東の空が夜明けの色に変わって、セシルとクラウドはやれやれと伸びをした。ごりっと鳴る肩に、セシルが柔らかく微笑む。
「お疲れ様、クラウド」
「お互いにな」
ふたりとフリオニール、ティーダの四人は野営時の見張りを二人組で分担していた。組分けはその時々だ。たいていは他愛のない遊びを思いついたティーダの提案に誰かしらが乗って、その勝敗で決めている。今回は、森の中に流れる川で石投げ水切り勝負だった。
横着してグローブをはめたまま、手を滑らせたクラウドが最下位。なんでも器用にこなすフリオニールが案の定のトップで、やるじゃん、とティーダに囃された彼は子供の時によくこういう遊びをしていた気がする、とはにかんだ。残るふたりのうち、接戦の末にセシルが負けた。
そういうわけで、勝ったふたりが先番を取った。丑三つ時に交代して、後になった組が朝食を用意することになっている。
セシルが荷物から保存食を取り出す横で、クラウドは折りたたみ式のバケツを手に取った。新鮮な水を汲みにいくためだ。料理にも使うし、起き抜けの年下ふたりに美味い水を飲ませてやらなければ。特にティーダは水分をよく摂る。人間の身体の七割は水なんすよ、と言って何故か得意げな顔をしたのを思い出す。ともあれ、水分補給は大切だ。異論はない。
立ち上がるクラウドに、セシルが小さく「ありがとう」と言う。無言で頷いて歩き出した。話をしてもいいし、何も言わなくてもいい。何となくで仕事を分担できるセシルとの組は気が楽だった。
澄んだ水で満たされたバケツを手に戻る。見張り中の退屈しのぎに磨いた鍋を火にかけた。
「干し肉、使ってもいいかな」
「それだけ残っているならいいんじゃないか」
そうだね、とセシルがナイフを取り出して、削った干し肉を鍋に入れた。干し肉はフリオニールが用意してくれたものだ。彼がいなければ、自活能力の低い自分はどうなっていたことか。狩人の真似事をしていたんだ、と言う彼は、狩人にしてはずいぶんとにぎやかな装備を担いでいる。元いた世界で何があったかは分からないが、自分で食べるものは自分で獲ってくる生活だったのだろう。セシルもその辺りに苦はないようだ。彼らに教えられて、最近やっと鳥や兎を捌けるようになってきたクラウドとティーダはいつも感心しきりだった。
肉を削り入れたセシルが、傍らに置いておいた干し野菜やコメに似た穀物を鍋に放り込む。簡単だが温まるし腹持ちもいい、具だくさんのスープは朝食の定番メニューだった。
「僕、ふたりを起こしてくるよ」
「ああ、頼む」
汲んできた水を水筒に移して配分する。今日のコースも川沿いに行くはずだから、途中で乾涸びることはないだろう。
テントの入り口にセシルが手を掛けようとしたところだった。
「ぎゃっ!」
……ティーダの声のようだ。
「どうしたのティーダ、」
続けて「うぉっ」とフリオニールの寝惚けた声、どしんと何かを突き飛ばす音が聞こえて、仕上げとばかりに、
「なっにすんだよ! このばかのばら!」
と叫びながら、我らの可愛い末っ子が飛び出してきた。ばびゅっと勢いをつけて、目を丸くするセシルの背に回る。
「セシルぅ〜」
「おはよう、ティーダ」
いかなる時でも挨拶は欠かさない。さすがは規律正しい、軍人の鑑だ(本人は「クビになったけどね」と笑うが)。などと、煮込まれる鍋を眺めながら感心するクラウドである。
「フリオニールがぁ!」
「おはよう、ティーダ?」
にっこり笑ってセシルが繰り返す。はい、やり直し。
「お、おはよっす……」
そこはかとなく元気をなくしたようなティーダの返事に、セシルは満足げに頷いた。
「はいおはよう、今日もいい天気だよ。クラウドには?」
「はよっす、クラウド」
「おはよう」
巻き込むな。俺は鍋の番が忙しい。
「で、どうしたの?」
気が済んだらしいセシルが、少し低い位置にある金色の髪の、ふよふよ浮いている部分を撫でながら聞いてやる。あれはセシルとクラウドのお気に入りなのだ。
はっ、と気を取り直したティーダは両の拳をぐっと握った。
「寝惚けたフリオニールに噛み付かれたっす!」
「かみ?」
「がぶっと!」
ここ! と指したのは、あろうことか首筋だった。クラウドの位置からは流石に見えないが、覗き込んだセシルが、なるほど、と感嘆するような声を出している。
「本当だ、歯型がついてる……」
痛くないかい? と問われるのに、ティーダはぶんぶんと首を振った。
「痛くはないんだけどさ、びっくりして」
朝からうるさくしてごめんな、と言う彼に、無理もないよねと笑うセシルが、内心では面白がっているだろうことがクラウドには分かる。銀髪が緩やかなウェーブを描くこの美人は、たまにとんでもなく悪趣味で下世話だ。軍人というのはそういうものだが。
そこに、やっと覚醒したらしい戦犯がのっそりと顔を出した。
「あー、セシル、クラウド、見張りありがとうな」
「おはようフリオニール、よく眠れたみたいだね」
「ああ、うん、おかげさまで……」
「って! それより先に言うことがあるだろっ」
ずい、と足を踏み出して腕を組むティーダはおかんむりだ。フリオニールが手で顔を覆ってうなだれる。
「その……すまん」
「すまんで済んだら警察はいらない」
けいさつ? と首を傾げるセシル。あとで教えてやろう。
寝汚い狩人も「けいさつ」が何かはよく分からないはずだが、ティーダに慣れているだけあってこの場は受け流したようだ。
「俺、噛み付いた……んだよな? おまえに」
「しっかも覚えてないとか! 信じらんねえ!」
フリオニールに反比例するように、ティーダの声のトーンがどんどん上がっていく。朝から血圧が高くて羨ましいことだ。
「ほんと、悪かった。寝惚けて」
痛かったよな、ごめんな、としょぼくれた顔で謝るフリオニールを、ティーダはしばらく睨みつけていたが、
「治してくれたら、ゆるーす」
「え?」
「治せっつってんの、ケアル使えるんだろ? それでチャラにしてやるよ」
「で、いいのか?」
「男に二言はないっす。おれの優しさに感謝しろよな」
ちゃら、って何のこと? と、いつの間にかクラウドの横に戻ってきていたセシルに、なかったことにしてやるということだと教えてやる。ふうん、とさして興味もなさそうなセシルだ。
「ティーダは怒りが持続しないよね、あまり」
「そうだな、父親のこと以外は」
「いいところだよね」
「甘い気もするが」
「さっぱりしてて、僕は好きだな」
「ああ」
セシルがおたまで鍋をかき混ぜる。そろそろ食べごろだ。が、向こうの方では、早くしろよ、だの、こら動くな、だの、くすぐったい、だの、じっとしてろ、だの、脱力しそうなやりとりが繰り広げられている。
「フリオニールがそこまで魔法上手いわけじゃないの、知ってるくせにね」
「そうだな」
「たかが噛み跡くらい、治す必要、あったかなあ。どう思う、クラウド?」
「……興味ないね」
「ふふ、嘘ばっかり」
今日の野営はあの馬鹿どもを引き離すべきか、いやしかしそれはそれで面倒くさい気がする、と考え込むクラウドの目の前で、朝食が美味しそうに煮えていた。