スコールは己の見目かたちに言及されることをひどく嫌う。その嫌悪はあるいは恐怖にさえ似て見えるのは、サイファーの思い上がりとも言い切れまい。スコールはおそろしいのだ、その面差しが、その瞳が、その鼻筋が、その唇がその肌がその輪郭が、ひとの目にどのように映るかを知ることが。敢えて言葉にして確かめたことなどないが、スコールの引き摺って歩くその空恐ろしさに気付かぬほど愚鈍ではなかった。
思い返してみれば、その点、イデアは細やかであった。あの荒野の突端に取り残された聖域のような石の家で過ごした幼き日々、イデアが子供らの外見にただの一度も触れたことはなかったとサイファーが思い至ったのはずっと後になってから、すなわちサイファーがスコールの精神的外傷を認めてからのことだ。イデアはその痩躯から溢れ出さんばかりの情愛でもって子供らを包み込んだが、サイファーの記憶する限りただの一度も外貌を理由に愛を語ったことはない。
あれは正しく母だったのだ。たとえ魔女をその身に宿そうと、手ずから育んだ子らに手を下させることを決めようと、彼女は理想的な母親だった。
サイファーは己の産みの母を知らない。名前だけは言い聞かされて育ったが、今となっては意図しなければ思い出すこともない名前だ。けれどスコールは違う。彼も、彼を産んだ女と言葉を交わしたことはないけれど、代わりというにはあまりに多分に母親の記憶に付き纏われている。
付き纏われている、と表現することで、誰もが顔を顰めるだろう。ひとびとはサイファーを非難するに違いない、母の記憶に触れることの何が悪いのかと。我が子をかいなに抱いて育てあげたかったであろう哀れな女のことを、彼女が注ぎたかったであろう愛情のすがたを、遺された子に伝えることの何が罪なのかと。
そのこと自体は悪いことではない。そのくらいの分別はサイファーにだってある。しかし、とサイファーは苦い焦燥と共に煙草のフィルターを噛み千切りたくなるのだ。愛情とやらは時に暴力になる。あんたがた善良な皆様がよかれと思って施すその母親の記憶とやらが、こいつをどれほど苦しめるのか分かっていてなお、そのさまを傍観しろというのか。
「サイファー、ここで吸うな」
「分かってる」
火をつけぬままの紙巻を唇に挟んだのを見咎めて、スコールが低い声を出す。こちらには一瞥も投げぬままの叱責に、サイファーはそら見たことかと内心毒づいた。誰に向かって。空想癖の強いサイファーの脳を目下のところ占拠している「善良な皆様がた」に向かってだ。
「いいのよ、気にしないで」
「あんたがどうこうじゃない。規則だ」
対面するソファに浅く腰掛けた女が眉を下げて笑っている。自分たちよりもいくらか年嵩のはずなのに、その薄い身体に纏うショールが彼女を年端もゆかぬ少女のように見せていた。行儀よく揃えられた膝は白いスカートの裾に包まれ、浮き上がるように眩しい。
「規則だなんて、スコール、自分のおうちなのに」
ころころと鈴を転がすような笑い声もまた幼子じみていて、ああだから俺はこのひとが苦手なのだったとサイファーは改めて噛み締める。エルオーネ。石の家で皆の姉と慕われ、スコールがべったりとくっついて離れなかった少女。サイファーが彼女に会うのはしばらくぶりだ。
まだ煙草を銜えたままのサイファーを、スコールが横目で睨みつける。顔はひとすじも動かさぬまま、眼球の可動域の限界に挑んででもいるようなそのまなざしに、けれどサイファーは容易く気をよくして両手を挙げた。スコールの意識を自分が占める時間は長ければ長いほどいい。それがどのような理由であっても。
フィルターの湿った巻を箱に戻すわけにもいかず、掌に転がす。エルオーネがまた何事かを喋り始めるが、一向に聴く気の起こらないサイファーは窓の外を見た。
空の底から沸き立つような入道雲に、雨の気配を呑み込んだ吊り雲が重なる。夏が終わろうとしていた。
「だから居る必要はないと言ったんだ」
