ここんとこ日記しか書いてねえな。
なぜかというと、この前の長編を書くにあたってロケハン(ロケハン?)のために久々にFF10を起動したんですが、ロケハンじゃ済まなくて普通に遊んでしまっているからですね。PS4のデータ整理した時にセーブデータ消してしまったらしく最初からプレイしてます。何周やってもいいゲームだな10は。
エボンドームでユウナレスカをぶっ飛ばしたところまで進めたんですが、エボンドームを訪れる度に若アーが渋アーになる10年に思いを馳せてしまう。ありがとうアーロン、渋アーになってくれて……。
せっかくだからこのデータで最強育成しようかな。だが問題はとれとれチョコボなんだよな……よりによって主人公の最強武器をこんなクソゲーの景品にすることなくない?
”Et in Arcadia ego” という言葉があるそうです。
これは有名なラテン語の文句らしくて、ゲーテやニーチェが引用してたり、このタイトルの絵画がいくつもあったりするそうなんですが、直訳すると「私もまたアルカディアに」という意味だそうで。この場合のアルカディアは「理想郷」ですね。
主語に対応する動詞がない不完全文なのでいろいろと解釈できるそうですが、ニーチェだったり多くの画家はego = 「私」を「死・死神」として「理想郷にあれども死(の恐怖)から逃れることはできない」としているそうです。
一方ゲーテはこの文章を『イタリア紀行』のモットーとして引用しており、彼にとってイタリアはレモンの花咲く理想郷の代名詞だったため、ゲーテはこれをあえて「わたしいま理想郷にいます!」みたいなかなりポジティブな意味として使っているんじゃないか、と読んだ本には書かれていました。
ゲーテが妙に可愛らしく見えるなあ、という与太はさておき、なんだかこの文句、閣下の墓標に似合うなあという気がしてしまいまして……推しの墓の話すんのかよ……しますが……。
イヴァリース世界で”Arcadia”が「理想郷」という意味も持つのかどうかわかりませんが(だとしたら改めてすげえ国だよなあの帝国)この二重のダブルミーニングを孕んだ端的な一文、大変ヴェイン・カルダス・ソリドールって感じがします。
民衆の導き手として「(諸君と同じように)我が魂もまたアルケイディアに在る」と言うのは鉄板だろうし、ラーサーの世に至る道を敷いた功労者として「(偉大な先人たちと同様)我は今理想郷にて憩う」っていうのも実に無難な墓碑銘っぽいし、訪れた平和に浮かれ騒ぐひとびとに向けてメメント・モリな釘を刺すのもそれっぽい。同時に、彼の起こした戦争によってひとびとが命を生活を奪われた、という「汚点」を暗示するものにもなりうる。
問題は一体だれがこの墓碑銘を選んだか、なんですが、ラーサーでしょうね。ラーサーに選んでほしいこの墓碑銘。ヴェインは自ら「私の墓標にはこう刻んでくれ」とか言わなそうな気がするので(地位があるので体面上はちゃんとした遺言書があって『葬儀は簡素に』とか書いてあるはずだけど)。
私は本編後のラーサーには成長しながら兄への感情をどんどん複雑化させていってほしいと思うので(兄への感情が複雑化しており、かつそれを「兄だった」人に八つ当たりする例)、”Et in Arcadia ego”のように幾通りにも解釈でき、好意的に見れば無難な追悼だが穿って見れば……という文章をね、ラーサーに選んでいただきたいです。敬愛する兄のために。
emojiぽちぽちありがとうございます〜! 大変励みになります!
いろいろなカップリングの作品を読んでいただけているようで(おひとりなのか別々の方々なのかこちらからはわかりませんが)節操なく書き飛ばした甲斐もあるもんだなと思いました。これからも節操なくやって参りますのでよろしくお願いします〜!