「ティーダ、休憩にしよう」
そう言ってフリオニールが足を止めたのは、見渡す限り濃い緑がざわめく草原の真ん中だった。うん、と頷いたティーダは右手に提げたままだった愛剣を消して――当たり前のように空間から出し入れしているが、そういえばどういう原理なのかはよく分からない、考えても仕方ないのだが――ぐっと伸びをする。深く息を吸い込めば、芽吹く若草に起こされた土のにおいがした。
「なんか、春って感じ」
「そうだな」
この異世界は季節も気候もまるででたらめで、この辺りは春ののどかな昼下がりの様相だが、今朝ふたりが目覚めたエリアは真夏の蒸し暑さだった。よく晴れていると思えば突風が吹き、バケツをひっくり返したような大雨に追われているうちに砂漠の日照りに焦される。忙しないことこの上なかったが、そういうものだと飲み込んでしまえばこれはこれで退屈しなくていい。
ティーダと違って武器を身につけたままのフリオニールは、休憩の時にはそれらをひとつずつ外すところから始める。肩に背負った弓を下ろし、腰に長剣を提げる組紐を解き、それから斧、チェーン付きナイフ、水晶球を嵌め込んだ杖などなど。おれらみたいに出したり消したりすればいいのに、と思わないでもないが、八種の武器を背負った背中は頼もしくもあるからティーダはいつも口を噤んでいた。
がちゃがちゃと金属の鳴らす音を聴きながら、お先に、と腰を下ろす。歩きづめで疲労の溜まっていた両脚をぐんと伸ばして軽いストレッチだ。上体を前に倒して長座体前屈のかたちになると、鼻先を見覚えのある草がくすぐった。
(なんだっけ、これ……)
鮮やかに深い緑は花弁を擬態するように丸っこく、白く抜けた模様が愛らしい。鋼鉄とコンクリートに覆われたザナルカンドでも、アスファルトの隙間を割って生い茂る強い草だ。名前が思い出せない。
指先から腰まで解しながらうんうんと考え込んでいるうちに、いくらか軽装になったフリオニールも隣に座った。視界の隅に、彼の指が草に埋まるのが見える。
「この辺り全部シロツメクサか、すごいな」
「あー! そうだ、シロツメクサだ!」
がばりと起き上がり大きな声を出すティーダに、フリオニールの肩がびくりと跳ねる。彼としては何気なく漏らした独り言のようなもので、まさかこんなリアクションは予想していなかったのだろう。
「思い出せなくてモヤモヤしてたんだ、サンキュなフリオニール」
「そうか、良かったな」
「うっす」
ああすっきりした、と破顔するティーダを見てフリオニールも微笑する。吹き抜ける風はするすると肌を撫で髪を揺らし、穏やかだった。
「面白いな、おまえの世界でも同じ名前なのか」
「そういうのけっこうあるよな。チョコボとかもそうだし」
「確かに」
そんな他愛のない言葉を交わしながら、フリオニールは何かを探すように指を動かしている。いつもなら話をする時はティーダから滅多に視線を外さないくせに、今はシロツメクサに注がれていた。
「何か落とした?」
「ああ、いやそうじゃなくて。四つ葉を探してるんだ」
「四つ葉?」
こてん、と首を傾げながら、ティーダも地面に目を落としてみた。ざっと見たところ、どれも三枚一組のようだ。
「ティーダのところにはないのか? 四つ葉のシロツメクサを見つけると幸せになれるって言い伝え」
「聞いたことないっす」
フリオニールが言うのに、四つ葉というのは珍しいが決して見つからないほどではないのだという。だから子供がよく探しては宝物にするのだと。
「四つ葉にはそれぞれ意味があるんだ」
「意味?」
「ええと、幸運、希望、誠実……」
あとひとつが思い出せないが、と言いながらもフリオニールは相変わらず草を掻き分けている。たまにぴたりと手を止めるが、どれも折り重なった葉が見せる錯覚のようだった。俯いた切れ長の瞳には髪と同じ色の睫毛が紗をかけて、ひどく真剣な表情に見える。
「じゃあおれも探してやるよ」
「はは、ちょっと思い出しただけなんだけどな」
「エース様に任せとけって」
「心強い」
おまえなら五つ葉でも見つけられそうだ、と目を細めて笑うから、ティーダは両目をぐっと凝らして寝そべった。
「そういえば、ずっと訊こうと思っていたんだが」
「んー?」
四つ葉探しはそう簡単には終わらない。少しだけの休憩のつもりだったが、どちらも諦めようとは言い出さずにシロツメクサを選り分け続けている。
「あっ……違ったか」
「期待させんなよな」
「悪い悪い」
「で、何訊きたいことって」
「ああ、ティーダの世界は生まれた日を祝うのかと思って」
その質問に、ティーダは顔を上げて目を瞬いた。想定していなかった問いに、なんで、と訊き返してしまう。
