WARM UP



 テントを透かして届く朝の光に、フリオニールはぱちりと瞼を開いた。いい目覚めだ。こんなにすっきり起きられることも珍しい。
 毛布をかぶったまま伸びをしようとして、左腕に密着するあたたかなものに気がついた。いくら寝起きでも見失ったりはしない——ティーダだ。
 彼はフリオニールの二の腕に額をつけるようにして眠っている。すやすやと穏やかな寝息が剥き出しの肌をくすぐる。意識した途端にぴくりと震えそうになる筋肉をやっとのことで抑えつけながら、フリオニールは目覚めと共に訪れた小さな幸せを噛み締めた。
 この異世界でクリスタルを探す旅を始めた頃から、たいていフリオニールとティーダは隣り合わせで眠っている。なんとなくそうなって、一度馴染んだら配列が変わった時に違和感を覚えて、お互いに同じように感じていたものだから笑ってしまった。
 想いが通じて恋人同士になってからはなおさらだ。その頃にはセシルとクラウドが離脱していたから、野営の時は肩を寄せ合って交代で仮眠を取るのが当たり前だったし、それぞれがクリスタルを得てこうして他のメンバーたちと合流してからも、やっぱり同じテントで並んで眠るのが普通だった。
 ティーダは身体を横向きにして、頭まですっぽりと毛布に潜り込んでいる。いつもそうだ。寝苦しくないのか、と前に訊いたら、これが安心するんだと恥ずかしそうな顔で笑っていた。コドモみたいだよな、とはにかんだその笑みがなんだか狼狽えてしまうくらい愛おしくて、それなら誰かにくっついて寝たらもっと安眠できるんじゃないか、と遠回りに催促してしまったのも無理はない。
 打倒カオスへと進む道のり、闘いに明け暮れる毎日とはいえ、だからこそ、一日の終わりくらいは心安らかに眠りたい。自分の体温でティーダが安心してくれるならこんなに幸せなことはないし、甘えさせてやるような言い方をしたって、結局のところはフリオニールだって彼の鼓動が恋しいのだ。
 誰か、なんて曖昧にしたってどうせ本心はばればれで、それじゃあ、とセシルとかクラウドにひっつかれたって困る。自分の隣で、自分にくっついて眠ればいい。いや、そうして欲しい。できれば、ぜひとも、絶対に。あまりに見え透いた誘い水に、さすがのティーダも呆れるんじゃないか、とはらはらするフリオニールの顔をたっぷり五秒は見つめた相棒兼恋人は、ふにゃりと破顔して、じゃあそうするっす、と言ってくれたのだった。
(……今日は大人しいな)
 朝の清潔な空気を深く吸いながら、フリオニールは口許を綻ばせた。
 毛布に包まってぴったりとくっついてくるティーダは大変愛らしいのだが、まるで問題がないわけでもない。つまり、寝相があまりよくないのだ。あまり、というか、正直なところかなり悪い。寝返りの拍子に振り下ろされた拳に鳩尾を抉られるのに始まり、テントの端まで押しやられたり、太腿の辺りをぽかすか蹴られたり、伸ばした後ろ髪をぐいぐい引っ張られたり、腹の上にのし掛かられたりと、その無意識の暴挙は枚挙にいとまがなかった。
 が、今日は奇跡的に寝た時と同じ姿勢だ。窮屈そうな感じもなく、むにゃむにゃと口を動かしている。
 なんていい朝なんだ。毎日こうだったらいいのに。
 ティーダがくっついているのとは反対の手を動かして、彼の髪に触れる。こんな世界ではろくに手入れなどできないから毛先は傷んでいるが、見た目ほど硬くはなくむしろ柔らかい。指に絡めるには足りない長さのそれを指先で梳くのは、フリオニールのお気に入りだった。
 他のテントに休んでいた仲間たちが起き始めたようだ、外からは朝の挨拶を交わす声が聞こえてくる。そろそろ自分たちも身支度を整えなければ。名残惜しくはあったが、フリオニールはティーダの肩を優しく揺すった。
「ティーダ、朝だぞ。起きろ」
