どうしようもないおとなたち

「なあフリオニール」
「どうした?」
 ちょいちょいとマントを引く手に、フリオニールは歩みを止めて振り返る。野営地を畳んで四人で歩き出してから、そう長くは経っていなかった。今のところはイミテーションともカオスの軍勢とも遭遇せず、穏やかだ。
 フリオニールを呼び止めたティーダは前方に顎をしゃくった。数歩離れて先を行くのは、白銀の鎧に身を包んだセシルと、身の丈ほどもある大剣を背負ったクラウドだ。年相応に騒がしい自分たちと比べて落ち着きを感じさせるふたりは、それぞれに戦闘の経験も豊富な頼れる兄貴分だった。
 その彼らがどうかしたのだろうか。ぱっと見た感じ、違和感はない。白皙の美貌という表現に相応しいセシルの横顔は唇がわずかに弧を描き、どうやらクラウドの冗談——真顔なのでそれが冗談だと気づくのにフリオニールはいつも一拍遅れるのだが——に笑っているらしい。対するクラウドも、不思議に揺らぐ光を宿す瞳を和らがせている。何ということもない、いつも通りの二人だ。
 戸惑ってティーダを見た。楽観的で調子の軽い彼は、自身を「シロウト」と称している通り、戦闘に関しては荒削りで勢いのまま先走る嫌いはある。しかし、彼の観察眼と状況判断の速さは並のものではないとフリオニールは密かに舌を巻いていた。ブリッツボールはスピードと思い切り、あとはチャンスを見逃さないことが大事なスポーツだからな、と言っていたのを思い出す。彼のものを見る目は確かに機敏で細やかだ。そのティーダが自分には気づけない何かを拾い上げたのなら、耳を傾けるべきだった。
「二人がどうかしたか?」
「今日のセシル、なんか変じゃないか?」
「セシルか? 普段通りに見えるが……」
「んー、なんつーか」
 言葉を探すティーダが髪をぐしゃりと掻き回した。受信能力の高い彼は、受け取ったものを言葉にして説明するのが少し苦手だ。内心にわだかまる不安や疲れを上手く吐き出せず、いきなり大声を上げる彼に驚いたことがある。だからフリオニールは急かさず待った。ちゃんと聞いているから焦らなくていい、と態度で示してやるのがティーダを一番安心させると知っていた。
「うーん……なんかこう、イマイチ? っていうか、キレがないっていうか」
「キレ?」
「一言でいうと調子悪そう」
「調子が悪い、か……」
 改めてセシルを見る。健康そうな顔色だとは言えないが、いつものことだ。歩く足取りも確かで、クラウドと談笑しながらも周囲にきちんと気を配っている。分からん、と首を捻るフリオニールに念を押すように、ティーダが続けた。
「例えばさ、髪が」
「髪?」
「今日ふよふよがちょっと乱れてる感じしねえ?」
「ふよふよ……」
「あと、マントの汚れに気づいてない」
 ふよふよの方は今ひとつ理解が追いつかないものの、なるほどマントの裾の方には小さいが泥汚れがついている。どこかで座った拍子についたものだろう。
「セシルはああいうの放置しないぜ、フリオニールと違って」
「大雑把で悪かったな」
 軽口を叩くティーダの頭を軽く小突きながら得心した。何しろ戦闘員なのだから泥汚れくらい誰にでもいくらでも付くが、セシルが泥をつけたままというのが珍しいとフリオニールも感じたのだ。それはつまり、自分たちに気づかせる間も与えずに払い落とすのが常態だった、しかし今はそうではない、ということで、調子が悪いサインと見ることも出来る。
「……うっかりということもあるかもしれないが」
「まあなー。おれの勘違いならいいんだけどさ」
「いや、少し様子を見てみよう、ティーダが気づいたなら何かあると思う」
 そう言うと、ティーダは目を丸くして、それからにかっと笑った。フリオニールの好きな笑顔だ。さっき掻き回した拍子に乱れた頭頂部の髪を直してやる。サンキュな、と言うのに、こちらこそ教えてくれてありがとうな、と返して今度はふたりで笑った。

