投げキスで意思疎通する47に巻き込まれる210

 これは一体何なんだ。ティーダとフリオニールは目を見合わせる。
(どーゆーことっすか)
(俺に聞くな)
 戸惑いを隠せない年下組をよそに、年上組——セシルとクラウドは至ってご機嫌なようだ。
「どうしたのティーダ」
「んーん、何でもない、っす……」
 何でもない、ということはないのだが、ついごまかしてしまった。そう? と小首を傾げたセシルの銀髪がふわりと風に揺れる。
「何か言いたいことがあるんじゃないのか」
「いや、別に……」
 こちらはクラウドに問われて、やはり言葉を呑み込んでしまう。そうか、と素っ気ない返事のクラウドも、降り注ぐ陽光に金糸の髪を透かしてわずかに微笑んでいるようだった。
 何もないなら行こうか、と促すセシルに従って、一行はひずみを抜ける。ぐう、と持ち上げられるような感覚の中、ティーダとフリオニールは無言で同じことを考えていた。
(さっきのアレ、何なんだ?)

 クリスタルを手に入れた四人は、旅に出た時と同じように連れ立って秩序の聖域、コスモスの御許を目指していた。他の仲間たちの旅路もまた順調であることを祈りつつ、内心では焦燥も迷いもない復路を楽しんでいることは否めない。
 紆余曲折あって「そういう仲」となったティーダとフリオニールを、年上組はあっけらかんと受け容れた。むしろ、まだちゃんとくっついてなかったの、と揶揄われる始末で、わざとらしく不寝番を組にさせられたり、逆に敢えて別行動を取らされたりと、若き恋人たちはほんの少し年嵩の男たちの格好のオモチャだった。
 ともあれ今日は四人一緒で動いている。どうしたわけかこういうことには勘の働くティーダが、午後から雨になりそうな気がするっす、と言うので、なるべく早く移動して早めに今夜の野営地を決めてしまうつもりだった。
「水関係はティーダの言うことを信用していいだろう」
 常に仏頂面を崩さないクラウドが、もっともらしい顔でそんなことを言うものだから、褒められたはずのティーダですら首を捻っていた。それが、今抜けたひずみに入る時のことだ。まあそれならちゃっちゃと片付けるっすよ、と意気揚々と先頭に立つティーダを追うと、ここまでよく集まるなと言いたくなるほどのイミテーション溜まりに突っ込んだ。
 大混戦。フリオニールが数えた限りでは六体だったが、実は七体いたらしい。幸いだったのはどれも練度が低かったことで、それぞれの宿敵(セシルの場合は少し違うが)を討ち倒してきた四人の敵ではない。
 こうなると調子に乗るのがティーダで、冷静と見せかけて何らかの鬱憤を晴らすかのように大暴れするのがクラウドだ。元気いっぱいの金髪たちを見送ってチェーン付きナイフを取り出すフリオニールの横で、それじゃ僕も失礼して、とわざわざ暗黒騎士にジョブチェンジしたセシルも駆けて行った。一体何が失礼して、なのかよく分からない。
「オヤジのパンチはこんなもんじゃねえっつーの!」
 ジェクトのイミテーションを相手にするティーダの声が響く。その横の岩にはクラウドに吹っ飛ばされた別の敵が叩きつけられ、さらにその上空を、結局パラディンに戻ったセシルが飛んでゆく。楽しそうで何よりだ。フリオニールも、当たるわけないだろうな、と思いながら放った矢が命中してしまったことに、力の抜けた笑いを漏らしていた。
 基本的に位置を動かさないフリオニールのもとに、ティーダが軽やかな身のこなしで戻ってくる。
「どーすか」
「どうもこうも。拍子抜けだな」
「同感」
「それだけ俺たちが強くなったと言うことなのだろうが」
「ま、しょせんコピー品の雑魚っすよ」
 んじゃもう一発、と地面を蹴りかけたティーダがぴたりと動きを止める。どうした、と聞くと、酢でも飲んだような顔で前方を指差した。
「今、なんか」
 慌てて視線を動かして、フリオニールも目を瞬かせた。  
 すっかり数を減らしたイミテーションを挟んで、セシルが見事なウィンクと共に口元にやった手をひらりと翻す。同時に、敵にえげつないほどの連撃を叩き込んだクラウドが、着地しながら同じような動きをしていた。
「……何だ、あれは」

