オムライスはオムライスで書くとして、次に書きたいやつの準備のために閣下の母君を生成しているところなのですが(生成とは?)FFにおける母親ってなんかこうアレですよね……アレ……母親の概念そのものがものすごく希薄……。
FFの「母親」っていうとティーダの母親か、ジェノバかみたいなところあるじゃないですか。いやそんなことないんだけど。クラウドのお母さんとかレインとかシーモアママとかいるけど。やっぱ並べるとつらいじゃねえか。
作中における「父親」の存在感の大きさ、シナリオそのものに与える影響力の強さに比べて「母親」の軽さよ。父親が舞台装置だとしたら母親、小道具ぐらいにしか扱われてないぞ。FFのそういうとこどうかと思いますよ、わたしは。
閣下がかつては敬虔なキルティア教徒だったりしないかな、という妄言を捏ね回しているところです。お母君が篤信家でね、それに倣って神の創りたもうた世界の美しさを信じて生きていたのが、母君の死と兄たちの事件を機に神を捨て、それまで生きてきた世界そのものが崩壊したあとの荒地に立ち尽くしていた時にシドネスに出会い己の道を見定めるという。
でもこれ書こうとするとどうしてもキルティア聖典を参照する必要が出てくるんですよね。キルティア聖典、アルティマニアオメガの付録についてるかと思ったけどなかった。困った。いや、聖典を参照する必要は別にないんですけどたぶん。
こういう話、つまりそのキャラクターの人格の根源を捏造する妄言というのは、なんというか、考えていてたまにひやっとします。そうは見えないでしょうが、これでもひやっとしながら考えてます。
とあるキャラクターについてあることないことを妄想して作品にする、という意味ではshippingもそうでない二次創作も捏造具合では大差ないはずなんですが、「そのキャラクターが『そのキャラクター』になるまでの物語」を捏造するというのは、感覚として「キャラクターの人格そのものを歪めて弄んでいる」という危うさをより強く感じて、自分でぞっとするというか。上手く説明できないんですが……。
shippingとか、原作キャラクター同士があれこれしている話を書くのよりももっと強く「一次創作でやれや」感が出るというか。いや、正確には「『一次創作でやれ』って思われてしまいそう」と勝手にビビってしまうというか。キャラクターを借りている以上、原作に描かれたキャラクター像に対するリスペクトだけは忘れちゃならねえと常々念じてはいるのですが。
とまあなんかいろいろ考えたりもするんですが、でも二次創作っておおむねそんなもんじゃないの……と開き直る気持ちで営業させていただいてます。原作に描かれた人物像をどう解釈するかにもまあ、ひとによって違いはあるしね。そうだそうだ。
同僚からツールドフランスの話を聞いてちょっとだけ動画を見たんですが、ロードレースってすごいですね。
エース?を勝たせるためにサポートが前を走って、ゴール寸前でエースを先に行かせるようなんですが、これRPSで盛り上がってる界隈があるんだろうなと思いました(やおい脳)推しカプにやって欲しさある。