて、おれは腰に巻いてたパーカーを羽織った。
「んじゃ行くか」
「うん」
 雑踏を抜けて、ブラスカさんちの方角に向かう。住宅街に入ると喧騒が遠くなって、代わりに夕飯を準備する匂いがあちこちから漂ってきた。
「あのさあ、」
「おう」
「さっきのやつ、勝ったら何させるつもりだったわけ」
 オヤジの歩く速度が、ちょっとずつ遅くなっているのにおれは気づいていた。ブラスカさんの家まで、普通に歩けばあと十分てとこだ。その距離を惜しむように、ことさらゆっくりとオヤジは歩く。
「んー? おめえは?」
「おれは……」
 実はあんまり考えてなかった。勝つ気がなかったわけじゃないけど、思いつかなくて。
 オヤジにさせたいこと、ってよく考えたらそんなにない。散らかしたら片付けろよ、とか、酒呑みすぎんなよ、とか、そういうのはあるけど、こういう時にはちょっと違う。今さら買って欲しいものがあるわけでもないし。
(……そっか、)
 おれは足を止めた。すぐに気づいて立ち止まるオヤジの背中を見る。
(おれ、「今日」が欲しかったんだ)
 晴れた日に、ふたりで出かけること。同じもん食べて、お互いに勝負ふっかけあって、結果を次に持ち越して、それでもいいや、それがいいやって思うこと。肩をどついたり、頭をぐしゃぐしゃにされたり、足払いかけたり、上から押さえつけられたりしながら、同時に笑うこと。ちょっとだけ浮かれた人混みの中で、並んで歩くこと。
 そういう、なんてことないことを「当たり前」にすること。
「……へへっ」
「なァに笑ってんだよ」
「教えねー」
「ほれ、何させたかったか言ってみろい」
「言わねー」
 おれはオヤジに追いついて、口を噤んだ。どれだけ聞かれても教えてやるつもりはなかった。気恥ずかしいのもあるけど、もう叶っちゃったって気づいたから。
「先に聞いたのおれだからな。言い出したの、オヤジだし」
「んー、あーそうなー」
 おれたちの歩みはいよいよ遅くなって、こんなんじゃいつまで経っても目的地に着かない。でも、おれから急かす気はしなかった。がりがりと後頭部を掻くのはオヤジの癖だ。んんー、と唸って、それからオヤジの大きな掌が、おれの頭にぽんと乗った。
「教えねー」
「なんだよそれ、真似すんなよな」
「言わねー」
 ぶーん、と何かが震える音がする。オヤジのケータイだ。アーロンが痺れを切らしてかけてきたらしい。それに応答しながらいつもの大股で歩き始めるオヤジを追いながら、おれはニヤけそうになる唇をぐっと噛んでこらえた。電話を取る直前にオヤジが漏らした呟きを、頭の中で何度もなぞりながら。
 ――言わなくても、分かんだろ。