 ティーダによると、フリオニールの目にしたやりとりの直前にはその逆、つまりクラウドがセシルに何かを送っていたらしい。つまり、順番に言うと「イミテーションに挟まれたセシルとすれ違いざまにクラウドが、それからセシルが返して、締めにもう一度クラウドから」と言うことになるらしい。
 片目を瞑る動作の意味は知っていても、そのあとの「口を触った手を振る」というのが分からない、と言うと、ティーダが乾いた笑いで頰を引き攣らせながら、あれは投げキスというのだ、と教えてくれた。
「なげきす」
「投げキス」
 っす。そうか。そうっす。投げキスか。投げキッスっす、すっすっす。言っているうちに面白くなってきたな。っす。
 キスということは、それなりに深い意味があるのだろうかと考え込むフリオニールの横で、ティーダも同じような顔をしている。そうこうしているうちにセシルとクラウドが戻ってきて、話は冒頭に戻る。

 ティーダの予言通り、昼過ぎには空が暗くなってきた。大気が水分を含んで、湿った土の匂いがする。大雨にはならないはずだが、万全を期して水場からは少し距離を置き、森の中に本日のキャンプを定めた。
 夜営の準備も慣れたものだ。ティーダは水を汲みに行った。フリオニールは火場の準備を整え、テントを設営するセシルとクラウドの気配を背に感じている。
 あのふたりは、ふたりでいる時はそう口数が増えないらしい。それは知っていた。が、今日はそれにしてもずいぶんと静かだ。ひずみの中で見たもののことを失念していたフリオニールは、何の気なしに振り返って後悔した。
 風に煽られる天幕の端を、腕を伸ばしたクラウドが捉える。ぴんと張り直す動きを見て、セシルがにっこりと笑い——ここまではよかった、ここまでは——投げキスをかます。それを満足げな表情で受けたクラウドが、杭をねじ込んでテントを固定すると、反対側で待っているセシルに向かってやはり投げキスを飛ばす。それにひとつ頷いて、セシルが同じように端を固定した。また投げキス。クラウドがその対角線を押さえて、投げキス。セシルが動いて、投げキス。クラウドが立ち上がって、投げキス。投げキス、また投げキス。テント、設営完了。
「……うわあ」
 いつの間にか戻ってきていたティーダが、両手に水で満たしたバケツを提げたまま、セシルとクラウドのやり取りを凝視していた。思わずといった風情で漏れる感嘆に、フリオニールも全く同感だ。
「え、何アレ、怖い」
「ああ……」
「アレで会話してんだろ、めちゃくちゃ怖い」
 先ほどのやり取りを翻訳すると、「ありがと」「こっちはもういいぞ」「できたよ」「完了だ」「はい、こっちも大丈夫」「よし、出来たな」「お疲れさま」といったところだろうか。あまりに違和感なく言葉に出来てしまうのが怖い。すごく不気味だ。
 百歩譲ってだ。百歩というか、一万歩ほど譲って、あのふたりが投げキスで意思疎通しているのはいいとしよう。問題は、どうしてそんな真似を始めたのか、ということだ。今日、いきなり。
 ぞわぞわと寒気を覚えて、ティーダとフリオニールは再び目を見合わせる。テントできたよ、と手を振りながら近づいてくるセシルの白い指がどうにも気になるのは、やむを得ないことだろう。

