snow

【snow】雪、降雪。

 ひずみに入るとそこは一面の銀世界だった。
「雪か」
「雪だね」
「雪だあっぐぇ」
「ティーダ、ステイだ」
 まっさらな雪原に飛び込もうとするティーダのフードを、クラウドが引っ張って引き留める。首締まるぅ、と呻くその足は脛まで雪に埋まっていた。
 見事なパウダースノウに覆われた大地は、緩やかな起伏を描きながら地平線まで広がっている。時折吹き付ける風は雪片を舞い上げて冷たく、小さく震えたセシルがマントの端を引き寄せた。
「さすがに寒いな」
「ああ、ティーダとクラウドは大丈夫? 引き返すかい?」
 マントに鎧の自分たちと違って、彼らは薄着だ。腕を剥き出しにしたクラウドは、しかし首を横に振った。
「問題ない。対処法もあるからな」
「対処法?」
 背後のクラウドにフードを被されたり外されたりしているティーダが首を傾げる。されるがまま遊ばれている姿といい、さきほど雪に飛び込もうとしたことといい、まるきり元気な仔犬のようだ。彼に向かってひとつ頷いたクラウドは、おもむろにしゃがんだ。
「こうして」
「うん」
 腕を振り上げながら立ち上がる。
「こうする」
「なるほど?」
「これを繰り返すと、体温が維持できる」
「ティーダ、これが『ドヤ顔』?」
「そうっすね」
 秀麗な顔をぴくりとも動かさずにかなりのペースでスクワットを続けるクラウドは、半歩退いた仲間たちを鼻で笑った。
「馬鹿にならないぞ、俺はこれで標高数千メートルの雪山を踏破したことがある」
「おれ、クラウドには何しても死なない気がする」
「同感だ」
「僕も」
 そういうわけで、今日も四人の旅は通常運転だった。

 歩けども歩けども雪。
「なーんもないっすね」
 ティーダが退屈そうな声を出すのも無理はない。イミテーションも、アイテムも、全てが粉雪の下に埋もれてしまったようで、四人の声と足音だけが虚ろな空に響いている。
 足の裏でぎゅうと鳴る白。びゅう、と唸る風。フリオニールの担ぐ武器が、いつもより澄んだ音を立てる。急に既視感を覚えたティーダは首を傾げた。どこかでこんな景色を見たことがあっただろうか? それとも、雪景色というのはそういう作用を誰にでも及ぼすのだろうか。
 元の世界の記憶は、まだ断片的でぼやけたままだ。何ひとつ確かなところのない、靄を掌に遊ばせるように危うい思い出たち。深追いしたら消えてしまいそうで、ティーダはいつも尻込みするのだ。

 ――こんなふうに歩いていたはずだ。視界を奪う白銀に怯えながら。いや、怖かったのは雪ではなくて、もっと他の何か。喪失や離別、終焉、そんな何か。避ける術はないかと、歩いていても闘っていても考え続けていて、けれど思考回路は錆びついてしまったように動いてくれなくて。そうだ、歌が聞こえていたはずだ。遠くから、自分たちの背を押すように、力強くも優しい歌が――

「ティーダ」
 名前を呼ばれてはっとするのと、後頭部に冷たいものがぶつかるのはほとんど同時だった。びっくりして振り返ると、悪戯っ子そのものの顔で笑っている三人が並んでいる。
「な、にすんだよ」
「だーれだ?」
「はあ?」
「今おまえに雪玉を投げたのは誰だ?」
「当ててみろ」
 可笑しくてたまらない、という表情がみっつ。ティーダは、今にも声を上げて笑い出しそうな男たちを呆然と眺めた。
 フリオニールは僅かに覗く犬歯で唇の端を噛んでいる。セシルが歯を見せて笑うのにはなかなかお目にかかれない。クラウドの唇も綺麗に吊り上がっている。揃って手を後ろに組んでいるのは、雪で濡れたのを隠すためだろうか。まるっきり子供のような悪ふざけを仕掛けてくるのに、妙に抜け目がない仲間たちを前に、ティーダは思わず吹き出してしまった。
「あれ、ティーダ、降参かい?」
「諦めるなんてらしくないな」
「分からないならもう一回やるか」
「やられるか……よっ!」
 ほら後ろを向け、と言うクラウドの顔面めがけて、ティーダは素早く掴み取った雪を投げつけた。玉にする余裕のなかったそれはぱらぱらと空中で崩壊する。
「握りが甘いな」
「しかもクラウドじゃないしね」
「正解はフリオニールだ、残念だったな」
 したり顔の三人は、後ろ手にしていた腕を振りかぶった。ぎっちり握られた雪玉が、陽の光を反射してきらりと閃く。やべ、と回避行動を取るティーダの足が、柔らかな雪に取られてずるりと滑った。
「うわっ……」
 一斉に投げつけられる雪玉は、痛くて冷たいはずなのに何故か優しかった。

 なし崩しに始まった雪合戦は、四つ巴の大乱闘になった。ティーダの投げた玉がクラウドを狙うセシルの横っ面にヒットして、よし、とガッツポーズを決めた瞬間に首筋にクラウドの玉が当たる、そのクラウドの鼻にフリオニールの玉が命中する、満足げな笑みを浮かべるフリオニールのバンダナを、行き場を失ったセシルの玉がずらす。
 当てても当てられても止まらない笑いに息が切れて、ついにティーダは仰向けに倒れこんだ。四人揃ってさんざんに暴れ回ったから、雪に埋まってしまうことはない。それでも地面よりはやわく受け止めてくれる。
「あーもう無理……」
 いつの間にか汗までかいていた。このままだと冷えて風邪をひくな、と思いつつも、身体を包み込む雪の温度の爽やかさに深く息を吸う。どさ、がちゃがちゃ、と音がして、三人も寝転んだ。頭を突き合わせるようにして空を仰ぐ。
「はしゃいじゃったね」
「年甲斐もなくな」
「まだそんな歳じゃないだろ?」
「いや、二十歳過ぎてこれはちょっと」
 息を整えているのか笑っているのか分からない。そろそろこのひずみを出なければ、外は日が暮れ始めているだろう。けれど、誰も動かないのをいいことに、お互いに責任を押し付けるつもりでごろごろしている。
 腰が痛いだの脚がだるいだの、今度は年寄りじみたことをぼやき出す三人の声を聞きながら、ティーダは静かに瞼を閉じた。ありがとな、という言葉は、まだ言わないことにした。