20220818

 気圧の変動がアレで昨日今日とすごく具合が悪いです。っていうかむちゃくちゃに眠い。暴力的な眠さ。卒倒するように寝落ちてしまう。

 書きたいネタがあれこれあるんですけど、ちょろっと書いてはいまひとつノリ切れなくてううーーーーんってなってます。300文字書いて500文字消すを繰り返している。おかげさまでファイルがふたつばかり白紙になりました。そりゃそうよ。
 複数のネタが同時並行で頭の中をぐるぐるしているので余計にまとまらん感じがします。どれかに集中したい。土日にひとつでも片付けられたらいいなあ。

 だからと言うわけではありませんが、書きかけフォルダの底に眠っていたやつを続きにしまっておきます。二年前に導入だけちょろっと書いてほったらかしにしたやつなんですが、いつか完成させられたらなあ。二年もほったらかしてしまった……ブラジェクアーとティーダ@異界の話です。

 emojiぽちぽちありがとうございますー! ログ見るとどの記事にどんなemojiを押していただいたか分かるんですが、たまに「そんなemojiあったん!?」ってやつがあって面白いです。閣下の右手の小指が捻れてる話にメロイックサイン送っていただいて笑顔になりました。このemojiは誰が押してくれたのか何となく分かるぜおれは……。



 

 遠くから名を呼ばれた気がして、ブラスカはふと顔を上げた。読書に夢中になっているうちに、今日も昼食を食べ損ねたらしい。いつもなら本を取り上げられて食卓まで連行されるのだが、そうしてくれる妻はあいにくと留守にしていた。
「……なんだろう」
 茶もろくに飲まずにいたものだから潰れて掠れた声に、背後のソファで大剣を手入れしていたアーロンがぴくりと反応する。十年に及ぶ長い「夢」を耐え忍んだブラスカのガードは、異界で再会した時にはかつての堅苦しさをどこかに置いてきたようだ。もうしゃちほこばった敬語で話しかけられることもないし、何かに没頭して食事をすっぽかすブラスカに気を揉むこともない。ブラスカにとっては喜ばしい変化だった。
「ジェクトだな」
 窓の外を確かめるまでもなく呟いたアーロンを肯定するように、跳ねる水を纏った足音が浜から近づいてくる。彼を生んだ世界ではブリッツの王と呼ばれ、その称号に違わずあらゆる水を従えて生きる男だというのに、近づいてくる足どりは常よりも重く聞こえた。
「アーロン、ブラスカ!」
 海に面したテラス越しに、ジェクトの張り詰めた声が届く。暇に飽いたジェクトはよく海で他愛のないものを見つけてはふたりを呼びつけるが、今回ばかりは聞き流すわけにもいかないようだ。磨き終えた大剣を壁に掛けたアーロンが、溜め息混じりにテラスに続く窓を開けた。
「今度は何だ、ジェク——」
 潮気の濃い空気が吹き込み、開いたままのページが煽られる。窓枠に手をかけたまま絶句したアーロンの肩越しにジェクトの姿を認めたブラスカもまた、鋭い息を呑んだ。
「ジェクト、『それ』は」
 彼の紅鋼玉の瞳がふたりを見つめる。ぐらり、と揺らぐ光を湛えたその眼は、まるで——ジェクトには決して起こり得ないことだが——波に揉まれて溺れてでもいるように助けを求めていた。薄く開いた唇が何かを吐き出そうとして震えている。長く伸ばした髪から雫が滴って、足元の砂に音もなく吸い込まれた。
「まさか」
 アーロンの声は錆びついたように掠れていた。彼の背後から一歩も動けぬまま、ブラスカは目を見開く。
 『それ』はジェクトに背負われて、脱力しきった四肢を垂らしている。根元に榛色を散らした暖かな色合いの金髪。若くしなやかな筋肉に覆われた手脚。頭はがくりと落ちて顔は見えないが、その瞳はきっとスピラの海と同じ青だ。
 直接会ったことはない、けれど知っている。見間違えるはずもない、愛しい娘の命と魂を救ってくれた、この少年のことを。
「——ティーダくん、か……?」
 ようようのことで絞り出したブラスカの問いに、ジェクトはゆっくりと頷いた。