「んー……んぅ……」
 声をかければ、むずかるように顔を顰めて擦り寄ってくる。ティーダは寝相だけでなく、寝起きも意外と悪い。昨晩は見張りの早番で睡眠時間が短いからなおさらなのだろう。休ませてやりたいのはやまやまだったが、旅は待ってくれない。心を鬼にして、眠りの世界にしがみつくティーダを引きずり出す。
「こら、ティーダ。もうみんな起きてる」
「ううー……もうちょっと……」
「だめだ。朝飯、食い損ねるぞ」
「それは……やだ……」
「じゃあ起きろ。置いてくからな」
「やだぁ……ううぅ」
 駄々をこねる子供のような口調が、芯の通らない甘ったるい声に乗る。いつの間にか取られていた腕は、ティーダの脈拍をはっきりと感じるほど強く抱き締められている。期せずして肚の底からぐっとこみ上げるものを感じたフリオニールは、一瞬動きを止めた。
(待て待て、朝だぞ。落ち着け)
 これが夜明け前ならまだしも、目を閉じていたって分かるほど明確な朝。聞こえてくる仲間たちのざわめきは次第に輪を広げてゆく。こと防音性能という点に関してはまるで期待できないテントの中だ、たとえ戯れにだって不埒な真似に及ぶわけにはいかない。
 しかし、しかしだ。フリオニールの頭が勝手に計算したところによると、最後に「そういう」ことをしたのはおよそ七日前。それも、深夜の見張り番を免れたのをいいことにこそこそと逃げ込んだ森の奥で、仲間たちに気づかれないうちにと慌ただしく済ませたきりだった。
 何しろお年頃の健全な男子なのだ。がんばって抑え込んだ欲求は、他愛のないことでその顔を覗かせる。まだ寝ぼけまなこのティーダにはフリオニールを煽るつもりはまるでないだろうが、ぐずぐずと毛布を手繰り寄せる彼の呻き声に、封じていた獣が準備運動を始めるのも無理はなかった。
 ぱたりと寝返りを打ったティーダの、反らされた首筋に視線が釘付けになる。張りのある肌は太陽をいっぱいに吸い込んで、噛み応えのありそうな腱がくっきりと浮いていた。顎から耳に繋がるラインは彼の弱点のひとつだ。反射的に暴れる身体を押さえ込んで舌を這わせた時の、その声の腰に来ることといったら——
 夜闇の中の炎に引き寄せられる虫のように、ふらふらとティーダに覆いかぶさろうとした瞬間だった。
「ティーダとフリオニールは? まだ寝てんのかあ?」
「仕方ないなあ……ぼく、起こしてくるよ!」
「あいつら早番だったからな、優しくしてやれよ」
 耳に飛び込んできたバッツとオニオンらしき声に、フリオニールははっと我に返った。ばさりと布団を跳ね除けて起き上がる。
 まずい。なにがまずいって、オニオンが一番まずい。寝ぼけた相棒に襲い掛かろうとしている現場など、それが誰であれ見られるわけにはいかない。が、その中でもオニオンは別格にまずい。何しろ——彼も立派な戦士であることはこの際さて置いて——まだ子供なのだ。いくら叡智と勇気に優れた彼とはいえ、いやだからこそ、フリオニールがティーダに何をしようとしていたのかを明確に察知してしまうだろう。
 そのあとのことは恐ろしくて考えたくもない、たぶんオニオンとスコールからはゴミのように見下され、ティナには目も合わせてもらえず、ジタンとバッツには死ぬほど揶揄われ、ウォーリアとクラウドとセシルそれぞれの必殺技を叩き込まれることになるのだ。命がいくつあっても足りない。
 がばっ、と身を起こしたフリオニールに、やっと目の覚めてきたらしいティーダが訝るような視線を向けた。同時に、テントの入り口に垂れる布が勢いよくめくられる。
「おはよう、ねぼすけさんたち! 朝だよ!」
 鮮烈な朝の光を背にしたオニオンは、いつも以上にきらきらと輝いて見えた。彼は寝間着のままのフリオニールとまだ寝そべっているティーダを見て苦笑する。
