大灯台の後のバルフレアはどこへでも行けるんだけど、ひとつだけ行けないところがあって、それはファムランのいるところなんだよね……という特に胡乱な妄言。
大灯台までのバルフレアはとにかく逃げていて、でも大灯台でシドに「逃げ切ってみせんか」と言われたことで逃げる理由を失うんだよな。ここからのバルフレアは本当にどこへ行ってもいい、どこへ行くにも自分の意志以外の理由は要らないというか、自分の意志以外を理由にすることはできないんだけど、イヴァリースのどこへだって行ける彼にとってたったひとつの「戻れない」場所があって、そこにはちっぽけなファムランという子供が空に手を伸ばしている。
バルフレアは「バルフレア」として世界を翔ける自由を得ることによって「ファムラン」を永久に失ってしまった。
バルフレアは父や父の与える「あるべき姿 」(ところでこれは「父が息子に期待する姿」とは違う)から逃れるために「バルフレア」というロールを選んだんだと思うんだけど、別に「バルフレア」である必要はなかった気がする。
父から与えられる「あるべき姿」っていうより、父からのご提案(他にもまあいろいろあると思うけど、とりあえずこの辺でどう? くらいの)に則った姿って言ったら間違ってるかな……自信がない、シドに肩入れしている自覚はあるので……。
ただ親と子の間には権力関係があって、ブナンザ家(というか身分社会のきつい社会構造からしてアルケイディア帝国全体において)は親子間権力の上下関係が特に明確かつ強く作用してたのではないかと思う。だから、シドとしては「他にこれといって意志がないならこんなんどう?」くらいのご提案に過ぎなかったつもりでも、それを受け取るファムランには「こうあれ、こうしろ、こうしなさい」でしかなかったのかも。そしてシドも「これといって道を見出しておらんとは情けない、手助けして(≒導いて)やらねば」という思考だったかも。
お父上を尊敬できるファムランならそれでよかったんだけど、破魔石やネスのことなんかがあってお父上を信じられなくなってしまったファムランは、父の提示する「ファムラン」ではない何者かになろうとしたんですよねきっと。とても消極的な欲望というか、「これになりたい」ではなく「これじゃないならどれでもいい」という消去法的な欲求、と言ったらいいのだろうか。消去法という言葉はズレてる気がするけど。
だから「バルフレア」は常に「ファムランではない」何者かでなくてはならなくて、「ファムランではない」なら別に何者でもよかったかもしれない。「notファムラン」を軸というか起点にしてしまったがために、何にでもなれて、どこにでも行けるバルフレアはファムランにだけはなれないし、ファムランがいる(いた)場所にだけは行けないんだよね。 つまりバルフレアにとってのファムランという概念は、飛空艇にとってのヤクトみたいなもんだったってことじゃない? なんか綺麗にまとまった気がしてるけどきっと気のせいだよそれ。
ブナンザ親子の物語って、「息子を自分なりに(自分本位に)愛していた父と、その『愛』を望ましいものと思えず、父に応えられずに逃げ出した息子」→「息子に逃げ切ることを許可/要請する父と、それによって逃げる理由を失った息子」という展開かなあ。
バルフレアさんはここから「逃げる理由も逃げる必要もなくなったが、そのために帰る場所を失った息子」になるんだよね。
この物語がディストラクティブ・ハッピーエンドを迎えるためには、バルフレアさんにはいつかファムランに帰ってもらわなければならない。「バルフレア」は自分の胸の奥でずっと小さくなってメソメソしてたファムランと向き合って、「ファムラン込みのバルフレア」というジンテーゼ(ヘーゲルの弁証法的用法)に至らなくてはならない。気がする。 もちろんディストラクティブ・ハッピーエンドに至る必要はないので、ずっと「ファムラン」から逃げ続けてもいい。
このバルフレア、フランがいて本当によかったね……ってやつだ。だってフランにとって彼はバルフレアでしかないから。フランはファムランを知らないから(ファムランがフランに出会ったことが出奔の契機となるルートもそれはそれで素敵ですが)。
シドの遺言によって「ファムラン」に対するどうしようもない郷愁と怯えと罪悪感にがんじがらめにされそうになる相棒を「バルフレア」に引き留めようとしたのが、フランのあの台詞だったんじゃねえかな〜。バルフレアは「ファムラン」に帰らなくていい、バルフレアはもうとっくに「ファムランではないバルフレア」になれているのであって、それ以外の何者でもないんだから、彼を「バルフレア」たらしめた行為である「逃走」を恥じるな、という意味が含まれた「逃げ切ってみせて」だとしたら私はとてもぐっと来ちゃうな。
「ファムラン」を最も疎ましく思っていたのはバルフレアよりもフランの方だったのかもしれない。
翻って、シドとヴェインが上手く噛み合ったのも、ヴェインが自分で自分の在るべき姿を定めて、なおかつそのために己を賭すことが出来たからなんだろうな。ヴェインは洞窟の中で自ら振り返ってイデアの実体を見ようとしたひとなので(またその話すんの?)
ヴェインが兄たちを殺す前ならシドはヴェインのことなんかまるで気にも留めなかった気がする。本編くらいの時期ならともかく、ヴェインと出会った頃のシドがヴェインを見るのにファムランを想起しないはずがないんだよな。
ファムランの話してるのにヴェインを混ぜるんじゃないよ。はい。終わりです。