 セシルの隣にさりげなく腰を下ろす。左にセシル、右にティーダ、向かいにクラウド。
 なあおれ腹減った、昼メシにしようよ、とティーダが声を掛けて、四人は手頃な水場の近くに休憩することにした。各々担いでいた荷物から食べ物を取り出しながら、フリオニールはセシルの様子を伺う。
 オレンジのような果実を剥くセシルの手つきに淀みはない。が、そういえば食事をいきなり果物から始めることがあっただろうか? 今は別に食糧に困っているわけではない。保存の利くようにした肉や、硬く焼き締めたパンは昨晩全員に配分したばかりだ。現にクラウドはパンの切れ端に削いだ干し肉を乗せて食らいついている。いやしかし、そういう気分ということもあるだろうか。喉の渇きを潤してから腹に溜まるものを、というつもりかもしれない。もう少し様子を見る。
 当のセシルは、ティーダの話にうんうんと相槌を打っている。その合間に果物を口に運ぶ、そのペースが心なしか遅い気がする。とは言うものの、もともとセシルはがっついて食べる方ではない。見た感じはあくまでも上品に穏やかに、気がつくと皿が空になっているというのが彼の食べ方だ。喋るのに口を使うのがもったいないとばかりに黙々と食べ続けるのがクラウド、大きな口を開けて美味い美味いと平らげながら、残った皿が一番綺麗なのがティーダ。食べるのが一番遅いのはフリオニールかもしれない。
 切り分けた干し肉をかじりながら、なおも観察を続ける。果物を食べ終えたセシルはパンを手に取った。ナイフで切り落とし、内側の柔らかな部分を摘んでいる。そこでやっと、フリオニールはいつもと違うところを見出した。以前、セシルが言っていたのを思い出したのだ、「パンの硬い耳の部分が好きだ」と。しかし今のセシルは硬い部分を避けて、ちまちまとしか食べていない。
(これは……)
 体調が悪いのなら、胃に重いものや噛み砕きづらいものが億劫になるだろう。ティーダの観察眼に少し追いついた気がして気分が浮き立つが、仲間が体調を崩しているのに喜んでいる場合ではないと気を引き締めた。
 他の三人が一通り食べ終えても、セシルはまだパンのかけらを手にしていた。結局肉には手を出さないままだ。荷物を片付けながらティーダを見ると、同じタイミングで彼も目配せを寄越した。言葉なしに通じ合った感覚を面映ゆく持て余しながら頷きあう。ティーダが右手を挙げた。
「はい、ティーダくん」
 こういう時はそう言うものなのだと、前にクラウドに教えられた通りにかしこまった口調で指名してやる。満足げに笑みを浮かべたティーダがセシルに向き直る。
「提案があるっす」
「提案? 僕に?」
「そ、セシルに提案。おれと、フリオニールから」
 あくまでもいつもと変わらぬ顔で小首を傾げるセシルが白々しく見えてくる。事件の犯人を追い詰めるような気持ちでフリオニールも姿勢を正した。クラウドは黙って成り行きを見守っている。
「今日はここでもう休む、どう?」
 唐突な提案に、セシルは目をぱちくりと瞬いた。
「え、どうして? ティーダ、疲れた?」
「おれじゃないってば。セシルだよ」
「僕はべつに、何ともないけど」
「……賛成だ」
 と言ったのはフリオニールではなく、クラウドだった。胡座をかいた膝に頬杖をついてセシルを見ている。やはり彼も気づいていたのだろう。三対の瞳に注目されて居心地悪そうなセシルは、得意の角度で首を傾げた。
「ええと、ごめん。理由が分からないから、説明してもらえないかな」
「理由分かんないとか、マジで言ってんの?」
「マジだろうな、こいつは」
「え、僕のせい?」
「せいというか、セシル、体調が悪いんじゃないか?」
「え、いや……そんなことは」
 眉宇をわずかに寄せて否定するのに、三人は呆れ顔で反論した。