 今日の食事当番はティーダで、皿洗いはセシルだ。四人で夕食の皿を囲んでいる間、ティーダとフリオニールは互いに何とかして口火を切らせようと、無言の押し付け合いを演じていた。
「そこ、いちゃつくにはまだ早いぞ」
「わかったわかった、今夜の見張り番はふたりでやりなね」
 鬼の首を取ったかのように揶揄い始めるクラウドとセシルだが、そうではない。おまえらのことだぞ、と内心で思うだけで、今ひとつ勇気の出ないフリオニールだ。その横で、ついに覚悟を決めたティーダがすっと息を吸った。
「あ、あのさあ!」
「うん、どうしたの?」
 いつもながらの優美な角度で、セシルが首をこてんと傾げる。クラウドも皿に残ったものを寄せ集めながら、片眉を上げた。
「えっと!」
「うん」
「その!」
「どうした」
「な、投げキス!」
 ああ、とフリオニールは眉間を指で押さえた。ティーダの度胸と根性には敬服するが、いささか先走りすぎている。
「投げキスがどうかしたか」
「いやっ、今日さ! セシルとクラウド、ずっとやってんじゃんか、あれ何かなーって、思っ、て……」
 言葉が尻つぼみになるのも無理はない。よくやったティーダ。一瞬、「最も勇敢なるもの、ここに眠る」という墓碑銘が脳裏を過ぎるが、縁起でもないと首を振った。
「あ、気づいた?」
「いつ突っ込まれるかと思ってたが」
 これね、とセシルがもうすっかり板についた投げキスを飛ばす。反射的に上半身を傾けて避けると、なんだよ、と不満そうな顔をした。
「ひどいなフリオニール」
「いや、つい」
「僕の親愛の証を受け取ってくれないのかい」
「そういうわけでは」
 思わずしどろもどろになると、クラウドがふっと唇を吊り上げた。
「まだまだだな……ティーダ、エースの実力を見せてやれ」
「えっ、おれっすか」
「行くぞ」
 ちゅっ、とお手本のようなリップ音と共に、クラウドがティーダへ投げキスを送る。うっ、と顔を引き攣らせたティーダは、逃げそうになる身体をかろうじて固定して、それから弱々しく手を動かした。
「どうした、やる気が足りないな」
「いややる気とかそういう話じゃ」
「ティーダおまえ、出来るのかそれ」
「いやまあ、ファンサービスでしないこともないっていうか……って、そうじゃなくて!」
 何となく裏切られたような気分になるフリオニールの横で、ティーダが拳を握り締めて立ち上がった。皿を片付けていたセシルが目だけ動かして見上げる。
「何でこんなことしてんのかって話だよ!」
「何で、って……そりゃねえ、クラウド」
「ああ」
「「楽しそうだったから」」
 美しいハーモニーで、それはそれはくだらないことをぬかす年上組の笑顔を前に、そーすか、とティーダが力なく座り込んだ。
「え、楽しいよね? クラウド」
「そうだな、なかなか奥が深い」
「あっ、今通じたな、って分かると嬉しいし」
「逆に、今のは何だ、と探るのも悪くない」
「答え合わせしたりしてね」
 きゃっきゃとはしゃぐふたりに置き去りにされたティーダとフリオニールはまた目を見合わせた。分かるか? いや、別に。アイコンタクトで意思疎通すんのは楽しいけど、投げキスはいらない気がする。ていうかいらない。だよな。
 ひょっとしたら、元の世界での生き方が違うから自分たちには分からないのだろうか。フリオニールは狩人だから、いざという時には声が出せないし、水中で団体戦をするティーダも言葉が使えない。だから身振り手振りでサインを出し、目線でコミュニケーションすることに慣れている。一方、統率された指示のもとで動く兵士だったクラウドや、部隊を指揮する立場だったセシルは、どちらかと言えばオーラルコミュニケーションの方が当たり前だったはずだ。つまり、言葉なしでも意思を交わし合う行為の新規性が彼らと自分たちでは差があるのかもしれない。
 なるほど、と真面目な分析を終えるころ、クラウドの碧く揺れる目がフリオニールをひたりと見据えた。
「いいかフリオニール、俺たちはふざけている」
「そうだよ、ただ単に面白いからやっているだけであって、そこに深い意味とか特別な事情はなんにもないんだから」
「なんだそれ……」
「あとはそうだな、おまえたちがどういう反応をするか見たかったというのもある」
「なかなか悪くなかったね、もう少し怯えてくれたらもっとよかったけど」
 なーんてね、と笑うセシルがまたキスを飛ばす。それを正面から受けながら、フリオニールは眩暈を覚えて強く目を瞑った。

