enchanted

【enchanted】大喜びして、うっとりして。魔法をかけられて。

「クラウド、ティーダどこ行ったか知らねえ?」
 そう声をかけてきたのはジタンだった。毛並みのいい尻尾をくるりと立てて、ちょうど武器の手入れを終えたクラウドの隣に立つ。もう夜半だというのに、洒落た衣装に乱れたところはない。
「さあな」
「あっ、意外と冷てえんだ」
「俺は子守じゃない」
「それ、アイツが子供だって言ってんのと同じだぜ?」
 にやりと口角を吊り上げるジタンの後ろから、ひょいと顔を出したのはティナだ。
「フリオニールもいないの」
「あれ、そっちもいないのかよ」
 その二人が揃っていないなら放っておけ、と言いたいところをクラウドは呑み込んだ。彼らの関係を知るのはクラウドとセシルだけだ。クリスタルを手に入れた面々と合流して、悩んだ末に公表するのをやめた二人の想いを尊重してやりたかった。
「……ふたりに何の用だ」
「わたしはフリオニールに装備品を貸してもらいたかったの、明日の探索に使いたくて」
「俺はアイテムの交換、ティーダが欲しがってたやつがたまたま手に入ったからさ」
 なるほどな、と頷いたクラウドはティナに必要なものを訊く。かがやくトンボ玉が欲しくて、と言う彼女に、クラウドは手持ちのアクセサリーを漁った。横から覗き込むジタンが、結構いいもん持ってんなあ、と目を輝かせる。
「……これだな」
「あ、それ。明日一日、借りてもいい?」
「いい、やる。俺は使わない」
「ひゅー、クラウドさん、おっとこまえー」
「でも、もらうだけなんて、悪いわ」
「使わないものを持っていても仕方がないからな」
 実のところ、決して使わないわけではない。が、あればたまに便利というだけで、近距離物理攻撃型のクラウドなら他に有用なアクセサリーはいくらでもある。
 ジタンが囃すのをとりあえず無視して、トンボ玉をティナの手に握らせてやった。ありがとうクラウド、今度お礼させてね、と言うティナの微笑みに心が凪ぐのはオニオンだけではない。
「ジタン、おまえの用事は急ぎなのか」
「いんや、全然。別に明日でもいいしな」
「なら明日にしろ」
 いつもながらに言葉少ななクラウドを、ジタンが訝しむことはなかった。じゃあそうするわ、お疲れさん、と去っていく。クラウドは溜息をひとつ吐いて、そっと立ち上がった。

 正直なところ、ふたりがどうしてそういう仲になったのか、クラウドにはよく分からなかった。
 それぞれ別の世界から寄せ集められた十人、結末がどうあれこの先ずっと一緒にいられる訳ではない。闘いの中で死に別れるか、目的を果たして元の世界に帰るか。終わりの見えている関係を結ぶことが怖くないのだろうか、虚しくならないのだろうか。
 まだ四人で旅をしていた頃、不寝番の手持ち無沙汰にセシルとそんな話になったことがある。愚かなことを、というつもりはなく、それでも寄り添うことを選んだ可愛い弟分たちの葛藤を思えばこちらの胸まで苦しく切なくなる、そんなクラウドの胸中を的確に汲み取ったセシルは、白皙の美貌を焚火に照らされながらやはり哀しい笑みを浮かべた。
「それでも、手を離すわけにはいかなかったんだろうね」
 互いに。そういうものだろうか、そうなのかもしれない。クラウドは緩く握った自分の手を見つめた。この手を離さなかった誰かがいた気がする。

