王様ゲーム

 フリオニールが夕食の後片付けを済ませて戻ってくると、焚火の辺りでわっと笑い声が弾けたところだった。
「おっ、フリオニールじゃん」
「こっち来いよ」
 目敏いバッツとジタンに手招かれる。火を囲んでいるのはこのふたりに加えてセシルとクラウド、スコールにティーダだ。みな、揃って紙の切れ端を握っている。
「フリオニールが来たなら仕切り直そうか」
「えっ、おれの王様は!?」
「残念だったなティーダ」
「……何してるんだ?」
 何故かげんなりした顔のスコールがずれてくれたので、彼とティーダの間に入れてもらう。セシルの言葉に頰を膨らめるティーダの手の中の紙を覗き込むと、王冠を模したらしい簡素な絵が描いてあった。
「フリオニール知らねえ? 王様ゲーム」
「おうさま……げーむ?」
「くじを引いて、今ティーダが持ってるのに当たった奴が王様ってことで、誰かに何でも命令できんだよ」
 バッツが説明してくれるが、いまひとつぴんとこない。やって見せた方が早いんじゃねえの? と言うジタンにティーダも頷いた。
「てことでおれが王様な! えーと、三番が六番のモノマネをする!」
「モノマネかあ」
「ま、とりあえず肩慣らしってことで。三番と六番だーれだ?」
 一斉に表に返された紙に書かれた記号は、どうやらジタンの世界の文字らしい。ぐるりと一周見渡した尻尾のある少年は、ぶはっと噴き出した。
「三番、スコールじゃねえか!」
「なっ……」
「えーと六番はセシルだな。んじゃスコールくん、張り切って行ってみよー!」
 ひゅーひゅー、と囃し立てる親友たちとただいまの王様を、射抜かんばかりの視線で睨みつけたスコールは、それでも奥歯を噛み締めて姿勢を正した。彼の向かいに座るセシルが、期待を隠しきれない顔で彼をじっと見つめている。
「…………」
「さあ、どうぞ!」
「………………にいさん」
 低く地を這う声と共に、スコールが小首を傾げる。一瞬の沈黙。そして、クラウドがぐふっ、とおかしな息を吐いた。
「えっ、終わり?」
「いやいや~、どうよ王様?」
「んんー……スコールにしては頑張ったで賞ってカンジっすかね!」
 首傾いてなかったらやり直しだったけどな、と腕を組むティーダ。セシルはくすくす笑いながら、そんなに兄さんのことばかり呼んでないよね、とフリオニールに水を向けた。
「いや、呼んでいたと思うが」
「そうかなあ……」
 ともあれ、おおよそのところは分かった。命令といってもモノマネだとか肩を揉むとか、そういう他愛のないものであればフリオニールも参加するにやぶさかではない。ジタンが新しい番号札をひとつ足して、小さな革袋を振った。
「じゃあ次のターンな。一個ずつ引いてくれ」
 順繰りに回ってくる袋から、紙片をひとつ選ぶ。こっそり開いたら、王冠の絵ではなかった。急に命令しろと言われても、みなが盛り上がるようなことを思いつかないフリオニールはほっと安堵する。次は、自分が巻き込まれないのを祈る番だ。
「王様だーれだ?」
「おれだ」
 と何気ない風情で片手を挙げたのはクラウドだった。ぱっと見た感じはいつもの仏頂面だが、彼なりに当たりを引いたのが嬉しいらしい、よく見れば目がきらりと輝いている。その揺らぐ水面のような碧に、フリオニールは密かに息を詰めた。彼のことだから、どんな命令をしてくるか分かったものではない。
「そんじゃ王様、御命令は?」
「そうだな。五番から一番にキスでもしてもらおうか」
 くじを引き当てる前から決めていたのだろう、淀みない指令に、フリオニールと同様固唾を呑んだティーダがほっと息をついた。クラウドの隣に座るセシルが眉を跳ね上げる。
「おや、優しいね王様」
「もっとキツいの来るかと思ったぜ」
「夜はまだこれからだからな」
 それじゃあ、と一斉に表になった番号札を確認したジタンが、なんだよ、とつまらなそうな声を出した。
「一番がフリオニールで、五番がティーダだな」
 その言葉に、フリオニールはぎくりと肩を強張らせた。隣のティーダもそわそわと胡座をかいた膝を揺らしている。
「おまえらちゅーくらい普通にしてんじゃねえの?」
「なっ、すっ、するわけないだろう」
「あんだけしょっちゅう一緒にいるくせに?」
 ジタンとバッツの追及に、あわあわと手を振る。確かにフリオニールとティーダは仲がいい。ふたりは相棒なのだと仲間たちの誰もが思っているし、自分たちも常に互いを隣に置くのが一番しっくり来ている。