 十年の時を経て異界で合流したブラスカたちは、海の見渡せる館に居を定めていた。伝説の大召喚士とその妻、そしてガードたちが暮らすには人の集まる街はあまりに騒がしすぎたのだ。千年前のザナルカンドを模した箱庭を知るジェクトには退屈だろうと思ったが、その実、彼がこの鄙びた住まいを最も気に入っていた。ビサイドに似てるな、というのがその理由で、なるほど細やかに広がる砂の白と朝日を受けて輝く海の青の組み合わせは、確かにあののどかな南の小村を思わせる美しさだった。
 誰が建てたものかも分からない館は四人には充分すぎるほど広く、使わない部屋をいくつも持て余していた。そのうちのひとつにティーダを寝かせた時にはすでに夕暮れが近く、南東に面した部屋は薄墨の闇に包まれ始めている。
「呼吸はある、心拍も落ち着いてるし体温も高すぎず低すぎず——眠っていると言って差し支えない状態だね」
 ティーダの様子を確認したブラスカはそう結論づけた。死者の国である異界で生体反応を確かめるというのも滑稽な話だが、実際にブラスカもアーロンもジェクトも同様に息もすれば鼓動も途切れないのだから仕方がない。こちらで死ねばまたスピラに生まれるようになっているのだろう、そういう意味では異界から見ればスピラこそが死者の世界だった。
「私も医者ではないから、このくらいしか出来ないよ。どうするジェクト、本職を呼ぶかい?」
 ベッドサイドの床に座り込んで少年の寝顔を見つめているジェクトに水を向けたが、彼は首を振った。
「もうちっと様子見てからだ」
「いいのか、何かあっては」
「こんな状態のこいつを病院になんか連れてったら、えらいことになっちまうからな」
 出窓の掃き出しに腰掛けたアーロンが低く問うのに、ジェクトは小さく肩を竦める。
 彼が拒否するのも無理はなかった。この世界はスピラと『夢のザナルカンド』が入り乱れていて、「ザナルカンド・エイブスのジェクト」を知る者も多い。異界に渡ってすぐの頃には、ジェクトが街を歩くたびに人だかりができて随分と難儀したものだ。わあわあと騒がしい群衆から息子の名を聞いたことも一度や二度ではない。そこにスピラの人々が加わればただでは済まず、一行がこうして辺鄙な海辺に引きこもっている大きな理由がそれだった。
「それなら期限を決めようか。三日間、様子を見る。その間に容態が悪化したり、三日経っても目が覚めないようなら、医者を呼ぼう」
「……でもよ」
「大丈夫、信頼できる医者の当てはあるんだ。君や彼のことを吹聴したりはしないよ」
 妻の遠縁にあたるアルベド族だ、と付け加えれば、ジェクトは納得したようだった。アルベドの薬にはずいぶん世話になったからな、と冗談めかすその口ぶりを裏切って、凛々しい眉の下の瞳はまだ物憂げに沈んでいる。
「悪ぃ、外してくれるか」
 喉の奥で軋る要請に、ブラスカはアーロンと目を見合わせた。水平線の彼方へ去りゆく残照が、右目を失った男の顔に深い陰影を刻む。彼が音を殺して足を踏み出したのに合わせて、ブラスカも踵を返した。
 部屋から一歩踏み出せば、外出から戻った妻が晩餐の支度をしている気配がする。買い物袋を抱えて戻ってきた彼女は、情けない男どもが少年を取り囲んで慌てふためいているのを見て事情を察したようだ。こうして部屋に閉じこもるブラスカたちに余計な手出しはしない。
「……夕食には顔を出すんだよ、ジェクト」
 扉が閉まる寸前、投げかけた言葉は届いただろうか。細く切り取られた視界に、震える指先が伸びるのが見えた。