「ろくに昼を食わずにか?」
「そんなにお腹空いてないから……軽くでいいなって」
「マントに泥付きっぱなしなの、気づいてなかっただろ?」
「泥くらい付くよね? 気づかないからって、そんな」
「あと、ふわふわがなんかへたれてるっす!」
「え、ふわふわ? へた、え? なに?」
 畳み掛けられたせいか、あるいはティーダの言っている意味がわからなかったのか。後者ならその気持ちは分かるな、と思うフリオニールだ。
 セシルは「ちょっと待って」と制止した。こめかみに指を添えた姿の、なんと絵になることか。ううん、と目を瞑って考え込んでいる。
「僕は、体調が悪いのかな?」
「かな? って聞かれても」
「何か自覚症状はないのか? だるいとか、頭が痛いとか」
「だるい……言われてみれば、そんなような気もするというか」
「……セシル、こっちを向け」
 要領を得ないやりとりに焦れたクラウドが、出し抜けにセシルの首根っこを押さえつけた。抵抗するいとまも与えず頭突きを繰り出す——もとい、額を重ねる。絵に描いたような美形ふたりが顔を寄せ合っている図はいっそ倒錯的だ。それは額同士でなければいけなかったのか、額に掌でよかったのではないか、という質問はするだけ無駄だ。こういう時のクラウドのすることに合理的な説明はつけられない。横のティーダが、いや長くね、と呟く。同意だ。
「熱が出てる」
「え、うそ」
「ああ」
 たっぷり数十秒かけて体温測定を終えたクラウドが言う。フリオニールは、触るぞ、と一声断ってからセシルの首筋に手を当てた。自分のそれよりも脈拍が少し早いようだ。体温も高いのかもしれない。そもそもセシルの平熱を知らないので判断に迷うところだ——クラウドはなぜあそこまで自信満々に断言できたのか、という疑問は一旦棚上げしておく。
「な、休もうよ。風邪はひき始めが肝心っていうし」
「そうだな、下手に進んで野営しづらい場所に行き当たっても困るし」
「いいな、セシル、あんたは今日は休め」
 順繰りに説得されたパラディンは、従順に頷く——かと思いきや。
「……認めたくないな」
「へ?」
「うん、認めたくない。僕は認めない」
「認めない、って」
「僕は風邪なんかひいてない!」

 無意味に胸を張るセシルに何故か気圧されて、あるいは呆れ果てて、三人は口を噤んだ。こいつは一体何を言っているのか。
「いやあのさセシル、認める認めないの話じゃないよな?」
 最初に復活したのはティーダだ。ものすごく真っ当なことを言っているが、どうやらその真っ当さは今のセシルには通じないらしい。
「だって僕、自覚症状がないんだよ? 人からきみは風邪ですよって言われて、はいそうですか、なんて全部受け入れてたら人生どうなると思う?」
「人生の話はしてないよな⁉︎」
「甘いよティーダ、これはまさに人生の話だよ。自分の運命を他人の判断に委ねるのかどうかという」
「いや、それがゴルベーザと闘うかどうかって話なら他人の言うことなんか聞く必要ないけどさ、」
「兄さん? 兄さんは強いよ?」
 明後日の方向にカッ飛んでいく会話を修正すべく、フリオニールは割って入った。
「セシル、客観的に見て、今のセシルには休息が必要だと思う。熱が出てて、食欲がないんだろ?」
「僕はそうは思わない」
「休息が必要なやつはみんなそう言うんだ、セシルだって知ってるだろう」
 反乱軍に加わってから、そういう手合いの人間はいくらでも見てきた。みな果たすべき使命に急かされるばかりに、身体の出すさまざまなサインから目を逸らして、あと少しだけと無理をする。そんな身体で危ない橋を渡ればどうなるか。今の自分たちも、いつどんな危機に陥るかは分からないのだ。かつて一軍を率いていたセシルもそれを承知しているはずだった。
「休める時に休もう、一刻一秒を争う局面じゃないんだ」
