アリエッタ




 リーブは——身も蓋もない言い方をしてしまえば——音痴だ。
 語らせればあれだけいい声が出るのだから歌わせればさぞかし深い響きを聴かせてくれるだろう、という期待を見事に裏切って、彼の喉から飛び出す音は滋味を通り越して脱力感さえもたらすような、調子っぱずれの旋律の成り損ないなのだ。
 本人には音感がないわけではないから、自分の歌がどうにも的を外し続けていることがわかってしまうらしいのがなおのこと哀れを誘い、そのくせ妙に音程が弾んだり高音の難しいラインを辿り続けるような歌ばかりが口を突いて出るものだから、聴かされるこちらとしてもつい笑み崩れてしまう、そういう機会が過去にほんの一度か二度だけあった。
 そんなわけで、リーブが歌をうたうことは滅多にない。誰かのバースデイパーティに招かれても、お決まりのあの歌さえ手拍子でお茶を濁し、その埋め合わせだとでも言うように歌の尻が切れるが早いか真っ先に「おめでとうございます!」と派手に騒いでみせるのが常だ。ましてや独唱などもってのほかで、いつだったかウータイ式のカラオケ装置が一式据え付けられた酒場でシドやユフィと痛飲したときでさえ、どれだけ強いられてもきつい酒を喰らわされても、頑としてマイクを受け取ろうとはしなかった。ヴィンセントでさえ一曲か二曲はステージに上がったというのに、だ(ユフィによればウータイのカラオケにはステージがないことも多いようだが、それはともかく)。
 職場では組織運営から事務処理、難物との危うい交渉までをそつなくこなし、自宅では素人なりに凝った料理やどうやら一家言あるらしいアイロンがけをも趣味にしてみせ、あまつさえ得体の知れない力でぬいぐるみにいのちを吹き込んだり、ヴィンセントにこそ及ばぬものの護身には十分すぎるほどの射撃の腕さえ隠し持っている、リーブとはそういうおとこだ。欠点を挙げればきりがないほどにはまっとうな人間だが、かといってこれといった弱みをいくつも晒しているわけでもない。それなりに年輪を重ねた結果、高見積もりも過小評価もないフラットな自己認識に従えば、この「歌がへたくそである」という実に他愛のない一点が、リーブにとっては恥ずかしくてたまらないらしい。
 ヴィンセントに言わせればその程度、愛嬌のうちと思っておけばよいものなのだが、これまでのところこの提言が容れられたことはない。あのおとこの自尊心というのは、彼の現在の地位なりに高いようなのだ。こんなことに躍起になればなるほどこどもじみてくるのだが、それも可愛らしいといえば可愛らしい。——これは俗に言う「惚れた弱み」というやつだろうか。

 ヴィンセントに歌をうたう習慣がまるでないことも、リーブの意固地に拍車をかけているのかもしれない。どうしてと問われても困る、単に自分が歌をうたうものだと考えたことがないだけだ。ティファやユフィが機嫌良くくちずさむハミングも、シドの口笛も、バレットが前触れなく朗々と歌い出す声も、これまでに何度も聴いたし、そのいずれもが——いくつかの例外があるにせよ——ヴィンセントにとっては好ましいものだった。しかし、それらのどれひとつとして、ヴィンセントの身体からは発生しない。とはいえ忌避感があるわけでもないので、先だってのカラオケバーのように、それなりに酩酊した上でにぎやかな連中から強いられればまあ、マイクを握るのもやぶさかではない。しらふでは御免被りたいが。
 かたや己の喉が鳴らす突拍子もない音の連なりを恥じるリーブは、ヴィンセントにさえ、あるいはヴィンセントにこそ、その歌声を披露することはない。音楽を聴くのは彼の趣味の筆頭だから自宅にいれば何かにつけてレコードをターンテーブルに載せるのだが、特に気に入りの曲が流れ出した拍子にふとこぼれる旋律の芽を、リーブはいつも慌てて呑み下してしまう。それでわざとらしく咳払いなどしながら、どうということはない顔を作って「この曲、好きなんです」などと話し始めるのだ。そのたび産まれ損なった鼻歌を悼む羽目になるこちらの身のことも少しは考えてもらいたい。
 いっそのこと、開き直ってうたってくれればいい。そうすれば、最初のうちはそれなりに笑ってしまうことや「それは何の曲だ」と尋ねてしまうこともあるかもしれないが、そのうち慣れる。そういうものだ。必死に隠し立てすればするほど際立ってしまうというのは何事についても適用できる原則で、下手にこそこそするくらいなら堂々と胸を張ってしまったほうが気分もいいし、周囲の耳目が慣れるのも早い。元特殊部隊が言うのだから間違いないことだ。
