しまっちゃうよ。

 ちゃぷん、と桶の水が跳ねる。ナイフを引き揚げたフリオニールは、テントの軒先に下がるランプの灯りに刀身をかざした。今日の昼間の戦闘で少し欠けてしまったが、丁寧に研ぎ直したので何とか元の姿を取り戻していた。ほっと安堵の息を吐く。
 少し離れたところでは、焚火を挟んでクラウドとセシルが談笑している。へえそれは厄介だね、と興味深そうなセシルの相槌に、クラウドが頷いた。今夜の不寝番はあのふたりだ。
 ついでに長剣も調整しようと濡れた手を拭う。刃こぼれはないはずだが、どこかに緩みなどがあってはいけない。赤い柄を取り上げようと手を伸ばすと。
「フリオニールぅ」
「どうした、ティーダ」
 つんつん、とシャツの裾を引かれて首をねじる。天幕の入り口の布を持ち上げて、ティーダが首と手だけを出していた。
「まだやんのかよ」
「ああ、もう少しな。先に寝てていいぞ」
 そんなつもりはなかったが、子供をあやすような声が出た。ティーダに甘い自覚はあるが、それが思わぬ形で発露してしまうのは困りものだ。あやされた恰好のティーダは、亀のように伸ばした首をもたげてむう、と唇を突き出した。
「いいよ、まだ眠くねえし」
「そうか? 眠い顔してるぞ」
「眠い顔ってなんだよ」
「そうだな、少しタレ目になってる」
 むむ、と顔をしかめて、指が目尻を引っ張り上げる。それでも重たげにかぶさる瞼が、フリオニールの好きな青い瞳を隠してしまう。
「変な顔だぞ」
「うるっせ」
 長剣の柄のネジを締め直しながら、それに声も眠そうだな、と言ってやると、ねむぐないっ、とわざとしゃがれ声を出す。その言い草がまるきり眠いのを堪える子供のそれだったから、うっかり噴き出した。
 ティーダが眠たがっているのは分かりやすい。表情も声も、一度気づいてしまえば言い当てるのは簡単だ。なーなーまだ何かないのかよ、と言う彼の首筋に手を伸ばした。
「ひっ、つめてっ」
「やっぱりな、あったかい」
「んだよそれ」
「人間は眠る前に体温を発散するから、眠い時は体の表面が温かくなる、んだそうだ」
 誰かの受け売りだった気がするが覚えていない。ふうん、と気の無い相槌を打つティーダの鼻にかかった声が、やっぱり眠そうだ。
「なーなーフリオニール」
「何だ? 添い寝なしでも眠れるだろ?」
「ガキ扱いすんなっつーの」
「眠いくせに無理して起きているのは、確かに子供っぽいな」
「うるせーのばら、とっとと終わらせろよな」
 と言われたって、こちらは命を預ける武器の面倒を見ているのだ。フリオニールは人の何倍もメンテナンスの手間がかかる。
 驚くべきことに、ティーダの剣は綺麗な流水に突っ込んでしばらく遊んでいればそれで欠けも歪みも治るというシロモノで、だからなおさらのこと、彼には調整の手間が想像しづらいのかもしれない。
「その剣で終わりだろ?」
「うーん……実は弓の弦も張り替えようかと」
「えええ」
 頬杖をついていたティーダが、不満の声と共に仰向けに寝転がった。ずっと近くにいた彼には、弓の調整が特に繊細なものだということは分かっているらしい。それこそ、ちゃちゃっと数分で終わらせられる工程ではない。
「なんだよー、そんなにおれと一緒に寝るの嫌なのかよー」
「そういう訳じゃない、しばらくゆっくり調整する時間がなかっただろ、だから……」
「フリオはおれに寂しく独り寝しろって言うんだな、つめてえの」
「終わったらすぐ寝ると言ってるだろう」
「すぐって何分」
「……いちじ……いや、三、四十分くらい……か?」
 短めに見積もり直した回答に、それでもティーダは頰を膨らませた。いつも提げているネックレスを指先に玩びながら、これ見よがしに溜息を吐く。
「明日の朝にしよーぜー」