 フリオニールの言葉にも、セシルは首を縦に振らなかった。
「僕はまだ行ける、行こう」
「駄々をこねるな」
「クラウド、」
「駄々だって? 僕を止めるならそれなりの覚悟はあるんだろうね?」
「ああ、あるさ」
 俺は迷わない、と言い放つクラウド。その台詞の使いどころは絶対にここではない。頭痛を覚えて今唯一言葉の通じそうなティーダを見ると、彼もまた頭を抱えていた。
 じゃき、と持ち重りのする金属の音と共にクラウドが構える。対するセシルも得物を手に体勢を低くした。駄目だ、始まってしまう。どうしてこんなことになってしまったのか。
「悪いけど、手加減は出来ないよ」
「必要ない、俺が全力を出すまでもないだろうがな」
「よく吠えるじゃないか、クラウド……!」
 どうせなら全力でやるだけやって、二人揃ってぶっ倒れてくれるのが一番早いか、と思った瞬間だった。
「やめろっつー……の!!」
 びゅん、と風を切る音が三回、次いで炸裂する光、爆発音。もろともに吹っ飛ぶ騎士と兵士。空中でボールを蹴り抜いた芸術的な造形が、すたん、と着地した。
「クラウド、病人相手に何してんだよ! セシルもワケわかんねーし!」
 地に倒れ臥すふたりに仁王立ちで説教を始めるティーダの後ろで、おまえのボールがどこから出てくるのかも、どうして普通のボールが爆発するかも、セシルの言動と同じくらい訳がわからん、とフリオニールは瞑目した。

 このパーティに常識人はいないのか。いないんだな、それはよく分かったぞ。
 分かりきってはいたことを改めて噛み締める。ティーダの説教はまだ続くようだった。

とりあえずおしまい。

おまけの210

 言いたいことを言ったら気が済んだらしいティーダと共に、テントを張ってまだ昏倒しているふたりを放り込む。装備はそのままなので寝心地が悪いだろうが、知ったことではない。外してやるのはあとでいいだろう。
 黙々と野営の準備を整える。何しろまだ日が高いので急ぐ必要はない。水を汲みに行ったティーダを見送って、フリオニールは荷物から薬草を取り出した。怪我の類はケアルで治せるが、風邪などの不調はそうもいかない。エスナが効かないことも往々にしてあるので、一通りの症状に対応する準備はしてあった。薬師マスターになれるバッツには及ばないが、自給自足の生活に慣れたフリオニールにも心得はある。
 戻ってきたティーダが手元を覗き込んだ。束にした草や葉、花の蕾などを選り分けて乳鉢で混ぜる。
「そういうのってさ、いつ勉強したんだ?」
「勉強というか……いつの間にか覚えてたな、大人の手伝いをしながら」
「すごいよな、フリオニールは」
「俺が特別すごいわけじゃないさ」
 例えば、蹴ったボールを爆発させることは出来ないしな。そう笑うと、ティーダもにやりと口角を吊り上げた。
「あれはトクベツだかんな」
「深くは聞かないでおくよ。……ティーダ、水を沸かしてくれるか」
「はいよ」
 セシルは初期の風邪だろう。身体を内側から温めてやる調合にした。昨晩の見張りで冷えたのかもしれない。本格的に発熱するようなら別のものを誂えてやることもできる。
 鍋に水を注ぎ火にかけたティーダがぽんと手を打ち、自分の荷物から林檎を取り出した。
「フリオニール、林檎おろせる道具ない?」
「おろしがねはないな……すり鉢で潰すか?」
「ん、そうすっか」
 用の済んだ乳鉢を軽く洗って手渡す。皮を剥いた林檎はみずみずしく、ティーダもそう苦労せずに想定のものを用意した。
「昔、まだガキだった時にさ」
「うん」
「風邪引くと、林檎のすりおろし食わせてもらってたんだよな」
「親父さんにか?」
 湯で薬草を煮出しながら聞くと、
「アイツがそんなんするタマじゃねえって」
 まさか、と肩を竦めた。潰した林檎を摘まんで、首を傾げている。