 キャンプの見張りを今夜の相方のウォーリアに任せて、クラウドは哨戒に出ることにした。戦士たちはそれぞれ寝んでいるが、ティーダとフリオニールのテントは空のままだ。隠れてする逢い引きが楽しいのは想像に難くないが、ほどほどにしてもらわなければ困る。
 気配を探りながら獣道を歩く。この森はずいぶんと静かで、夜行性の鳥の羽音や木々のざわめきもなかった。だから、クラウドがその微かな声を聞きつけるのにそう苦労はしなかった。
「………って……だろ、」
「おまえ、―――から……」
(……いたな)
 十中八九、あのふたりだ。クラウドは足音を殺して辺りを見回す。折り重なる枝の向こうに、動く影を認めた。そっと体勢を低くして移動する。困ったものだと思いつつも、限られた逢瀬を邪魔してやるほど無粋ではない。
 夜目に慣れたクラウドの瞳が、まずフリオニールの背を捉えた。暑くも寒くもない夜だ。樹を抱き込むように立つ彼の、装備を外した肩にティーダの手がかかる。近づくにつれて、ふたりの交わす言葉も鮮明になってきた。
「……仕方ないやつだな」
 フリオニールの声は隠しきれない熱を孕む。その広い背中にぐっと力が入って、薄いシャツ越しに筋肉が盛り上がるのが分かった。
(……よりにもよって、)
 真っ最中を見つけてしまうとは。予想はしていたが、いざ直面すると居心地の悪いものだ。放っておいてやるべきだろう。明日の朝は説教だなと、そう結論づけてクラウドが踵を返そうとした時だった。
「――あぁ、う、」
 艶めいた声。はぁ、と零れる吐息には愉悦の色が満ちている。くぅん、と甘える仔犬のような啼き声に、クラウドの脚が止まる。
(やめろ、振り返るな)
 こんな下世話な、出歯亀じみたことなどしたくはなかった。ましてや信頼する仲間、弟のようなふたりの交わりなど。制止する意識とは裏腹に、視線が勝手に来た道を戻る。まるで言うことを聞かない眼の他は、全身が呪いにでもかかったように動かなかった。
 夜に沈む森の中で影が蠢く。両腕でティーダを抱え上げたフリオニールの腰に、柔軟な筋肉を纏った脚がいっそ婉然と絡みついた。もう片脚は垂れ下がり、爪先がかろうじて黒土を擦る。そのふくらはぎがひくりと痙攣するのさえ見えてしまう。
(やめろ、)
 クラウドは奥歯を割れんばかりに噛み締めた。こうして盗み見る情事に一片の興奮も覚えることはなく、背筋に戦慄が走る。それでも釘付けになった視線はフリオニールの背を辿り、彼の肩甲骨に爪を立てる指を見た、それから。
 肩口から覗いていた髪が伸び上がり、ティーダの唇が男の耳朶を食む。フリオニールの真新しい鉄のような銀髪に、少年の人工的な金色が重なって、ふた色の輝きを透かした青がすうと細められる。
 喜悦に恍惚と融けた瞳が、確かにクラウドを見据えた。ああ、と歓喜の喘ぎが――
「……ッ!」
 湿った皮膚を纏う肉がぶつかり合う音に、縺れる脚を叱咤して走り出す。死神に魂を抜かれかけた哀れな獲物のように、心臓が早鐘を打っていた。クラウドを支配するのは、まぎれもない恐怖だった。

「おはよっす、クラウド」
 翌朝、背後から肩を叩く手にクラウドは飛び上がった。勢いよく振り返って目を見開くと、同じく驚いた顔のティーダが固まっている。
「どうしたんだよ? え、おれ何かした?」
「……いや、悪い。ぼうっとしていた」
「そっか、昨日見張り番しててくれたんだよな。おつかれ、ありがとっす」
 クラウドは結局、一睡もせずに夜を明かした。どうやってキャンプに戻ったのか、何と言ってウォーリアをごまかしたのか覚えていない。交代を申し出るバッツとスコールを押し戻してずっと火の番をしていたが、ひっそりと戻ってきたティーダとフリオニールを見ることはなかった。出来なかった、というのが正しい。ふたりに割り当てられたテントを背にして、東の空が色づくまで身じろぎもせず座っていた。
「しんどいなら今日は休んでた方がいいっすよ?」
「ああ……大丈夫だ」
「そっか? あんまり無理しないでくれよな」
 朝食の準備が出来たことを告げるオニオンの声に、ティーダが歩き出す。のろのろと後を追うクラウドを、少年が振り返った。
 きゅ、と吊り上がった口角、眇められる目。闇に紛れて男を貪った獣が、禁忌を破ってその姿を見たクラウドを、無言のうちに譴責していることを知り、クラウドは再びあの戦慄に絡めとられた。