【ring】輪、環、螺旋の一回転。指輪・足輪を嵌める。ぐるぐる回る。
夜の闇が恋しかった。この箱庭はあまりに明るくて忙しない。眠らない摩天楼が投げかける光の洪水に腕の中のものを奪われまいと指に力を込めた。アーロン、と苦しげに呻く声に我に返り、己を嘲笑しながら組み敷いた身体を引き寄せる。打ち込まれた楔の脈動に、発達途上のアンバランスな身体が震えた。
戦友から託された子を犯す罪悪感は、とうに海に放り捨ててしまった。スピラのそれから生命と災厄とを抜き取った空虚な海は、アーロンの厭う喧しい光をも呑み込んで今は黒く揺蕩っているだろう。
この街はいつでも、アーロンの愛せないものばかりを差し出してくる。ぎらぎらと眼底を突き刺す光、コンクリートに覆われて空に突き出す足場、鋼鉄の塊、ガラス張りの高層ビル。ここにはアーロンを慰めるものはない、ただひとつ、はらわたを突き上げる熱塊に追い詰められた哀れな少年の声を除いては、何も。
「あーろ、ん」
虫の息で喘ぐ子供は、このつくりものの世界に現れた変異体だった。太陽の名を持つ子供、箱庭の王の息子、そして今この瞬間は死人の孤独と寂寥を埋めるための供物。今にも幻光虫に変じて四散してしまいそうな細胞を、かろうじてヒトの形に繫ぎ止めるための鎖。光のもとでは水を翼に変えて縦横無尽に踊るはずの四肢は、細い骨に未成熟な肉を纏わせた脆弱な獲物としてアーロンの牙の前に横たわる。
押し込んだ凶器で奥を抉ると、太陽は引き攣った悲鳴と共に墜ちた。ああ、と零れる吐息を喰らうようにくちづける。酸素を求めて抗う頭を押さえ込むことなど雑作もない。
「……堪え性のないやつだ」
叱りつけるように窘めるように言ってやれば、ごめんなさい、と肩を震わせた。遮光カーテンを掻い潜って子供の脱色された髪を輝かせる街の灯りが忌々しくて仕方がない。己よりもふた回りは小さな体躯を抱え直し、夜闇に引きずり込んだ。
意識を飛ばしてしまった子供の目は涙で腫れている。唇に血が滲んでいるのは彼が噛み締めたせいか、アーロンが喰らいついたせいか。ぐったりと腕を投げ出して弱々しい寝息を立てている。
アーロンは子供の眠るベッドに背を預け、闇の深い方に逃れるように座り込んだ。眠らないこの世界では、眠りを必要としないアーロンこそが異質だった。ザナルカンド、とうに滅んだはずの街。崩壊したハイウェイを歩き、ドームを抜け、友を永久に失い、主の死の刻限を定められたあの街。約定を果たすため辿り着いたまがい物のこの街は、いつまでも同じところをぐるぐると彷徨っているようだった。死の螺旋を一巡りしたアーロンがやって来たのは、閉鎖系の周回に惑う玩具箱だったというわけだ。
子供の眠りは深い。朝まで目を醒ますことはないだろう。いっそこのまま目覚めなければどうなるだろうと埒もない空想に耽る。シンとなったジェクトが呼びに来ても、祈り子がひとり残らず力尽きても、そうしてこの箱庭が腐り落ちても、眠り続ける子供の隣に自分がいるのだろうか。
「は、」
笑いになり損なった呼気が床に落ちた。まったくくだらない想像だ。自分がそれを許さないだろう。この子供には果たすべき務めがある。それが彼にとっての悲劇であろうと、アーロンの無二の友にとっては救いなのだから。
ベッドから滑る子供の手首には、己の刻んだ指の跡が手鎖のようにまとわりついていた。おれを抱いてよ、と膝の上に乗り上げた身体の重みを反芻する。稚拙で必死な煽動に貪りついたのはアーロンの弱さだ。
ティーダ、と呼んだ名前は声にならずに蟠る夜に融けた。