 ひた隠しにされるとかえって覗きたくなるのもひとの性というもので、しかもそれが情人の愛らしい一面であればなおのこと、ヴィンセントはいつしかリーブの歌を盗み聴きする好機を窺うようになっていた。
 彼のプレイリストを再生して水を向けてもだめ、酒を呑ませてもだめ、起き抜けの寝ぼけたタイミングを狙ってもだめ(そもそもリーブは寝起きがいいのだ、基本的に)。しかしこの程度で万策尽きたなどと両手を挙げてはヴィンセントの沽券に関わる。シャワールームに張り付くという手は、やはり水音に阻まれて首尾は上がらなかったものの、着眼点としては悪くなかった。基本といえば基本の通り、リーブのうたごころ——などというものがあるのかどうかは知らないが——が顔を覗かせるのは、彼がひとりでいる、あるいはそう信じられるタイミングでしかない。
 手っ取り早いのは監視カメラや盗聴器を仕掛けることだが、ヴィンセントは別に「リーブがふらついた音程でうたっている姿」を記録に残したいわけではない。あのどうにも芯の通らない、五線譜のはざまで迷子になったようなリーブのうたう声を、あわよくばそのときの横顔を、ほんの少しの間でいいから見聞きしたいのだ。目的を取り違えては元も子もない。





 ヴィンセントが目を覚ますと、日はすでに高く昇っていた。時計を確かめるまでもなく、そろそろ正午というところだろう。
 肌触りのよいシーツと快適な室温のせいにして、ヴィンセントはしばらく怠惰なごろ寝を楽しんだ。このくらいは許されて然るべきで、なぜなら昨夜の情交のなごりがまだ全身にまとわりついているのだ。腰回りが沈み込むように重く、股関節が軋むように痛む。どことは明言し難い場所はひりつくような熱をまだ孕んでいるようだし、ふだんは役割を放棄しがちな声帯は久々の大仕事に疲弊しているに違いない。意識が明瞭になるにつれて、そういえば肩も二の腕も妙にだるいとか、鎖骨と脇腹が痛痒いとか、目の前に投げ出した己の手首にも悪質な虫刺されじみた痣があることだとかをいちいち認識してしまい、澪を引くように夜の底で繰り広げた乱痴気騒ぎの記憶が蘇る。
 少しはしゃぎすぎたようだ、と、これはあえて他人事のように形容することで平静を保とうとする。これといった理由があるわけではない。ヴィンセントが長旅から帰ったばかりでもなく、リーブがややこしい仕事から解放されたわけでもなく、誰かの誕生日でもない。ディナーに空けたワインは確かに美味かったが、正気を失うほどの酒精ではない。ただ単に、ふたり揃ってそういう気分だった。そういう気分だったので、どちらからともなく誘い合ってシャワーを浴びて、一歩も迷わぬ足取りでこのベッドに雪崩れ込んで、あとはまあ、はしゃいだセックスを楽しんだ。競い合うようにして互いに愛撫を施し、そっちを咥えられたらキスができないだの、こっちから抱きしめられたら顔が見えないだの、いい歳こいたふたりのひめごとにしては落ち着きも慎みもないやりとりで笑い合って、繋がってからも妙な体勢をいくつか試した気がする。それはもう、股関節も痛もうというものだ。
 ヴィンセントは鼻から息を長く吐きながら、いま一度両の瞼を閉じて、とりとめのない記憶の再生を切り上げた。はしゃぎすぎた。が、それはそれで悪い夜でもなかった。毎回こんなことはできないが、たまにはいいかもしれない。たまになら。
 回想を終えて、ヴィンセントはのっそりと身を起こした。喉がひどく乾いている。冷えているが冷たすぎない水が飲みたい。汗をはじめとする各種体液にまみれていただろう身体の方はどうやらリーブが拭き清めてくれたようだが、それでもシャワーを浴びたい。ついでに言えば、腹も減った。
 ベッドの足元の方に、昨夜景気良く脱ぎ捨てたバスローブが畳まれてあった。ヴィンセントはひとつ伸びをして、我がことながら顎が外れそうな大あくびを繰り出し、もそもそとローブを羽織る。キッチンで水分補給をしてからバスルームだ。
 寝室を出ると短い廊下があって、左手には玄関、正面にバスルーム、右手にはリビングダイニングに続く扉がある。リーブは几帳面なので、ドアを開けっぱなしにすることは——入浴後のバスルームを除いては——ない。だからヴィンセントが廊下でもう一度伸びをした時も、細い磨りガラスの嵌った扉は閉ざされていた。
 日当たりのいいリビングの、バルコニーに続く窓のカーテンを全て開けているのだろう。磨りガラス越しにも、扉の向こうが陽光に満たされていることが感じられる。ずいぶんと眩しそうだ。ヴィンセントは少しばかり億劫な気分を引きずって、それでも喉の渇きには抗えず、ゆっくりと廊下を進む。時折何かの物音が聞こえるから、リーブはキッチンに立っているようだ。