「そういう訳には」
「明るいうちにやった方がいいって、なあってば」
 じゃれつかれるのは楽しいし、彼が自分を待っているという状態は正直嬉しいのだが、いいかげん相手にするのが面倒になってきた。話をしながらあれこれと細かい作業はしたくない。
 フリオニールは、仕方ないな、と剣を置いて立ち上がった。ぶーぶー言いながらその場で寝落ちしそうだったティーダが、途端に目を輝かせる。
「寝るっ?」
「おまえがな」
 いいざま、怠惰に転がるティーダの両脇に腕を差し込む。そのまま引きずり上げて、彼が蹴り飛ばしたのだろう毛布の上にどさりと投げた。当の本人は、何が楽しいのかけらけら笑っている。
「きゃーフリオニールさん、だいたーん」
「はいはい」
「荒々しいっすー、惚れ直しちゃうっすー」
 寝るの寝ないのではなく、要は構って欲しかったのだろう。毛布に頰を擦り付けて笑うティーダはしごく上機嫌だ。その、じたばたと揺れる脚に乗り上げて動きを封じる。
「え、フリオ、今日はやばいって」
「するわけないだろっ」
 えーそうかー、と残念そうな声を出すのに、肩に一発くれてやる。それから、ティーダの身体の位置を調整した。毛布の真ん中に来るように。
「ティーダ、もう少し上に上がれるか」
「ん? うっす」
 首を傾げながらも従順にずりあがる。毛布の上辺から首から上が出るようにして、よし、と頷いたフリオニールは「作業」を開始した。
 まず、向かって左の長辺をめくってティーダの身体に巻きつける。余った部分を彼の身体に差し込んで固定し、続いて足元の短辺。大柄なフリオニールでもはみ出さないサイズの毛布だから、ティーダにはもっと余裕がある。捲り上げた下辺を、ティーダの爪先に合わせて折りたたみ、先ほど折り込んだ長辺と組み合わせてまた固定する。
「え、何やってんの」
「よく眠れるおまじないだ」
 仕上げに向かって右の長辺を持ち上げて、包み込む。端を回すとちょうど、ティーダの背中に終端が来た。これでよし。ティーダの毛布巻きの完成だ。我ながらいい仕事をした気がする。
 満足げに見下ろすフリオニール。見下ろされるティーダは呆気に取られていたものの、きっちりかっちり包まれる感覚が面白いのか、またけらけらと笑い出した。
「なんだよこれ、外せよお」
「外さない」
 本人はじたばたしているつもりだろうが、思った以上にきちんと巻かれた状態では、みのむしがうねっているようにしか見えない。はっきりいって間抜けだが、それが可愛く見えてしまうのが惚れた欲目というものだ。
「よし、行くぞ」
「へっ」
 みのむしティーダの下に腕を差し入れて、腹に力を入れながら持ち上げる。ぐわっ、と宙に浮く寄る辺なさにティーダが首をすくめた。ロマンチックさのかけらもないお姫様抱っこだ。
「下ろすぞ」
 二人が並んで寝る時の定位置は、テントの入り口から見てフリオニールが右、ティーダが左だ。特に深い理由はないが、一度決まってしまえばそうでないと居心地の悪いもので、今日もその配置で布団を敷いてあった。フリオニールの寝床よりすこしよれたそこに、ティーダを横たえる。枕をあてがってやって、掛け布団で覆ってやれば完成だ。
「なにこれ」
「夜になっても寝ない子供は、怖いお化けが来て布団にしまわれる、って聞いたことないか?」
「え、知らねえ。しまわれるって何」
「こういう状態だな」
 目を瞬かせるティーダの横に胡座をかく。瞬きの速度がかなり遅い、呼吸も深くゆっくりになってきた。眠りの世界に腰まで突っ込んだ彼の目許を、掌で覆う。
「ずりーよ、フリオニール……」
 文句を言う語尾が柔らかく溶けた。すう、とひときわ深い呼気のあと、掌を彼の睫毛がくすぐった。
「……おやすみ、ティーダ」