「前にクラウドとそんな話になったのを思い出したんだ」
「へえ」
「彼の世界は生まれた日をそれぞれ盛大に祝うらしいんだが、俺のところはそうじゃなかったからな。そもそも生まれた日がいつかも曖昧だし」
そう言うフリオニールは夏の盛りの生まれだと教えられたと言う。それでおまえはどうなんだ、と改めて訊かれたティーダは、ううん、と首を捻った。
「ぜんっぜん、覚えてねえ」
「じゃあ祝わないのか。生まれた時期も?」
「や、誕生日パーティとかはしてた気がするんだけど……そういやおれ、いつ生まれたんだろうな?」
この世界に召喚されてから考えもしなかったが、自分のも誰かのも「誕生日パーティ」らしき記憶はぼんやりとあるから、ティーダもクラウドと同じように生まれたその日を祝っていたはずだ。問題は、自分のそれがいつなのかさっぱり思い出せないということだった。
「うっわ、何かショック」
「まあ気にするな、思い出せないことなんかいくらでもある」
「そうなんだけど……」
「ジェクトに訊いてみるか?」
「ぜってーやだ!」
不意打ちに出された名前に反射的に噛みつくと、フリオニールがくつくつと笑いを噛み殺す。まったく、なんであいつの名前なんか出すんだよ、と悪態をついたティーダは再び四つ葉探しに戻った。
「てかフリオ、夏生まれなんだな」
「たぶんな。変か?」
「いや、何か分かる」
「おまえはいつだろうな」
「んー、夏かなー」
秋とか冬って気はしないんだけど、いや意表を突いてということもあるぞ、何だよ意表って誰の意表だよ、いやそれは、などとくだらないことを言い合いながら四つ葉探しは続く。思った以上に見つからないものだ。ここまで来ると、それこそエースの沽券にかけてひとつやふたつ見つけ出してやらなければ気が済まない。
「分かった、じゃあこうしよう」
「なに?」
「今日がおまえの誕生日だ」
それこそ意表を突くそのひとことに、ティーダは再び顔を上げた。いつの間にかティーダと同じく腹這いになっていたフリオニールも、目を上げてこちらを見ている。
「え、今日?」
「ああ、今日。どうせ思い出せないんだからいいだろう」
「……なんかソレ、雑じゃねえ?」
「そんなことないさ」
明けの明星を映したような琥珀の瞳がふわりと緩む。その指が乱れていたティーダの前髪を静かに掬い上げた。
「この世界に日付なんかないしな」
「そりゃそうだけど」
「だったら俺は今日祝いたいんだ」
――おまえがここに存在していることを。
臆面もなく見つめてくる双眸、直球勝負もいいところな台詞。その一瞬、虚を突かれて何も取り繕えなくなったティーダは慌てて顔を逸らした。
「たっ、たまに恥ずかしいこと言うよなフリオって」
「そうか? おまえは照れると俺の名前を省略するな」
「照れてねえよっばかのばら!」
「だからのばら呼ばわりは止めろと」
「うるさいっすよキザのばら!」
ひどい言い草だ、と苦笑するフリオニールの指を振り払って、わざとらしく離れたところの一群に視線を落とす。まったく、真面目だウブだと仲間たちから揶揄われるのが常のくせに、ふたりでいるとたまにこういうことをやらかすから心臓に悪いのだ。
そんなことより四つ葉だ、と気合を入れてもなかなか集中出来ない。そうこうしているうちに、不意にフリオニールが小さな声を上げた。
「……ティーダ、あったぞ」
「えっ!」
先ほどのやり取りも忘れて飛びつくと、確かに彼の手には四つ葉があった。ひとつの茎から、三つ葉よりも小ぶりな葉が四枚。
「これが伝説の四つ葉なんすね……!」
「大袈裟だな」
「すげー! ほんと全然見つかんねえんだもんな!」
いつの間にか日が暮れ始めている。一体どれだけの時間こうしていたのか、途中で敵の襲撃を受けなかったのはそれこそ幸運だ。それとも、地べたに這いつくばるふたりを見ても秩序の戦士とは認識されなかったのかもしれない。
そんなことはさて置き、フリオニールは達成感を滲ませて身体を起こした。すげえすげえとはしゃぐティーダを見つめる視線は、クラウドやセシルあたりなら「砂糖吐きそう」とでも言うくらいの代物だったが、ティーダは気付かない。
「よっしゃ、おれも絶対探す!」
「もういいだろ、見つけたんだから」
「フリオニールが見つけてもおれは見つけてない!」
おれだって幸運欲しいもん、とまたしても寝そべりかけたティーダの腕を、フリオニールが強く引いた。
「これはおまえにやるから」
「なんで、それおまえのだろ?」
「プレゼントだ。その、誕生日の」
「まだその話引っ張んのかよ」
差し出された四つ葉を掌で転がしながら笑ったティーダの頰に、柔らかな温もりが触れた。
「誕生日おめでとう」
「……ま、そういうことにしといてやるっす」