 ヴィンセントが気配と足音を殺すのはもはや習性であって、むしろ己の存在をアピールする時こそ意図しての振る舞いだ。どのみちこの家にはリーブとヴィンセントしかいないのだし、休日を共に過ごすパートナーに対してあえて存在を秘匿する必要などない。こころを預けられる相手にヴィンセントといういきもののかたちさえ委ねきった夜を明かして、いまさらどうして息を潜める必要があるだろう。寝ぼけまなこを瞬かせるヴィンセントには、自分が何の気配も放っていないことさえ意識せぬままだ。
 リーブがヴィンセントに気づかなかったとしても無理はない。いくばくかの心得があるとはいえ畢竟彼は非戦闘員で、ヴィンセントは元とはいえタークスで、リーブがよほど注意深く探らなければ、かくれんぼはいつだってヴィンセントが勝ちを収める筋書きだった。
 だから、それはまったくの偶然だった——ヴィンセントの耳が、ひとつながりの有機的な音を捉えたのは。
 皿がシンクに触れる硬質な音や冷蔵庫が開閉する重い振動、湯が沸く柔らかな蒸気のささやきに紛れるようにして、そのか細い音は確かに旋律だった。正確には、旋律になろうとしてなりきれない、それでも意味をもった音程の連鎖だ。
 リーブがうたっている。
 ヴィンセントははたと足を止めた。手を伸ばせばもう、リビングへの扉のノブに指が届く距離。掌ほどの幅のガラスを透かして、リーブの頭がゆらゆらと揺れているのさえ分かる。包丁でも扱っているのか、すとんすとんと小気味のいい音の向こうで、途切れ途切れにリーブの声がする。
『こんなことは初めてで、ぼくにはよくわからないのです』
 正直に言って、音程からはもとの歌の手がかりはまるで得られない。しかし、どこかで聴いた覚えのある歌詞だ。リーブが好んで聴く年代の音楽にしてはいささか技巧的すぎる旋律のようだが、それももとの曲がそうなのか、あるいはリーブがうたうせいなのか、判断に迷う。
『欲望で溢れかえりそうなのです それは大いなる喜び、あるいは深すぎる苦しみ』
 後半の歌詞は電子ケトルのアラームに掻き消された。しかし、きっとこんなことをうたっているはずだ、とヴィンセントは記憶の棚を探る。彼は今度こそ故意に息を殺し、バスローブ越しの背中を壁に預けた。
『そんなつもりもないのにため息がこぼれて、うめいてしまう この胸はひどく暴れるばかり』
 四十の齢に手をかけるおとこの口からこぼれるには、あまりに初々しい懊悩だ。我知らず笑みのかたちに弧を描く唇に指を添え、ヴィンセントは静かに瞼を下ろした。光彩の残像が破裂する、そのキャンパスにアリエッタを紡ぐリーブの姿を描き出す。このあとに続くはずの歌詞も旋律も、いまのヴィンセントならきちんと思い浮かべることができた。
『あなたはきっとご存知ですよね 恋とはいったいどんなものなのか』
『ねえ、あなたならきっとわかるはず ぼくがいま恋をしているんだって』
 古いオペラの、あまりに有名な一節だ。高嶺の花に熱を上げる若き青年の恋に恋患うような独唱は、数時間前までシーツの海に情人を沈めてさんざん喰い荒らしたおとこがうたうにはいっそ陳腐に過ぎる。恋とはいったいどんなものか、その答えがいまさら彼に必要だと言うのだろうか。
 リーブの歌は、アリエッタを終えて覚束ない鼻歌に変わっていた。歌詞の手がかりがなければもうお手上げだが、きっと彼はまだ喜劇のオペラの世界にいるのだろう。しかし、どうせうたうのならばもう少し声質にあった、たとえばテノールあたりのソロを選べばいいものを、どうしてまたメゾソプラノなど選んでしまったのか。原曲では女性を指す代名詞をわざわざ無性形に変えてさえいるのだから、深読みしなくともリーブの「あなた」が誰のことかなど知れようというものだ。
(……恥ずかしいやつめ)
 こんなものを聴かされてしまっては、リーブが外でむやみに高吟するようなおとこでないことに感謝するばかりだ。あんなひょろひょろの、音が上がりきらなかったり上がりすぎてひっくり返ったりするようなまずい恋歌など、とてもではないが他人に聴かせてやることなどできなかった。
 結果的に盗み聴きとなったことは棚に上げて、ヴィンセントは垂れる髪に隠れるようにして笑った。いつこの扉を開けてリーブの素っ頓狂な取り繕い顔を拝んでやろうかという悪戯な企みと、まだもう少しこの調子外れな歌を聴いていたいという欲求の間で、甘ったるく煩悶しながら。