「それじゃあ後は若い人たちに任せて」
「そうだな、見張り頼んだぞ」
「うーい」
 なし崩しで、見張り番は先発がティーダとフリオニール、後発がセシルとクラウドに決まった。よかった、と揃って安堵の息をつく。
 テントに入りかけたクラウドが、不意に振り返って裏声を出した。
「ティーダサーン、目線クダサーイ」
「キャー、ティーダサーン!」
「あーもう! 何なんだよほんとに! 早く寝ろって!」
 揃って手を振るセシルとクラウドに向かって、ティーダがぞんざいに投げキスを送る。それでも何となく様になっているのだから、エースも伊達ではない。
「フリオニールサーン!」
「勘弁してくれ!」
 背筋に悪寒を覚えて声を荒げると、ふたりはあっさり引き下がった。フリオニールは追々ゆっくりね、そうだな時間をかけて調教だな、と恐ろしいことを言いながらテントに引っ込んでいく。
 無性に疲れた。武器の手入れをしようと思っていたが、今すぐに手を動かす気分にならない。こんなことになるのなら突っ込むのではなかった。
「ほーんと、わけわかんないことするよな」
 どうやらティーダの方が立ち直りが早いらしい。薪にする小枝を手遊びにぱきりと折りながら苦笑する彼に、フリオニールも半端に笑い返した。
「まあ、楽しそうだしいいんじゃないか」
「いやそりゃいいけどさ、おまえはいいのかよフリオニール、調教されちゃうぞ」
「やめてくれ、考えないようにしてるんだから」
 だが残念なことに、あのふたりはやると言ったらやる。一晩寝て忘れてくれればいいのだが、期待するだけ無駄だろう。嫌がる人間にそんなことをさせて何が楽しいというのか、という正論も、こうなってしまったら届かない。
「……そんなに楽しいのか、あれ」
「さあなー、やってみる?」
 ティーダの言葉にぎょっとして顔を上げる。焚火に照らされた彼の青い瞳が、きらりと閃いた。
「おまえな、」
「いーじゃん。なんか興味出てきた。だってすげえ楽しそうだったと思わねえ?」
「それは……確かに」
 しぶしぶ頷くが、それとこれとは話が別だ。流れに乗る機を逃したから、というのもあるが、その仕草がひどく気恥ずかしいもののようにフリオニールは感じていた。
「そんなことしなくても、俺はおまえの言いたいことは分かるぞ、なんとなく」
「わーかってるって。でもさ、どうせやらされるんすよ? だったら今のうちに練習しとこうぜ」
 練習。ティーダの言うこともわからないではない。それでもまだしかめ面をするフリオニールを、ティーダの悪戯な目が一押しする。
「フリオの初めての投げキス、欲しいなー」
「はじっ」
「え、初めてだろ? セシルとかクラウドにやるの、もったいない」
 な、いいだろ? と片目を瞑ったティーダが、それは茶目っ気たっぷりに唇に当てた指を翻した。
「こーするだけだって、カンタンカンタン」
「……」
 こいつ、遊んでるな。ぐっと唇を引き結んで、フリオニールはティーダの動作を反復した。だいぶ投げやりなそれに、ティーダは一瞬不満げな顔を浮かべたが、まあいっか、と笑う。
「今日のとこはこれでいいにしといてやるっす」
「どうも」
 まったく、妙に気疲れした。傍らに置いていた武器の山から斧を取り上げようとして、ふと邪な思いつきが頭を掠めた。ちょっとした仕返しだ。
「ティーダ」
「なーんす、」
 か、という語尾が消えた。重ねた唇の柔らかな感触を楽しんで、名残惜しくなる前に離れる。耳まで赤くしてぱくぱくと口を動かすティーダから目を逸らして、俺はこっちの方がいいな、と呟くと、ばかじゃねーの、と力のない拳が肩を打った。

「さて、練習は済んだかな?」
「ひっ!?」
「駄目だセシル、あいつら別の練習してるぞ」
「うあー! もう寝てろよおおお!」

 さらに後日。
「えっ、何それ超楽しそうじゃん!」
「セシルとクラウドもなかなかやるなあ」
(おい、ふざけるなよ)
「俺たちもやっちゃう? なあスコール」
「あっ、逃げた! 追うぞバッツ!」
「よし来た!」
(誰がやるか!)
 偶然出くわしたバッツたち三人組に笑い話として披露した結果、案の定面白がったバッツとジタンにスコールが追い回されることになったのは別のおはなし。