潰れかけのケダチクでも見るような目でこちらを睨みつけるスコールは、心底から呆れたと言わんばかりに吐き捨てた。銜え煙草のサイファーはリビングの掃き出し窓に手をかけて、ガラスに反射するその視線を真っ向から受け止める。
「聞いたがな。ここは俺の家だ、どうして俺が気遣って外に出なきゃならねえ」
「おれの家だ」
「ハイハイ、俺らの家だ」
エルオーネが到着する寸前にも同じことを言い合った。お互い、もう飽きている。
先刻まではバケツの中身をぶちまけたように一様な青に染まっていた空は、今や泣き出すことが確定して重い暗い灰色だ。夏の終わりはいつもこうだ、突き抜ける快晴が僅かに目を離した隙に雨を降らせる。半端に開けた窓からは、サイファーの体温と同じ温度の湿った空気が押し寄せていた。
雨というのは総じて煩わしいものだが、今日に限ってはそう悪くもない。不穏に蠢く南の空を見て、雨が降る前にとエルオーネが去って行ったからだ。
この擬似姉弟の邂逅は一年ぶりだった。どうやらエスタに腰を据えたらしいエルオーネにスコールが会う機会はそう多くない。エスタの権力の頂点に君臨する父君に何くれとなく呼び出されるスコールは、しかし敢えて滞在時間を引き延ばしてまで「おねえちゃん」に会うことはないようだ。どういうつもりかは知ったことではないが。
久しぶりの対面に相応しく、エルオーネから繰り出される話題は尽きなかった。スコールの方は相変わらず無愛想ではあったが、本人なりに嬉しいらしく、言葉も表情もずいぶんと緩んでいたものだ。その横顔を眺めるのは、決して悪い気分ではなかった。
「ならどうしてあんなに不機嫌だったんだ。エルオーネに悪いだろう、せっかく来てくれたのに」
「おい、先に煙草吸わせろ。雨が降る」
「タールにまみれて死ね」
「あと五十年くらいしたらな」
ベランダ用のサンダルに片足を突っ込みながら返すと、スコールはもうこちらに背を向けていた。
だいたい、エルオーネがあんなことを言い出したのが悪いのだ。自分だってスコールの姉貴気取りで、何かの拍子に「おねえちゃん」と呼ばれたことを嬉々として話の種にするくせに、実際のところ、スコールが何を喜んで、何を嫌うかもろくに分かっていない。
――そうやって笑うとレインにそっくり。
エルオーネは言ったのだ。ラグナとキロスとウォード、三人の壮年男性、それも相当な社会的地位を保つおとこたちの馬鹿馬鹿しいやり取りを再現してみせた彼女に、スコールがふにゃりと顔を崩したその時に。
そのまま数瞬待てば、彼らしい不器用で下手くそな笑顔を拝めただろうに、よりにもよってそんなことを言うものだからスコールはたちまちのうちに表情筋を引き締めてしまった。その顔をどう受け取ったものか、エルオーネは言葉を継ぐ。
――笑うと目尻が下がるの、レインとおんなじよ。口はもしかしたら、ラグナに似てるかも。
そんなことを言っていたけれど、サイファーにはどうでもよかった。
エルオーネがこうしてレインの名を出すことは、彼女なりの「思いやり」とやらでもあるのだろう。スコールにはレインの記憶がない。実子である彼を産み間もなく亡くなった母親の思い出は、もとは隣人の娘であったエルオーネの胸にしまってある。
エルオーネはレインを知っている。昼下がりの店内でフロアにモップをかけながらうたっていた歌声のこと、狭いカウンターの中でいかに器用に立ち回るか、店内から花を絶やさなかったこと、眠れないとぐずる幼い子供にどんな寝物語を聴かせたか。彼女の腹を痛めて産まれてきたスコールがついに享受できなかったおよそあらゆる全てのぬくもりの記憶は、エルオーネだけが知っている。
だからエルオーネはことあるごとにレインの残影を差し出す。そうすることが己の務めであるとでもいうように。実母の掌を知らぬままおとなになってしまった弟を、憐むように。
