build

【build】建てる、組み立てる、建設する。

 その頃は全てがとっ散らかっていた。
 子はかすがい、という言葉はティーダの家庭には残念ながら当てはまらず、ジェクトを失った母子の家は見事に崩壊寸前だった。寝付いてしまってベッドから出られない母親、十にもならないのにティーダは自分で生活を回そうとして途方に暮れていた。外に出れば憐れまれるばかり、突然現れたアーロンを拒絶したのも無理はない。
「あんた、だれ」
 ジェクトの友人だ、おまえの面倒を見に来た、と言ったアーロンを見上げて睨みつける顔は、丸い頰がいとけないのに、目は険しかった。何も信じない、不憫がられる筋合いはない、と全力で訴えていた。ましてやあの男の友人に手を差し伸べられるなんてまっぴらごめんだと。
「ぼくは大丈夫、さようなら」
 それだけ吐き捨てて閉ざされた扉を開けてもらえるようになるまで随分かかった。死人になってまで来たのだからとアーロンも意地になって、やっとティーダが迎え入れてくれた頃にはその母の命は風前の灯も同然だった。あるいは、だからこそティーダも折れたのかもしれない。
 ブリッツの王は交友関係が広かったようで、突然現れたアーロンのことも妻はすんなり受け入れた。あの人はどこに行ってしまったんでしょうか、という問いに答えられるのは夢のザナルカンドとスピラを合わせてもアーロンしかいなかったが、この弱り切った寂しい女性と、にこりとも笑わない子供に一体何を告げられただろうか。誤魔化す答えも見出せないうちに、王の妻は息を引き取った。ジェクトのいない世界に留まる意味などない、というような去り方に、アーロンは未だに怒りを覚える。
 葬式のやり方がスピラとは違うので、アーロンはずいぶん戸惑った。喪服はこれだよ、とティーダが差し出したのはジェクトのクローゼットから引っ張り出してきたもので、災厄に身を変えてしまった戦友の喪服を着ることにも、それを両親を失ってしまった幼い子供に手渡されたことにも打ちのめされた。マスコミの好奇の目もなく、近隣の人々が訪れるだけの葬式はひっそりと終わった。

 その翌日、いらないと言うティーダを押し切って泊まり込んだアーロンは夜明けに目を覚ました。この箱庭にやってきてから眠りはずっと浅いままだった。水でも飲むかと客間を出て、居間に広がる光景に言葉を失った。
 ティーダが床に座り込んでいる、その周りには積み木が散らばっていた。赤、青、黄、緑、色鮮やかなはずのそれらは、灯りもつけない暗がりではまるで荒野の石ころのようだった。かつん、かつん、と乾いた音を立てながら、積み上がったブロックがバランスを失って崩れる。小さな手が別のパーツを拾い上げて、どう見ても安定しないのに立体を重ねる。崩れる。積む。崩れる。
 子供というものに接したことのなかったアーロンには、かけるべき言葉が見つからなかった。否、子供でなかろうとも、彼を慰める言葉などどこにもない。アーロンは腕を伸ばして小さすぎる身体を抱きすくめた。ティーダは抵抗することなくアーロンの胸元に収まり、それからやっと涙を流した。

「うわ、これまだあったのかよ」
 捨てたと思ってた、と呟きながら、ティーダがクローゼットに頭を突っ込んでいる。四つん這いになってもぞもぞしている様子は間抜けで微笑ましい。
 どれだけ口うるさく言ってものらくら逃げるティーダをやっと捕まえて、アーロンは彼に部屋の片付けをさせていた。せっかくの休みなのに、だの、練習で疲れてんのに、だの、いい天気だから出かけようよ、だの言うのを聞き流して、アーロンはベッドに腰を下ろして監視役だ。
「つーかアーロン、手伝ってくれてもよくね?」
「それは燃えないゴミだぞ」
「聞いてる?」
「雑誌は資源ゴミだ、袋に入れるな」
 あーろぉん、と情けない声に思わず口許が綻んだが、ティーダには見えていまい。彼が放り出した雑誌を拾い上げて、丸めたそれでクローゼットからはみ出した尻を叩いてやる。ぱん、と思ったよりいい音がした。
「いってえ、何すんだよ!」
「無駄口を叩く暇があったらとっとと片付けろ」
「やってるっつーの!」
 ずりずりと這い出てきたティーダはバケツのようなものを抱えていた。片手でわざとらしく尻をさすっている。
「何だそれは」
「んー? 積み木」
 なつかしー、と言いながら埃を払いのける。覗き込むと、古ぼけてはいるが木片に塗られた色はまだ健在だった。よく残してあったものだ。奥にしまい込むうちに忘れてしまっていたのだろう。
「うりゃっ」
「おい、」
 アーロンが制止するいとまもなく、ティーダが積み木をぶちまける。ぶつかり合ったピースが軽やかな音を立てて、それがこのザナルカンドでは珍しい本物の木を使ったものだと知れた。これを買い与えたのはジェクトだろうな、と何となく確信に近い思いがする。まったく不器用にもほどがある、今になってどうしようもないことだが。
「この上さらに散らかしてどうするつもりだ」
「いいじゃんか、ちょっとくらい」
 溜め息混じりに言うが、ティーダは積み木を手に取った。
「……どうせ捨てるんだからさ」
 かつん、かつん、と音を立てて何かが組み立てられてゆく。大きな直方体を下に、小さな立方体をその上に、そして円錐を屋根のように載せる。その手つきは確かで危なげない。当然だ、ティーダももう十七になる。泣き方も分からずに闇に竦んでいたあの頃とは違う。
 アーロンとティーダが一緒になって組み立てた生活も、もう十年が経とうとしている。互いのいる生活に慣れるまで三年、他人より近く家族より遠い奇妙な距離感で暮らすこと五年、驚くべき速度で成長するティーダに戸惑ったアーロンが家を出て一年、その向こう見ずでひたむきな想いに折れて手を取ってもうすぐ一年。
 もうじきにジェクトが迎えに来るだろう。その時を待ち続けたはずなのに、こうして他愛もないことだけで繋ぐ日々を惜しいと思わない、と言えば嘘になる。
「アーロン?」
 存外に近い声に引き戻される。床に落ちた視線を拾い上げるように、ティーダが覗き込んでいた。どうかした? と訊かれるのに黙って首を振る。アーロンの膝に置かれた手を引いたのは、ほとんど無意識だった。
 あの時抱え込んだ子供は、今は手足が伸び日に焼けて、髪は金色に染まっていた。あの頃はこんな顔で笑うのだと知らなかった。胸に飛び込んできたティーダがはにかんで頰をすり寄せる。上機嫌なのは、片付けを中断する口実を見つけたから、だけではあるまい。結局自分は甘いのだ。
「片付けの最中なんですけど?」
「そうだな」
「おれのせいじゃないからな?」
「いや、おまえのせいだ」
 絆された責任を押し付けて平然としていられるくらいには、アーロンも歳をとった。抱き締めるのもくちづけるのも身体を繋げるのも全部ティーダのせいだ。いつまでも言い訳を必要とするアーロンの弱さに、彼は気づいているだろうか。
 なんだよそれ理不尽だ、とくすくす笑う吐息が首筋にかかってこそばゆい。ティーダの肩に顎を乗せて、アーロンも笑った。裸足の爪先が、散らばる積み木を蹴り飛ばした。