あなたを写し取るための

「リーブ様、ご無事ですか」 気配というものをまるで欠いた静かな体温が目の前に跪くのを感じて、こどもはやっと頭を抱え込んでいた両腕を下ろした。それからこくりと首を縦に振ってみせると、黒いスーツに身を包んだ男もまた軽く頷いた…

局長、風邪ひいたってよ。

 リーブは決して虚弱ではない。が、頑健強壮というほどでもないので、たまに風邪をひく。 たいていの場合は喉の違和感から始まり、一日二日熱を出して、それで落ち着く。場合によっては咳を伴うこともあり、今回もその定型に当てはまる…

the witness

 必要なのは深い穴だ。具体的には、埋め戻したあとの深さが地表から2.5メートルは欲しい。鼻の利く獣はいくらでもいる。 幅の広さはそこまで重要ではない。これから埋めようとしているものは、ある程度嵩を減らすことが可能だ。使う…

ヴィンセント・ヴァレンタインによって人生を立て直したい男が(以下略)

 いいか、そもそも俺の人生なんかロクなもんじゃなかったんだよ。 カームってあるだろ、あの何にもねえ田舎だよ、俺はそこの農家の四男坊だ。上に兄貴が三人、でもオヤジもオフクロもどうしても娘が欲しいってんで気張ったらハズレちま…

you said, but

 not for me. それがリーブの口癖であるようだった。 not for me, just not for me. うたのようだ、と思ったことがある。リーブの舌と唇が紡ぐ音は諦念と憧憬に嫉妬を巧妙に混ぜ込んで、それ…

沈殿する赤

 何故リーブがこんなものを持っているのか、気にならないわけではなかったが訊かないことにした。どうせまともな返答は期待できまいし、何通りか予測される回答はいずれも嘘くさいか、嘘をついてもらった方がましか、あるいはひどく退屈…

剥製

 リーブの部屋には鳥籠があった。私の記憶している限りでは長らく空のまま趣味の悪いオブジェとしてリビングの片隅に置かれていたが、ある時ついに住人を得た。大雨の日に泥汚れを被ったような薄汚い灰色の斑を散らしたその鳥は、陰鬱な…

残照

 長らくそこにあったと見える平たい缶に、ヴィンセントはたった今初めて気がついた。 古ぼけたビニールのかかったレコードが並ぶ棚の一番下の段、その端に隠れていた缶はありきたりな菓子の詰め合わせ用のものらしい。塗装の剥げた端に…

短文集

『お熱いのがお好き』  エンドロールの前から、隣の人が眠ってしまったことには気付いていた。部屋の照明を落としてソファに並んで、買い替えたばかりの新しいテレビで流す古い映画。きっと彼の琴線には触れないだろうと思ったけれど、…

左手

 そこは果ての知れない暗闇だったので、ああこれは夢なのだなとリーブにはすぐに分かった。だってあまりに非現実的だ、真っ黒がどこまでも広がる何もない世界なんて。空気は動いていないからどこか室内なのだろうと推測したが、壁も天井…