クソッタレ、とサイファーは思った。クソッタレ、まったくもって気に喰わない。それは施しだ。持てるものが持たざるものに何かを差し出すのは傲慢な施しに過ぎない。立脚点は必ず憐憫で、他人の頭の中で都合よく咀嚼された記憶の残骸を、いわば残飯を、かわいそうにと恵んでやることの何が美徳だ。持たざるものが欲しいのはそんなものじゃない。実物が手に入らないのなら、はるか高みから慈悲深く与えられる記憶など何の役にも立たない。
己のルーツを知らぬまま生きてゆくしかない孤児にとって、遺伝子の組み合わせが規定する容貌など煩わしいものでしかない。ましてや、そこに見も知らぬ産みの親のよすがを見出されても、困惑こそすれ喜ぶことなどできはしない。だからスコールは己の見目かたちについて語られることが嫌いなのだ。荒寥とした寂しさに苛まれて泣いていた幼子の幻影に纏わりつかれるようで、自分がよく似ているらしい女を殺して産まれてきたことを責められるようで。
(そんなことも分からないくせに)
なのに、エルオーネは毎年夏の終わりにスコールに会いに来る。スコールもいそいそと彼女を迎え入れる準備をする。やって来たエルオーネは他愛もない話を積み重ねては、不意打ちのようにスコールにレインやラグナの面影を見出す。それを嫌うサイファーを、スコールはいつも排除しようとする。
くだらない。あまりにくだらない一日だ。
いつの間にか燃え尽きていた煙草を灰皿代わりのペットボトルに押し込んで、サイファーは空を見た。南の海には磨りガラスのような霞がかかっている。もう雨が降り始めているのだ。あと何分もしないうちに天の恵みのカーテンはこちらに紗を下ろすだろう。飽和限界ぎりぎりまで水分を蓄えた空気は重く、吐き出した煙はいつまでも拡散せずにサイファーの身体に纏わりついていた。
掃き出し窓を閉める音があまりに派手だったので、ソファに腰掛けて雑誌をめくっていたスコールが柳眉を吊り上げる。その唇がつまらない非難を吐き出すより早く、サイファーは彼の肩を思いっきり押し倒した。
「おい」
「セックスしようぜ、スコール」
ティーンのガキよりも露悪的に口を歪めれば、咎めるくちぶりとは裏腹に素直に押し倒されたスコールが目を見開く。レインに似ているのだというが、サイファーにはどうでもいいことだった。そんな女のことは知らない。サイファーはスコールしか知らない。
「いきなりどうした、あんた今日おかしいぞ」
「そうかもな」
「待て、嫌だ、今はしたくない」
サイファーよりは薄いがそれでも人並み以上に筋肉のついた腹に手を滑り込ませる。空調の効いた室内にずっといたから、肌はさらりと乾いていた。
「どうせ暇だろ」
「買い物に」
「やめとけ、これから大雨だ。一発やって丁度止むくらいじゃねえか」
「だからってセックスじゃなくてもいいだろう――ッ!」
スコールが息を詰めたのは、シャツに潜り込んだサイファーの指が鳩尾を引っ掻いたからだ。スコールの生命の急所はことごとく性感帯で、コイツ戦場で敵に撃たれでもしたら死にながらイくんじゃねえかとさえ思う。もっとも、そのように仕立て上げたのはサイファー自身なのだが。
「嫌ならちゃんと抵抗しろよ、スコール」
「クソ……っ」
伝説とさえ呼ばれたSeeDの筆頭だ、本気になればのしかかるサイファーをどかすことなど容易いはずだった。こめかみを狙って殴れば脳震盪、首筋の動脈を締めれば酸欠、鳩尾に膝を叩き込めば嘔吐反射、股間の一物を蹴り上げればひとたまりもない。なんの武装もしていないサイファーに、それでも押し倒されたままで悪態をつくスコールは、とてつもなく愚かで可愛かった。
「なあ、しようぜ。天国見せてやるからよ」
今どき三流映画でも聞けないチープな台詞に、呆れ顔を作り損ねたスコールが笑った。別に誰にも似ていないその下手くそな笑顔ひとつで満たされる自分も相当愚かで可愛いなとサイファーは思った。
