20221211

 またしてもしばらくぶりです。
 冬ですね。数日前にこの冬の初雪が降りました。例年より降雪が早い。私は前半生を雪の降らない地域で過ごしたので、雪が降ると夜空が桃色を帯びるのが不思議だなあ、と積雪のたびに思います。あれは街の灯りを雪が反射しているからだといいますが、本当にそれだけなのかと疑いたくなるような現実離れした色彩の夜空。

 前回の日記で「ヴェシドネスとガブラスとドレイスにイーハトーヴで生きてほしい」と書きまして、それを読みたいと言っていただけたので、準備をしています。脳内劇場の大道具さんが書き割りとか作らないといけないからね。
 その流れで宮沢賢治そのひとについて書かれた本をいくらか読んだのですが、おれ賢治の作品は好きだけど賢治本人のことはそんなに好きになれないな、と思いました。あるある。
 宮沢賢治、俗っぽい言い方をすれば惚れやすいというか、どうも特定の人物に対してヒュージセンチメントを抱きがちなひとだったようで、そのヒュージセンチメントに彼の信仰が思いっきり混じり合った結果、「惚れ込んだ相手に法華経への帰依をゴリ押ししながら『理想郷の実現のために一緒に生きようぜ!』と重く濃密な圧をかけまくる奴」になってしまうという……。
 そのヒュージセンチメントを真っ正面から思いっきり押し付けられたことで有名なのが保坂嘉内ですね。賢治と嘉内ははじめ大変息の合う友人だったのですが、賢治の想いが強く明らかになるにつれて嘉内は新月の日の引き潮よりも激しく引いてゆく。やっぱりね、ヒュージセンチメントってやつは双方向じゃないと(たとえ噛み合っていなかったとしても、互いが互いにヒュージセンチメントを抱いていないと)ただ怖いだけなんだよな。
 嘉内にフラれた賢治はその後、国柱会という仏教系国粋主義団体に加入するのですが、別の論考では『銀河鉄道の夜』においてジョバンニが取り出した「ほんとうの天上へさえ行ける切符」がどうも国柱会の宣伝ビラではないか、と考察されていて、うう〜んこういう深掘り、面白いんだけどがっかりするぜ、などと思ったりします。
 ほんと賢治、思い込みが激しいというかかなり独善的で思想信条にはまったく賛同できないんだけど、それはそれとして彼の書く文章、描き出す光景や心象をそれでも美しいな、と思ってしまうことがどうにもつらい。つらいししんどいんだけど、それはそれとしてイーハトーヴで貸本屋する閣下は見たいから書くよ……。

 あと、今年ぜんぜんオーケストラを観てなかったので、駆け込みで行ってきました。推し指揮者が振るってんで隣の隣の国まで足を伸ばしたんですが、元気がなくてオーケストラ見るだけで終わってしまった。他なーんにも観光してない。
 いやーすごかった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲 作品47が演奏されたのですが、ソロに立ったヴァイオリニストがとにかくすごかった。アウグスティン・ハーデリッヒという大変に有名な奏者だそうで、まあ私はぜんぜん存じ上げなかったのですけれども、とんでもない技巧をもって魂をも焦がすほどの情感を限界まで表現し尽くすような演奏、大変感銘を受けました。こういうひとのことをヴィルトゥオーソって言うのかな、知らんけど。
 バンドキッズだった私は「テクニックなんぞ知ったことか! エモーションの爆発を聞け!」みたいな初期衝動一発系の演奏も大好物なのですが、テクニックがなければ表現し切れないエモーションもあるのよね、と痛感した次第です。同じことがきっと文章についても言えるんだよな。萌え・燃えという初期衝動を大切にしながら、推しへのヒュージセンチメントを描き尽くせるような技巧も磨いていかないとね……。

 ということで、今年が終わる前にイーハトーヴで貸本屋を営む閣下のお話を持ってご挨拶できたらなと思います。
 当地に限らず、北半球はどこも冷え込んでいるかなと思います。みなさまどうぞ暖かくして、体調崩されませんように〜!