「なんか、足んない感じがする……」
「何だろうな、甘みか?」
「いや、もうちょいサッパリした感じの……」
 フリオニールもひとつまみ失敬する。喉の渇きを癒す爽やかな甘さはそれだけで美味かったが、ティーダは納得いっていないようだ。
「さっぱりか、レモンがあったかな」
「あ、レモン! そんな感じかも!」
 荷物を探ると底の方から黄色い果実が出てきた。少々萎びてはいるが、目の覚めるような色彩は健在だ。にこにこするティーダに半分切り分けて渡してやる。こういう些細なことを喜べるのもひとつの才能で、当てのない旅に惑う心を軽くしてくれる。
「アーロンっていうんだ、おれの育ての親……みたいな人」
 先ほどの続きだろう。フリオニールは黙って頷き、先を促す。
「オヤジの仲間でさ、見た感じ堅っ苦しくていかついんだけど、マメなとこもあって」
 指についた果汁を舐めて、すっぺ、と呟く。器の中身を混ぜながら、彼の声が少し小さくなった。
「母さんが死んで……そのすぐあとに、おれが熱出したことがあってさ。その時に作ってくれたんだ、これ」
 凝ったところのない、林檎をすりおろして少しの酸味を加えただけの質素な食べ物。見た目も決して良いとは言えないそれが、嵐のような喪失感に苛まれるこどもをどれだけ癒したことだろう。
 美味かったなあ、とこぼすティーダのどこか遠くを見る目に、フリオニールは口を噤んだ。大変だったな、も、つらかったな、も、居てくれる人がいてよかった、も、どれも上滑りしてしまいそうだった。彼に手渡したいのはそんな通り一遍のものではない。
 降りる沈黙にふっと息を吐いて、ティーダは器の中身をひと匙掬い上げた。
「フリオニール、味見してくれよ」
「俺が? ティーダがした方がいいんじゃないか」
「おれはいーの、おまえが美味いって思うかどうか、知りたい」
 そう言って少し照れたように笑う、その目の奥にまだ寂寥感のかけらが居座っているのが見て取れた。だから、フリオニールはわざと大げさに口を開けて、ティーダの差し出す匙に食らいついた。
「うん、美味いな。さっぱりしてて、いくらでも食えそうだ」
「そか? よかった、じゃこれはセシルにな」
 よっ、と掛け声と共に立ち上がる金色に倣う。中天から少し傾いた陽光を透かして、ひどく眩しかった。
「そういえば、クラウド復活しねえな?」
「おまえのボールが直撃したからな」
「そんなヤワじゃないと思ったんだけどなー」
「みぞおちにめり込んでたぞ、下手したらセシルよりダメージが大きいんじゃないか」
 あちゃー、と舌を出す。まあいいんじゃないか、クラウドだし。と言ってやると、おぬしもワルよのう、とおどけた声を出したから、頭を小突くふりをして、乱反射する光を集めたような髪に触れた。
 少し痛んだそれは、さらりと指の間を抜けていく。くすぐったそうに笑うティーダには、消失の影がきっとどこまでもつきまとうのだろう。父を、母を、そして彼自身を取り込んで手の届かないところへ連れ去ってしまう、実体も悪意もない空虚な影。
 深い夜の底で、蘇る記憶に声もなく涙を流す彼の姿を思い出す。器用で優しいだけの言葉を持つには未熟なフリオニールには、その透けて消えてしまいそうな身体を抱き締めてやることしか出来ない。自分がもっと大人だったら、体温と鼓動と掌以外に彼を慰める術が見つかるのだろうか。
「どした、フリオニール?」
 足を止めて思考に沈む耳に、彼が呼ぶ名前が届いた。なんでもない、と微笑んでやっても、髪を梳く指を離したくなかった。
 薬湯の入ったカップで手が塞がっていることを煩わしく思うと同時に、安堵もした。生きる身体のぬくもりや、刻まれる脈拍や、握り返してくる手に、飢え焦がれているのはフリオニールの方なのだ。自身の弱さを認めることが怖いと感じる程度には、フリオニールはまだこどもだった。