一回だけだからな、と釘を刺すスコールに、へいへいと気のない返事で応えながら服をひん剥く。夏がいいと思うのはこういう時だ。薄着だからシャツ一枚とジーンズを脱がせてしまえばそれで済む。夏生まれだからか寒がりなスコールは、秋の終わりにはもう着込みがちになる。こっちを剥いであっちを脱がせてと手間をかけるのは嫌いではなかったが、こういう即物的な気分の時にはまどろっこしくてかなわない。
下着はひとまず脱がさず、サイファーはソファを降りてフローリングの床に膝をついた。スコールが自ら脱ごうとするのを視線で制する。彼としては下着を汚すのが嫌なのだろうが、残念ながらこちらはスコールが無様に下着を汚していくのを見るのが好きなのだ。はあ、と諦めの溜息が聞こえた。
ソファからこぼれ落ちた左足を掬い上げる。足の幅が狭くて、甲は少し高い。だから足に合う靴を探すのが面倒なのだと言っていた。最近スコールが履いているスニーカーは三代目だ。この足は誰かに似ているのだろうか。レインに、それともラグナに? 青い血管が浮く肌に指を這わせながら考えたが、やはりどうでもいいこととしか思えなかった。これはスコールの足だ。それで充分だった。
「っひ……」
ぽこんと浮き出た甲の骨にくちづけると、頭上から引き攣った声がした。そのまま、親指に繋がる腱を唇で食みながら踵を握って捕まえる。くすぐったいのだろう、反射で跳ね上がろうとする動きを抑え込んで、歪んだ爪ごと咥え込んだ。
「やめろ、サイファー」
苦情を聞き入れてやるつもりはないし、そんなのはいつものことだった。セックスの最中であろうがなかろうが、スコールの小言を真面目に聞いてやったことなど生まれてこの方一度もない。バネの強いふくらはぎごと抱え込んで、親指を飴玉のようにしゃぶる。
形の悪い爪は戦士特有の不具だ。加えてスコールは自分の身体に気を配らないので、雑な切り方も相まって足の爪はことごとく変形していた。きついアーチを描く親指、ぺたりと扁平に潰れた人差し指から薬指、小指に至っては切れ端のような爪がちょこんと乗っているだけだ。よくこれでガンブレードを振り回して踏み込めるものだと感心しながら、そのいちいちに舌を這わせる。ついでに指の付け根や股まで舐めれば、スコールの膝がかくかくと痙攣した。
足の指をひとしきり愛でたところで顔を上げると、スコールは片腕を上げて目元を覆っていた。くすぐったいのと恥ずかしいのとでどんな顔をしたらいいのか分からないのだろう。まだ性感には遠いが、薄く開いた唇から吐き出される息はわずかに上擦っていた。
サイファーは再び視線を足に戻す。踵とくるぶしの間に古い傷跡が残っていた。いつこんなところを怪我したのだろうか。少なくとも、レインもラグナもこんな傷はなかったに違いないと思うと、不思議に溜飲が下がる。長さ1センチにも満たないそこに吸い付けば、薄い肌の向こうからじわりと小さな花が咲いた。張り出したくるぶしに前歯を立て、爪先がかくんと跳ねるのに気を良くしながらアキレス腱を抉り出すように舌を動かす。
「さっきから何なんだ、あんたは」
「あ?」
何なんだ、と訊かれると確かに俺は何をしているんだと思う。俺は何がしたいのだろう。涎でべたべたになった左足を放り出して、ソファの座面から右足を取り上げる。
「いいかげんにしろ、変態」
「どこがだよ」
「ひとの足を舐め回す奴は変態だと相場が決まってる」
「おまえ、ちょっと静かにしてろ。考えてんだからよ」
なんだその言い草は、などとぼやくスコールはさておき、サイファーは掌に置いた足を見つめる。自分もそうだが、甲と爪先に鉄板の入ったブーツを常用しているせいで足の体毛はほとんど擦り切れていた。陽に当てることもないから生のままの肌は青白いほどで、張り巡らされる血管は蜘蛛の巣に似ている。こうして観察してみると、生きている人間の足なのに全体としては無機質な印象を漂わせている。