「昨日は見張りお疲れさま、でもそろそろ起きないと、朝ごはんなくなっちゃうよ」
「ああ、ありがとう……おはようオニオン」
「はよす……ふあぁ」
 のろのろと身を起こしたティーダが、ううんと思いっきり伸びをする。あちこちに跳ねた寝癖つきの髪を振って、顎が外れそうなほどの大欠伸だ。
 二度寝しちゃだめだよ、と言い置いてオニオンは戻って行った。よかった、危ないところだった。安堵の息をついて寝具を片付けるフリオニールの背に、ティーダが声をかける。
「……残念でした、ってやつ?」
「っは!? なっ、何が、」
 声をひっくり返しながら振り返ると、ティーダがにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。よく見ればその眼にはもう眠気はない。
「おまえ、起きてたな……?」
「さーて、どうっすかねー」
「いつから」
「んー、フリオがおれの唇狙ってた辺りから?」
「……」
 正確には唇ではなく首筋とか耳とかだったのだが、フリオニールはそこには触れず口を噤んだ。再びティーダに背を向けると、我ながら乱暴な手つきで毛布をたたむ。
「そっかー、フリオニールくんは飢えてんだなー」
「……」
「ひとが寝てるとこ、襲っちゃうくらいガマン出来なかったってことだよな?」
「…………」
「そっかそっか、なーるほどなー」
 笑いを隠そうともしないティーダがいっそ恨めしい。自分ばかり欲しがっているようでなんだか癪だ。俺だけかと訊いてやろう、そう思いながらシャツを頭からかぶったところに。
 ぴたり、裸の背中に張り付くしっとりしたあたたかさ。肩甲骨の間を通る背骨をくすぐる柔らかく湿った吐息、毛先の感触。
「……ちょっと期待した」
「ティーダ、」
「なあ、おれら今日、何の当番だっけ」
 ティーダが喋ると、声が直接振動となってフリオニールの身体を震わせる。せっかく鎮まったはずの獣がまたむくむくと鎌首をもたげるのを感じながら、フリオニールは必死で頭を巡らせた。なんとかして気を逸らさなくては。
「ああ、えーと、夕飯か?」
「そだっけ」
「ああ、確か」
 秩序の戦士たちが再結集してから、一行はさまざまな仕事を分担、当番制にしていた。夜の不寝番は早番と遅番に分けて、テントを張ったり水を汲んだり、洗濯だけは綺麗な水場を見つけたら各々ですることになっているが、食糧採取や食事の用意なども分担に含まれる。
 何しろ十人の大所帯、しかも野山を歩きひずみに飛び込みイミテーションを殲滅し、と身体を動かすばかりの戦士たちが揃っているのだ。食べられるものを充分な量探すのも、それを料理するのも、なかなかの重労働だった。
 特定の誰かに負担が偏らないようにと、役割は日ごとの持ち回り制になっていた。全員が二、三人ずつの班に分かれて、今日は見張り、明日は設営とぐるぐる回していくのだ。
 すっかり二人一組が定着したティーダとフリオニールはいつも同じ担当だった。突発的によその班に貸し出されることもあるが、そういうことがなければ今日のふたりは夕食の調理担当だ。
「てことはさ、メシ食ったらあとは自由だろ?」
「そ、そうだな」
 何かと鈍いだとか天然だとか揶揄われがちなフリオニールにも、ティーダが何を言わんとしているかはさすがに分かる。油の切れたブリキ人形のようにぎしぎしと首を動かして頷くと、ティーダがぱっと身体を離した。外は穏やかな春の気候だというのに、体温を失った背中がひどく心許ない。
「じゃ、夜までがんばりますか!」
 顔洗ってくる、とテントを飛び出して行ったティーダの声を聞きながら、フリオニールは緩む口許を掌で覆った。今夜か、と噛み締めながら。

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