 が、それだけだ。同じテントで寝起きして、見張りや食事の当番も組んでやることが多いけれど、そこに色めいたものは何もない。何も、と断言するのに躊躇いを覚えるのは、実はフリオニールがティーダによこしまな想いを覚えているからだが、彼の方はこちらの心までは感知していないはずだ。
 よこしまな想い。つまり、その肌に触れたいとか、髪を撫でたいとか、抱き締めてみたいとか、そういう類の。自覚し始めたころは、ティーダが笑うと嬉しい、一緒にいると楽しい、くらいの可愛いものだったのに、山の斜面を転がる雪玉じみた勢いで膨れ上がったそれは、あっという間に卑しい欲望に育ってしまっていた。
 そんな彼と、くちづけをするなんて。ものごとには順序というものが、いやそうじゃなくて。がちがちと固まるフリオニールは、自分の口許が引き攣れていることに気づいた。
「まあなんでもいいから、とっととやってくれよ」
「ティーダ、準備いいか?」
「……うっす」
 左隣にいる相棒の顔を見ることもできない。いくぞ、と剥き出しの二の腕に触れたティーダの手は、指先が冷えているのに何故か湿った感触がした。
「……」
 すっ、と近づいてくる彼は睫毛を伏せて、揺れる焚火が陰影を濃くしている。生意気なラインの鼻先、ふっくりと柔らかそうな頰、ほんの少し突き出した唇から目が離せない。こういう時は目を閉じるのがマナーだった気がするが、それどころではなかった。
 呼吸ができない。石化でもしてしまったように硬直する身体とは裏腹に、内臓すべてが心臓になってしまったように鼓動がうるさい。ばくばくと響く脈拍に眩暈さえ覚えながら、時間が止まってしまえばいいのに、と埒もないことを思ったその刹那。
「おおっ?」
「行くのか?」
 仲間たちの囃し立てる声。くん、と頭を引っ張られるのと同時に、唇に重なる柔らかく乾いたもの――布の感触、近くて遠いぬくもり。垂れたバンダナ越しにくちづけられたのだ、と気づいた時には、もうティーダの顔は離れていた。
「はい、終わり! ほら、次行くっすよ!」
「えー、何だよソレ」
「そんな逃げ方ありかぁ?」
 ぶんぶんと手を振り回すティーダの宣言に、ジタンとバッツがぶうぶうと文句を言う。半ば突き飛ばされたような恰好のフリオニールはぽかんと目を見開き、硬直するしかない。
 乾いた唇に、まだティーダの気配が残っている。ふにゅりと柔らかな弾力、布越しのかすかな温もり、鼻先をくすぐった髪からふわりと立ち昇る太陽の香り。焦点の合わぬほど間近に迫った瞳は、離れる一瞬だけ確かに真っ直ぐにフリオニールを射抜いた。
 あの青、どこまでも透き通っているのに底までは永久に辿り着けないような気がする青だ。ああ、何とかしてあの青さをもう一度――
「やり直しを要求しまーす」
「しまーす」
 恐ろしいことを言い始めるバッツとジタンの声にはっと意識を引き戻す。待ってくれ、もう一度だなんて勘弁してくれ、こちらの正気が保たない。あわあわと腰を浮かせるフリオニールの横で、ティーダが仁王立ちで声を荒げる。
「うるさいっすよ! どんなチューでもチューはチュー! だよなクラウド!」
「だって、どうする王様?」
「……まあ、こんなところじゃないか。こいつらにしては上出来だ」
「ええー!」
「ひいきだ、クラウドほんとにティーダに甘いよなあ!」
「ティーダはこれでいいんだ」
 馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない、とスコールが立ち上がる。それと入れ替わるように、すとん、と腰を落としたティーダがこちらを見た。期せずして交差する視線に、フリオニールの心臓がまた跳ね上がる。
「そっ、その、ティーダ、」
「なんかごめんな? あんな感じで」
 喧しいふたりはまだぎゃあぎゃあと騒いでいる。その声に紛れてティーダがわずかに距離を詰める。彼の右手の小指と、フリオニールの左手の小指が密やかに重なる。
「……ティーダ?」
 子供が約束でもするようにするりと絡まる指先が、かすかに震えている。ティーダがすう、と深く息を吸って、ほとんど消え入りそうなほどの声で囁く――その言葉に、フリオニールの心臓は一瞬だけ、文字通り動きを止めた。
「……本番は、あとで、な」