俺は何がしたいのだろう。ひとさまに傅くなんて二度とごめんだ、ましてやスコールなんぞに跪いてなんてたまるかと思っていたはずなのに、こうして床に膝をついて足首から先にしゃぶりついている。舐めようが齧ろうが吸おうが、こんなもの愛撫の出来損ないのようなもので、下着に包まれたスコールの股間は大人しいものだ。セックスをするつもりだったのに。
右の足先もひとしきり舐めまわしてから、今度は向こう脛に唇を寄せる。いびつなかたちの痣は、数日前のモンスター討伐でつけたものだろうか。いちじくの外皮のような青紫は、ふちに向かって黄色へとグロテスクなグラデーションを広げている。大して痛くもないだろうと親指の腹で押すと、聞かん気な脚がびくりと跳ねた。
「痛い」
「痣できてんぞ」
「なら押すな、馬鹿」
変色した肌を舌先でくすぐっても、何の味もしなかった。それがどうしたわけか気に入らなくて、サイファーは痣を覆うように歯を立てる。牙が生え変わる時期の獣のように、歯が疼いて我慢ならなかった。
己の脚に喰らいつく男の頭頂にスコールの視線が突き刺さる。呆れが六割、疑問が三割、戸惑いが一割の配分でミックスされたまなざしを見返してやることができない。ああ、俺は何をしているんだ。何がしたいんだ。
脛から血管を辿って膝頭に向かうサイファーに、スコールは何かを言いあぐねたようだった。しかし結局、声にはならない。もとより言語表現はスコールの苦手とするところで、今回も口にすることを諦めたのだろう。助かった、と思う。何を問われても、何を咎められても、サイファーには答えようがなかったし、かといってこの当てのない接触を止められる気もしなかった。
目と指と掌と唇と舌をでたらめに動かしながら、サイファーはスコールの身体を徘徊した。平熱の肌のなめらかさあるいは些細な荒れとかさつきを感じ、規則正しく流れる血流を辿り、緊張と弛緩のはざまに立ち尽くす筋肉の折り重なりを探り、その向こうで沈黙を守る骨格を浮き彫りにすべく爪を立てる。両脚を彷徨ってから、薄い下着の張り付く腰を掠めて腹部に伸び上がり、サイファーのそれよりも柔軟性の高い筋肉の下の内臓を求めた。
自分自身気づかぬうちに荒くなり始めた吐息に引きずられて、スコールの四肢がひくりと震える。かたちのいい臍に舌先を突っ込んだ時、ついに彼の声帯が弱々しい音を吐き出した。
いつの間にかここまで来ていた雨が窓ガラスを叩く音がしていた。ばたばたと喧しい音に追い立てられながら、肋骨に沿うように残った薄い切り傷の痕を見つけたサイファーは、自分が何をしているのかようやく理解した。
(――この傷はこいつのもんだ)
サイファーは確認している。スコールの身体の要素ひとつひとつを取り上げて、矯めつ眇めつしては、それが帰属するのはスコール自身であり、それ以外の誰のものでもない理由を挙げては安堵している。
かつて軍人だったラグナにも、さまざまな傷が残っているだろう。しかしスコールの傷と完全に一致するものを持っているとは考えがたい。ひとつやふたつ、よく似たものがあったとしてもそれは偶然で、長さや深さ、あるいは下手人までもが同じことなど決してあり得ない。この数十分でサイファーが再発見した傷のいくつかはサイファー自身によるもののはずで、思い浮かぶ適当な記憶にめぼしい傷を当てはめてやる度に――この傷はあの時蹴り飛ばしたやつかもしれない、こっちはあの時に斬りつけた名残に違いない――サイファーの思考を占める不定形の靄が少しずつ輪郭を明らかにしてゆく。
ラグナのこともろくに知らぬサイファーには、レインなど実在しないも同然だった。だからなおさら好き勝手に解釈した。スコールの肌は青みが強い、乾きがちでなめし革のような触り心地で、尻も腹も胸ものめり込むような脂肪の層に覆われてはいない、鍛えられた骨は強靭で、どれだけの力で抱きすくめようと壊れたりはしない。
スコールは似ていない。エルオーネやラグナやキロスやウォードが明意識的にあるいは無意識的に求めるだろう産みの両親のどちらともまるで似ていない。スコールは違う。彼を孤独と理不尽のるつぼに叩き落とした薄情な両親のいずれとも、何もかもが違う。