「ともあれ、彼が見つかってよかった」
「……ああ」
 階段を降りながら大袈裟に安堵の溜め息をついてみせるが、アーロンの返答は芳しくない。ブラスカは片眉を跳ね上げて、二歩後ろにいるかつてのガードを見上げた。
「どうかしたかい」
「いや……」
 かつてスピラで旅を共にした時に比べて、アーロンはいくらか口数が減った。あの煥発で瑞々しかった青年は、ブラスカとジェクトが背負わせた十年の苦悩を呑み込んで常人よりも深い年輪を刻んだようだ。しかし、彼が言い淀む時こそ何かを伝えたいのだというところは変わらない。だからブラスカは無言のまま、足を止めて待った。壁を隔てた向こうのキッチンで、ざあ、と水を流す音がする。
「——遅すぎる」
 アーロンの言葉はほとんど独白に近かった。意図を掴みきれないブラスカは手すりに背を凭れて続きを促す。
「あいつが『消えた』のは俺とそう変わらないはずだ。だが」
「君がここに来てからもう一年近く経つね」
「ああ。……ジェクトも遅かったが、奴が合流してから数えても三か月以上だ。遅すぎる」
 ブラスカは顎に指先を添えて思考を巡らせる。スピラにおける生を終えて――つまり、ジェクトの魂をエボン=ジュに奪われてから十年、まず気づいたことは、異界とスピラの間にはわずかだが時間軸の齟齬があるらしいということだった。より厳密に言えば、スピラを去ったタイミングが同じでも、異界に辿り着くまでの期間に人によって差がある。あるものは死んで直ちに、またあるものは異界の時間で数年も経ってから現れるのだ。どうやら異界送りされたか否かで長短に差が出るようだったが、これではジェクトよりアーロンが早かった理由を説明できない。この差異はブラスカの目下の研究課題だった。
「ユウナが彼を異界送りしなかったんだろうか」
「かもしれん。あるいはティーダが断ったか」
 どうやら互いに淡い恋を抱いていたらしい子供たちの心情を思えば、自らの手でティーダを消してしまうような真似はユウナには出来ないだろう。独り遺してしまった愛娘のいじらしさに、思わず笑みがこぼれた。
「笑っている場合か」
「ごめんごめん。でも、しかめ面でいるべき場面でもないと思うよ、アーロン」
 ブラスカは再び足を踏み出しながら、それはそれは深く刻まれたアーロンの眉間の皺を指先で弾く。そのうち取れなくなるよ、と揶揄って、もう手遅れだろ、とジェクトが笑う、そんな他愛のないやり取りはお決まりになっていた。混ぜっ返す担当は、今ここにはいないが。
「あまり気を揉んでも仕方がない。まずはティーダくんの目覚めを待とう。そうと決まればご飯だよ」
「……たまにあんたが羨ましくなる」
「そうかい? 君がないものねだりをするなんて、ちょっと意外だな」
 はあ、と重々しい嘆息を背に感じながらキッチンを目指す。スパイスの効いた香りに鼻腔をくすぐられ、朝以来何も入れていない胃袋がきゅうと鳴いた。



 結局、ジェクトは夕食が出来る時間になっても降りて来なかった。呼んでくる、と立ち上がったアーロンを制したのはブラスカの妻で、大の男が一食くらい抜いたってどうということはないのだからそっとしておいてあげましょう、ということだった。
「お腹が空いたら降りてくるわ」
「冬眠明けの熊みたいに言うね」
「それは失礼よ。ジェクトは手当たり次第に襲い掛かったりしないもの」
 さあ冷めないうちに頂きましょう、と並べられた献立は、しかし冷めてもすぐに温め直せて味の落ちないものばかりだった。ほんとうにきみって人は僕にはもったいないよ、とうっかり惚気てしまったが、とっくに慣れっこのアーロンはもう咳払いひとつしない。可愛げのないことだ。
「あとで私も顔を見たいわ」
 そう微笑む妻が誰よりも落ち着いている。異界に送られてくる人々の噂から、夫だけでなく娘までもが召喚士として旅立ったのだと聞いた彼女の心痛はいやましに深く、だからこそユウナに寄り添い死の螺旋を断ち切ってくれたティーダと出会うのを楽しみにしていた。彼女にとって未だ見ぬティーダが息子のようであるらしく、今日も何くれと世話を焼きたくなるのをじっと堪えていたらしい。
「本当は元気な子なんでしょう?」
「ああ、喧しいくらいだ。寝ていた方が静かでいい」
「アーロンったら」
 眉を下げる妻に合わせてブラスカも笑ったが、転がり落ちたその声はぎょっとするほどうつろで、それきり三人は黙り込んだ。
 ティーダに会いたいと思っていたのはブラスカも同じだ。けれど、いざ彼の身体を目の当たりにすると恐怖の方が勝った。決して小さくも華奢でもないが、まだ育ち切ってはいない、青い苗木のような少年。こんな子供に、自分は——自分たちは全てを背負わせてしまったのだ。スピラを守るために、よりにもよって彼の存在そのものを贄にするような。
 彼はまごうかたなき救済だった。彼は全てを救った。そうすることで、彼がその存在ごと消えてしまうのだと分かっていても。
 ブラスカはパンで皿を拭い、視線を天井に向けた。いつもならば騒がしいばかりのジェクトの気配さえ、今は感じ取れない。


(ここまで)