そう見出せたことに、ひどく満足した。
サイファーが確信を得るころには、文字通り全身をいたぶられたスコールはいとも哀れなありさまに成り果てていた。検印のように刻まれた歯形と鬱血痕を散りばめて、浅い呼吸を繰り返す。唯一身に纏う下着の中で張り詰めた陰茎は先走りの蜜を零して惨めな染みを広げている。もうこんなにしやがって、と責め立てようとして、サイファーは自身の欲望もまたみっともなく勃ち上がっていることに気づいた。
はは、と乾いた笑いを転がすサイファーを、スコールが胡乱なまなざしで見やる。その瞳は薄暗い空気を吸い込んで灰色みが強くなり、とろ火で煮込まれた性感に覆われて滲んでいた。
「……馬鹿サイファー」
おまえは何がしたいんだ、と彼の足を舐め回している時にも訊かれた問いが投げられる。さっきと違うのは語尾が不明瞭な吐息に溶けていることで、答えを見つけることに成功したサイファーの自尊心を満たす。
「何だと思う」
「おれが訊いてるんだ」
「当ててみろ」
当てさせる気など毛頭ないサイファーは、返答を期待することなく衣服を脱ぎ捨てる。ベルトを通したままのボトムスを放り投げたら、金具がフローリングにぶつかって派手な音を立てた。それをスコールが咎める前に、ぐしょ濡れの下着を剥ぎ取る。
「あ、」
唐突に外気に晒された屹立がぶるりと震える。充血して刺激をねだるそこにも確認作業の手を伸ばすべきかと一瞬考えたが、すぐに思い直してさらに奥の窄まりに狙いを定めた。解いた問題の検算は楽しくない。サイファーにはスコールがスコールでしかないということが、もう分かっている。それで充分だ。
これから拓くべき孔を中指の腹で撫でる。昨夜も抱いたばかりだが、何の補助もなく暴いて無傷で終えられるとは思えなかった。ひとつには、スコールがいかに強靭な戦士であろうとも粘膜を鍛える術などないということ。もうひとつには、馬鹿みたいに優しいだけの抱き方などサイファーには出来ないと自覚しているからだ。なので、空いた片手をソファの背もたれと座面の隙間に突っ込み、ぺちゃんこに潰れたビニールバッグを引っ張り出す。二種類のかたちの違う金属パウチの収まった袋を見て、スコールがかくんと顎を落とした。
「……呆れた」
「用意周到と言ってくれ」
サイファーはロマンティストであり、同時に効率主義者でもあった。何かの拍子にそういう流れになった時、わざわざ寝室まで行く余裕があるとも限らず、さりとてスコールを抱くにはそれなりの手順とツールが必要だ。いざという時にそれらを取りに離れると、スコールはあっという間に平熱を取り戻してしまう――数度の実践と反省を踏まえた結果だ。スコールが不在の間に使い切りのローションパウチとコンドームを切り離して小さなビニールバッグに詰めては家のあちこちに仕込む工程には我ながらせせこましさを覚えずにいられなかったが、こうして役に立つことが分かったのだから構わない。
おまえは本当に馬鹿だなサイファー、とついに笑い出したスコールは、もう自分が投げて投げ返された問いのことを忘れているらしい。
忘れてろ、とサイファーは思う。忘れていればいい、自分が容貌に言及されると不快になる理由も、スコールに似ているかもしれない誰かのことも、エルオーネが来る時にどうあっても同席するサイファーの悋気も。
「あんた、そんなにおれとセックスしたいのか」
「おまえが俺とセックスしたいのと同じくらいにはな」
開けづらいローションのパウチを歯で噛み切って、隅々まで確かめ終えたスコールの身体を見下ろした。爪先から頭のてっぺんまでもう一度視線で舐め上げてから、そういえばまだキスをしていなかったことに気づく。何を見ている変態、とワンパターンな罵倒を繰り出すそこを塞いで、サイファーは、さてこの誰の複製でもない身体をこれからどう捻じ伏せようか、と考え始めた。